タキさんの押しつけ映画評・バットマン THE DARK KNIGHT RISES
この映画評は、友人の映画評論家滝川浩一が、身内に流している映画評ですが、面白さと的確な評なので、本人の了解を得て転載しているものです。
なんと見応えの有る映画なんでしょう。ちょいと感動的でした。こんな凄い作品が、アメリカじゃ賛否両論だそうで……。
本作は165分の長尺です。途中、冗長に感じる部分があるが、ラスト15分、怒涛のごとく総てが明らかになる。そのカタルシスたるや半端じゃ無い。クリストファー・ノーランは現状世界最高のアクション監督です。冗長に思えた部分は、ラストのカタルシスを得る為に必要なストーリーでした。
とりあえず、本作のビハインドをしらずとも充分楽しめる内容です、多少忍耐力はいりますが、それと、これも毎度のお約束、本作を見る前に、ぜひとも前二作の復習を、これ必修!…以下、ビハインドの説明です。うざったらしくなるので別に読まんでええですよ。バットマンは色んな意味で、アメリカそのものです。
前作“DARK KNIGHT”製作時、アメリカはリーマン・ショックとイラクの泥沼化で、世界王の座から滑り落ち、自らの進路を見失っていた。そんなアメリカを背負うように、バットマンは強敵ジョーカーを倒しはしたが、彼の罠を破りきれず、総ての悪意を背負って闇に走り去った。
現在、アメリカが完全に復活したとはお世辞にも言えない。この現状で、バットマンはいかにして復活してみせるのか、これが興味の第一点。 アメリカが、法治国家の仮面の下に自警国家の本性を、未だに隠し持っているのは何度となく書いている。バットマンは、自警団そのものであるが、ピストルを腰にぶら下げて、自分の身は自分で守った時代のヒーローではない。法の支配を意識せざるを得ないのである。即ち、スーパーマンが、飛ぶ前に飛行許可を求めるようなもので、これが彼のジレンマなのである。
しかも、今回の敵、ベイン(前シリーズ「Mr.フリーズの逆襲」にも登場しているが、これは記憶から抹消して下さい)は、今シリーズ第一話に登場のラーズ・アル・グールの下にいた、言わばバットマンの兄弟子に当たる。ここから、正義と悪の二元論ではなく、悪対悪の構図となる。
バットマンがいかに正義を振りかざそうとも、その底には個人的な復讐があり、彼が現代の自警団である以上、この構図はバットマン世界を支配している。彼は、この構図の中で自らの正義を証明しなければならない運命を背負ってもいるのである。バットマン世界では、常に善と悪の境目が揺らいでいる、今作では、どこにその境界線を引くのか。これは尽きせぬ興味である。ラスト、ベイン一党とバットマン・ゴッサム警察の間に、大ド突き合い決闘がある、拳闘士の古代でもあるまいに…しかし、これは必要な舞台セット、見れば納得いく仕掛けになっている。
この辺りから、もつれた糸がほどけ始める。ベインは、なるほど強力な敵ではあるが、前作“ジョーカー”ほどの圧倒的な存在感を持ってはいない、このまま最後までこいつがラスボスなのか? だとすると、本作はつまらん映画に終わるんじゃないのか?
まぁ、他にも幾つかあるが、この辺にしておこう。こんな、何じゃかんじゃ、も一つ言えば、こんな程度の役にわざわざマリオン・コティアールを使ったんかい?ってな疑問にも、ラスト15分に総て答えが用意されている。このラストは、ある意味「ユージュアル・サスペクツ」以上である。後は、あなたが自分の目で確かめるだけです。この作品が、あなたを100%たのしませてくれる事を信じて疑いません。
この映画評は、友人の映画評論家滝川浩一が、身内に流している映画評ですが、面白さと的確な評なので、本人の了解を得て転載しているものです。
なんと見応えの有る映画なんでしょう。ちょいと感動的でした。こんな凄い作品が、アメリカじゃ賛否両論だそうで……。
本作は165分の長尺です。途中、冗長に感じる部分があるが、ラスト15分、怒涛のごとく総てが明らかになる。そのカタルシスたるや半端じゃ無い。クリストファー・ノーランは現状世界最高のアクション監督です。冗長に思えた部分は、ラストのカタルシスを得る為に必要なストーリーでした。
とりあえず、本作のビハインドをしらずとも充分楽しめる内容です、多少忍耐力はいりますが、それと、これも毎度のお約束、本作を見る前に、ぜひとも前二作の復習を、これ必修!…以下、ビハインドの説明です。うざったらしくなるので別に読まんでええですよ。バットマンは色んな意味で、アメリカそのものです。
前作“DARK KNIGHT”製作時、アメリカはリーマン・ショックとイラクの泥沼化で、世界王の座から滑り落ち、自らの進路を見失っていた。そんなアメリカを背負うように、バットマンは強敵ジョーカーを倒しはしたが、彼の罠を破りきれず、総ての悪意を背負って闇に走り去った。
現在、アメリカが完全に復活したとはお世辞にも言えない。この現状で、バットマンはいかにして復活してみせるのか、これが興味の第一点。 アメリカが、法治国家の仮面の下に自警国家の本性を、未だに隠し持っているのは何度となく書いている。バットマンは、自警団そのものであるが、ピストルを腰にぶら下げて、自分の身は自分で守った時代のヒーローではない。法の支配を意識せざるを得ないのである。即ち、スーパーマンが、飛ぶ前に飛行許可を求めるようなもので、これが彼のジレンマなのである。
しかも、今回の敵、ベイン(前シリーズ「Mr.フリーズの逆襲」にも登場しているが、これは記憶から抹消して下さい)は、今シリーズ第一話に登場のラーズ・アル・グールの下にいた、言わばバットマンの兄弟子に当たる。ここから、正義と悪の二元論ではなく、悪対悪の構図となる。
バットマンがいかに正義を振りかざそうとも、その底には個人的な復讐があり、彼が現代の自警団である以上、この構図はバットマン世界を支配している。彼は、この構図の中で自らの正義を証明しなければならない運命を背負ってもいるのである。バットマン世界では、常に善と悪の境目が揺らいでいる、今作では、どこにその境界線を引くのか。これは尽きせぬ興味である。ラスト、ベイン一党とバットマン・ゴッサム警察の間に、大ド突き合い決闘がある、拳闘士の古代でもあるまいに…しかし、これは必要な舞台セット、見れば納得いく仕掛けになっている。
この辺りから、もつれた糸がほどけ始める。ベインは、なるほど強力な敵ではあるが、前作“ジョーカー”ほどの圧倒的な存在感を持ってはいない、このまま最後までこいつがラスボスなのか? だとすると、本作はつまらん映画に終わるんじゃないのか?
まぁ、他にも幾つかあるが、この辺にしておこう。こんな、何じゃかんじゃ、も一つ言えば、こんな程度の役にわざわざマリオン・コティアールを使ったんかい?ってな疑問にも、ラスト15分に総て答えが用意されている。このラストは、ある意味「ユージュアル・サスペクツ」以上である。後は、あなたが自分の目で確かめるだけです。この作品が、あなたを100%たのしませてくれる事を信じて疑いません。