大阪府立真田山学院高校演劇部公式ブログ・Vol・23
『スランプな今日この頃』
☆来るとは思てたんですけど
台詞はとっくに入りました。ミザンセーヌ(立ち位置、動きのきっかけ) エロキューション(発声とアーチキレーション=滑舌)も文句なしです。音響やってる長曾我部さんが少林寺が休みの日に5人ほど連れてきて試演会みたいなこともやりました。
「すごい!」
「さすがに演劇部!」
と誉めてくれるんですが、なんか物足りません。勇気を奮って聞いてみました。
「『アナ雪』と比べてどう?」
五人とも『アナ雪』は観てます。うちらも出たばっかりのDVDで観ました。
「あれはアカデミー賞とったやつやもん。なんちゅうか次元がちゃうよって……」
うちらも、あれとは勝負にならんと思います。せやけど、あえて聞いてみたんです。
やっぱりなあ……いうのんが、うちら役者の感想です。
「そら、本も、かけてるお金もグレードちゃうねんさかい、あんまり考えんでもええんちゃう?」
長曾我部さんは、少林寺の元部長らしくフォーローしてくれます。
「先輩の気持ちは嬉しいんですけど。この『すみれの花さくころ』は完全やと思てるんです。初版が15年前、上演回数は20回ほど。その都度改訂されて、これで五訂版です。やってみて分かるんです。無駄なもんはありません。足らんもんもありません。試しに初版でもやってみましたけど、無駄と無理のある本でした。でけへんとしたら、うちらの力の足らんせいです」
「そう……で、なにが足らんか分かってるのん?」
「……それが分かりません。坂東先輩にも通しのDVD送ったんですけど『自分らで考えなさい』でした」
しばらく四人、稽古場のプレゼンテーション教室で落ち込み。
「あたし、芝居のことは分からへんけど、少林寺で技に行き詰ったら、しばらく他の技の稽古に切り替えてみたりするよ。ほんなら、躓いてたとこが霧が晴れたみたいに見えてくる」
「……それや!」
直観でした。同じ作者の違う本をやったら、その本では書ききってなかったものが見えてくるような気がしました。
例えて言うなら、AKB48のことを知ろうと思たら『フォーチュンクッキー』だけやってても分かりません。『ビギナー』『桜の栞』『前しか向かねえ』『上からマリコ』『下からさしこ』いろいろやって、AKBの、それでも半分ぐらいしか分からへんと思うんです。
そこでうちらは、作者の他の作品も稽古してみることにしました。
スランプ克服大作戦です!
☆『クララ ハイジを待ちながら』
この作品を選んでみました。作者の直近の戯曲です。
ほとんどクララの一人芝居なんですけど、舞台には登場せえへん「アナタ」とのチャットの会話で話が進んでいきます。女の子二人の葛藤いう点では同じ構造してます。
『すみれ』の場合は、対立軸が、すみれとかおるの中にしかありません。対立は対立だけとちゃいます。互いに全体を通して関係を持ち、影響しあい、相手も自分も変わっていく存在のことです。『すみれ』の中では、それはコミカルに、そして遠慮気味に表現してあります。
『クララ』は、クララがアナタに話しかけることで、自分の隠れた心の中が出てきます。その表現は多弁で、スラプスチックでさえあります。この二つの作品はネガとポジやと言うてもええと思うんです。ネガとしての『クララ』を演ることで、ポジとしての『すみれ』の理解と表現が深まると思たんです。
で、ほとんどクララの一人芝居なんで、あやめちゃんといっしょにやって、演出しあうことにしました。
☆余計なことかも
芝居作りは建築物に例えられます。うちらは建物の基礎が弱いんで、地盤の改良からやってます。何回も言うてますけど、役の肉体化いうのは、これほどまでに難しいんです。9月10月になってコンクールの準備に入るクラブは分かりません。
せやけど批判することは簡単やけど、現実は見てみなら分かりません。夏休みの間に、よその演劇部の訪問もしたいと思います。
文責 大阪府立真田山学院高校演劇部部長 三好清海(みよしはるみ)
『スランプな今日この頃』
☆来るとは思てたんですけど
台詞はとっくに入りました。ミザンセーヌ(立ち位置、動きのきっかけ) エロキューション(発声とアーチキレーション=滑舌)も文句なしです。音響やってる長曾我部さんが少林寺が休みの日に5人ほど連れてきて試演会みたいなこともやりました。
「すごい!」
「さすがに演劇部!」
と誉めてくれるんですが、なんか物足りません。勇気を奮って聞いてみました。
「『アナ雪』と比べてどう?」
五人とも『アナ雪』は観てます。うちらも出たばっかりのDVDで観ました。
「あれはアカデミー賞とったやつやもん。なんちゅうか次元がちゃうよって……」
うちらも、あれとは勝負にならんと思います。せやけど、あえて聞いてみたんです。
やっぱりなあ……いうのんが、うちら役者の感想です。
「そら、本も、かけてるお金もグレードちゃうねんさかい、あんまり考えんでもええんちゃう?」
長曾我部さんは、少林寺の元部長らしくフォーローしてくれます。
「先輩の気持ちは嬉しいんですけど。この『すみれの花さくころ』は完全やと思てるんです。初版が15年前、上演回数は20回ほど。その都度改訂されて、これで五訂版です。やってみて分かるんです。無駄なもんはありません。足らんもんもありません。試しに初版でもやってみましたけど、無駄と無理のある本でした。でけへんとしたら、うちらの力の足らんせいです」
「そう……で、なにが足らんか分かってるのん?」
「……それが分かりません。坂東先輩にも通しのDVD送ったんですけど『自分らで考えなさい』でした」
しばらく四人、稽古場のプレゼンテーション教室で落ち込み。
「あたし、芝居のことは分からへんけど、少林寺で技に行き詰ったら、しばらく他の技の稽古に切り替えてみたりするよ。ほんなら、躓いてたとこが霧が晴れたみたいに見えてくる」
「……それや!」
直観でした。同じ作者の違う本をやったら、その本では書ききってなかったものが見えてくるような気がしました。
例えて言うなら、AKB48のことを知ろうと思たら『フォーチュンクッキー』だけやってても分かりません。『ビギナー』『桜の栞』『前しか向かねえ』『上からマリコ』『下からさしこ』いろいろやって、AKBの、それでも半分ぐらいしか分からへんと思うんです。
そこでうちらは、作者の他の作品も稽古してみることにしました。
スランプ克服大作戦です!
☆『クララ ハイジを待ちながら』
この作品を選んでみました。作者の直近の戯曲です。
ほとんどクララの一人芝居なんですけど、舞台には登場せえへん「アナタ」とのチャットの会話で話が進んでいきます。女の子二人の葛藤いう点では同じ構造してます。
『すみれ』の場合は、対立軸が、すみれとかおるの中にしかありません。対立は対立だけとちゃいます。互いに全体を通して関係を持ち、影響しあい、相手も自分も変わっていく存在のことです。『すみれ』の中では、それはコミカルに、そして遠慮気味に表現してあります。
『クララ』は、クララがアナタに話しかけることで、自分の隠れた心の中が出てきます。その表現は多弁で、スラプスチックでさえあります。この二つの作品はネガとポジやと言うてもええと思うんです。ネガとしての『クララ』を演ることで、ポジとしての『すみれ』の理解と表現が深まると思たんです。
で、ほとんどクララの一人芝居なんで、あやめちゃんといっしょにやって、演出しあうことにしました。
☆余計なことかも
芝居作りは建築物に例えられます。うちらは建物の基礎が弱いんで、地盤の改良からやってます。何回も言うてますけど、役の肉体化いうのは、これほどまでに難しいんです。9月10月になってコンクールの準備に入るクラブは分かりません。
せやけど批判することは簡単やけど、現実は見てみなら分かりません。夏休みの間に、よその演劇部の訪問もしたいと思います。
文責 大阪府立真田山学院高校演劇部部長 三好清海(みよしはるみ)