漆黒のブリュンヒルデQ
ピンポ~~ン
ドアホンが鳴ったので、いいところに差し掛かった文庫にしおりを挟んで通話ボタンを押す。
はい。
『こんにちは、〇旗の集金です』
定年後十年はたったであろう、白髪交じりの元教師という感じの集金さんがモニターに映っている。
「いま、いきます」
そう返事して、月間購読料の入った封筒を持って門まで出る。
「ご苦労さまです、えと……3497円ですね」
「はい……たしかに。領収書です」
「たいへんですね、だいぶ寒くなってきましたから」
「いえいえ、武笠さんはお変りもなく?」
わたしも武笠さんなのだが、集金さんは祖父母の事を聞いているのだ。
「はい、お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、あの齢でも仕事に恵まれて楽しそうです」
「それは良かった、人間、仕事をやっているのが一番ですからね。あ、えと……じゃ」
不器用な笑顔を残して集金さんは去っていった。先月は自転車で周っていたのに、今日は徒歩だ。遠ざかる後姿が微妙にギクシャク。
脚を痛めて、自転車を控えているんだ。
集金ぐらい祖父自身が出ればいいと思う。まあ、孫娘のわたしを間に立てることでプライドを支える一助になっているし、集金の相手をすることで孫娘の社会性を培っているという意識もあるのだろう。
「お向かいの敬ちゃんもあんなだしね」
向かいの啓介が引きこもっていることを引き合いに出して正当化する。微妙な優越感がしのばれる、微苦笑することで返事に替える。
門の脇に貼ってある『安倍政治を許さない』がはがれかけている。陳腐この上ないポスターなんだけど、祖父母のアイデンテティーオブジェの一つなので、画びょうを取りに行って補強する。
お尻のあたりに視線を感じる……振り返ると、向かいの窓に啓介の片眼。
バーカバーカ バーーカ
口の形だけで言ってやる。
チ、引っ込んじまいやがった。
ん?
電柱の陰に人影……どうやら〇旗の集金さんを追っている。
で、こいつ……人の姿はしているが、妖だ。
カーキ色の国民服、帽子を目深に被って、足音も立てずに集金さんが集金を終えると、同じだけ距離を取って身を隠す。
集金さんが五件目の集金を終えたところで呼び止めた。
「それぐらいにしておけ」
「お、おまえは」
「おまえが付けてると、集金さんは、ますます体を悪くする」
「おまえは、あいつの正体を知っているのか?」
「〇旗の集金さんだ、うちも古くからの付き合いだ」
「◇産党だぞ」
「そういうあんたは?」
「とっこうだ」
「ああ、飛行機に爆弾積んで敵艦にぶちあたる」
「その特攻じゃない」
「知ってるよ、特別高等警察」
「おそれいったか」
「そんなものに興味はない。お前の名前、言ってみろ」
「そんなもの、人に明かせるか」
「いつも特高で済ませてるから、忘れたんだろ、自分の名前」
「バカ言え、オレは……その手に乗るか」
「忘れたんだな」
「お、おまえごときに言う必要は無い(;'∀')」
「おまえは、伊地知虎雄だ」
「う……」
一声唸ったかと思うと、伊地知は、隠れていた電柱の影に溶け込むように消えてしまった。
消える寸前、そいつの顔が歪んだ。
安心した笑みのようにも不覚を取った苦笑いのようにも思えた。
集金さんは五件目の集金を終えると、普通に歩きだした。自分でも不思議なようだが、心も軽くなったのが後姿でも分かった。
今年も残すところ三日だ。
帰って文庫の続きを読もう。
☆彡 主な登場人物
- 武笠ひるで(高校二年生) こっちの世界のブリュンヒルデ
- 福田芳子(高校一年生) ひるでの後輩 生徒会役員
- 小栗結衣(高校二年生) ひるでの同輩 生徒会長
- 猫田ねね子 怪しい白猫の化身
- 門脇 啓介 引きこもりの幼なじみ
- おきながさん 気長足姫(おきながたらしひめ) 世田谷八幡の神さま
- レイア(ニンフ) ブリュンヒルデの侍女
- 主神オーディン ブァルハラに住むブリュンヒルデの父