エッセー《PTA会長の謝辞》
ネットで、ある女性と知り合った。
うかつだった、
好き嫌いを、まず文頭に持ってくる。文節の短さ、!マークを・・・のあとにダメオシのように置いていく。こちらの、ちょっとした言葉に拘泥して人格否定までしてくる。で、こちらの話の内容を読んだ形跡がない。
てっきり、二十歳前後……ひょっとしたら女子高生ではないかとさえ思った。
だから二人称は貴女と呼んだ。
これが、わたしより年輩の男性であると知ったときの驚きは、ここ何年も感じたことがない新鮮さだった。
べつにネカマさんをやっておられたわけではない。ただ、性別、年齢不詳で入ってこられた。
で、高校演劇や、芝居のメールの遣り取りをやった。
そして、名刺を忘れていたような気楽さで、アッケラカンともいうような感じで、わたしより年上の男性であると、事のついでのように明かされた。
「あ、言っとくけど、大橋さんよりも○歳上の男です」
どう形容したらいいんだろう。今まで生きている人間と喋っているつもりだったら、幽霊だった。違うなあ。本物の食べ物だと思ったら、食品サンプルだった……でもない。子どものころに、東京の玉子焼きを食べて甘いのに驚いた。やや近い。われわれ関西人は、玉子焼きと言えば出汁の利いたものか、軽い塩味である。玉子が貴重な時代で、玉子は肉や魚と同じ主菜であった。それが関東の方には申し訳ないが、甘いと、まるで子どものお八つで、なんだか玉子の値打ちが下がったような気が、驚きと共にした。
この人が、様々なことに感じた自分の意見を披露してくださった。
その中に、PTA会長の謝辞に関する感想があった。
「運動会や卒業式などで、PTAの会長が謝辞を述べるのはおかしい、間違っている」とおっしゃる。
PTAというのはParent-Teacher Associationのことで、PとTは同等である。同等なものが、同等な者に謝辞を言うのはおかしい、間違っている。と。かなり熱く述べておられた。
PTAというのは、戦後進駐軍が日本に持ち込んだ制度で、もともと日本にあったものではない。日本人のPTAは、元来任意の団体であるが、たいていの場合入学と共に書類を書かされ、入会させられる。
その活動は、初期から多様で、親睦会のような物もあれば、積極的に学校の教育活動に関わり行事や、子どもの地域指導に関わるところまである。面白いので、もう少し述べてみたいが、本論から外れるので、ここまでとする。
日本には古くから、師弟の倫理観が確率されており、三歩下がって師の影を踏まずなどと言い、師に親に似た畏敬の念があった。「先生様」という表現やら、「先生に叱られたんだろう、お前が悪い!」と決めつけた時代もあった。また、教師にも、その自覚は高く、たとえ薄給であっても師の高潔さ、倫理観は一般に高かった。むろん、子どもだから、学校でワルサもすれば、争議活動をやったこともある。
作詞家のサトーハチローが学生のころ、女郎屋で一晩明かし、朝、洗面のために廊下に出ると、目の下を学校の先生が歩いていく。で、ハチロ-は、思わず「先生お早うございます」と挨拶して、処分されたことがある。ハチロ-の中には、女郎屋にいくことと、師への礼節が同居していたのである。学校でストなどを行う学生、生徒たちも、争議中であっても、教師への呼称は「先生」であった。
親たちも、先生を、自分たちの税金で養っている公僕などとは思っていなかった。だから、盆暮れの付け届けをするような、教師としては有り難くない習慣が近年まで残った。
長くなったが、これが日本の師弟関係の原風景であり、文化といってもいいと思っている。だから式日の挨拶で謝辞を述べられるPTAの会長が出ることになる。こういう日本の精神風土からみれば、ごく当たり前の現象で、このPTA会長の謝辞が、わたしは日本の救いであるぐらいに感じている。しかし、○歳年上の氏には受け入れがたいものになっている。
氏の年齢は、戦時中の「産めよ増やせよ」の世代を筆頭とする団塊の世代の最先端にあたる。戦時中の記憶はほとんど無く、義務教育を、占領下の元でうけてこられた世代である。日本的なものを忌避され、憎悪される気持ちは、世代的には理解できる。
わたしは、団塊の世代から、僅かにはみ出した次の世代である。日の丸を揚げろと降ろせの両方を聞いてきた。先生を労働者とも聖職とも言える世代である。幼いころ『仰げば尊し』で先輩を送り出し、自分たちの時は入れ札で卒業ソングを選ばされてきた世代である。三無主義という有り難くない呼ばれ方もしてきた。
氏のように、戦前の日本を全否定するような精神は、幸か不幸か持ち合わせていない。
横道に入りそうである。
わたしは、氏のような方が、好き嫌いを、まず文頭に持ってくる。文節短かく、!マークを・・・のあとにダメオシのように置いていく。こちらの、ちょっとした言葉に拘泥して人格否定までしてくる。で、こちらの話の内容を読んだ形跡がない。そのことに驚いたということが言いたかったのである。
氏の印象は、甘い玉子焼きに似ていた……と言ったら、関東全域を敵に回すことになる。あくまで驚きの程度を現す比喩でしかないことを、だめ押ししておく。
ネットで、ある女性と知り合った。
うかつだった、
好き嫌いを、まず文頭に持ってくる。文節の短さ、!マークを・・・のあとにダメオシのように置いていく。こちらの、ちょっとした言葉に拘泥して人格否定までしてくる。で、こちらの話の内容を読んだ形跡がない。
てっきり、二十歳前後……ひょっとしたら女子高生ではないかとさえ思った。
だから二人称は貴女と呼んだ。
これが、わたしより年輩の男性であると知ったときの驚きは、ここ何年も感じたことがない新鮮さだった。
べつにネカマさんをやっておられたわけではない。ただ、性別、年齢不詳で入ってこられた。
で、高校演劇や、芝居のメールの遣り取りをやった。
そして、名刺を忘れていたような気楽さで、アッケラカンともいうような感じで、わたしより年上の男性であると、事のついでのように明かされた。
「あ、言っとくけど、大橋さんよりも○歳上の男です」
どう形容したらいいんだろう。今まで生きている人間と喋っているつもりだったら、幽霊だった。違うなあ。本物の食べ物だと思ったら、食品サンプルだった……でもない。子どものころに、東京の玉子焼きを食べて甘いのに驚いた。やや近い。われわれ関西人は、玉子焼きと言えば出汁の利いたものか、軽い塩味である。玉子が貴重な時代で、玉子は肉や魚と同じ主菜であった。それが関東の方には申し訳ないが、甘いと、まるで子どものお八つで、なんだか玉子の値打ちが下がったような気が、驚きと共にした。
この人が、様々なことに感じた自分の意見を披露してくださった。
その中に、PTA会長の謝辞に関する感想があった。
「運動会や卒業式などで、PTAの会長が謝辞を述べるのはおかしい、間違っている」とおっしゃる。
PTAというのはParent-Teacher Associationのことで、PとTは同等である。同等なものが、同等な者に謝辞を言うのはおかしい、間違っている。と。かなり熱く述べておられた。
PTAというのは、戦後進駐軍が日本に持ち込んだ制度で、もともと日本にあったものではない。日本人のPTAは、元来任意の団体であるが、たいていの場合入学と共に書類を書かされ、入会させられる。
その活動は、初期から多様で、親睦会のような物もあれば、積極的に学校の教育活動に関わり行事や、子どもの地域指導に関わるところまである。面白いので、もう少し述べてみたいが、本論から外れるので、ここまでとする。
日本には古くから、師弟の倫理観が確率されており、三歩下がって師の影を踏まずなどと言い、師に親に似た畏敬の念があった。「先生様」という表現やら、「先生に叱られたんだろう、お前が悪い!」と決めつけた時代もあった。また、教師にも、その自覚は高く、たとえ薄給であっても師の高潔さ、倫理観は一般に高かった。むろん、子どもだから、学校でワルサもすれば、争議活動をやったこともある。
作詞家のサトーハチローが学生のころ、女郎屋で一晩明かし、朝、洗面のために廊下に出ると、目の下を学校の先生が歩いていく。で、ハチロ-は、思わず「先生お早うございます」と挨拶して、処分されたことがある。ハチロ-の中には、女郎屋にいくことと、師への礼節が同居していたのである。学校でストなどを行う学生、生徒たちも、争議中であっても、教師への呼称は「先生」であった。
親たちも、先生を、自分たちの税金で養っている公僕などとは思っていなかった。だから、盆暮れの付け届けをするような、教師としては有り難くない習慣が近年まで残った。
長くなったが、これが日本の師弟関係の原風景であり、文化といってもいいと思っている。だから式日の挨拶で謝辞を述べられるPTAの会長が出ることになる。こういう日本の精神風土からみれば、ごく当たり前の現象で、このPTA会長の謝辞が、わたしは日本の救いであるぐらいに感じている。しかし、○歳年上の氏には受け入れがたいものになっている。
氏の年齢は、戦時中の「産めよ増やせよ」の世代を筆頭とする団塊の世代の最先端にあたる。戦時中の記憶はほとんど無く、義務教育を、占領下の元でうけてこられた世代である。日本的なものを忌避され、憎悪される気持ちは、世代的には理解できる。
わたしは、団塊の世代から、僅かにはみ出した次の世代である。日の丸を揚げろと降ろせの両方を聞いてきた。先生を労働者とも聖職とも言える世代である。幼いころ『仰げば尊し』で先輩を送り出し、自分たちの時は入れ札で卒業ソングを選ばされてきた世代である。三無主義という有り難くない呼ばれ方もしてきた。
氏のように、戦前の日本を全否定するような精神は、幸か不幸か持ち合わせていない。
横道に入りそうである。
わたしは、氏のような方が、好き嫌いを、まず文頭に持ってくる。文節短かく、!マークを・・・のあとにダメオシのように置いていく。こちらの、ちょっとした言葉に拘泥して人格否定までしてくる。で、こちらの話の内容を読んだ形跡がない。そのことに驚いたということが言いたかったのである。
氏の印象は、甘い玉子焼きに似ていた……と言ったら、関東全域を敵に回すことになる。あくまで驚きの程度を現す比喩でしかないことを、だめ押ししておく。