滅鬼の刃 エッセーラノベ
少し怒ったような顔で、それでも約束の5分前に着いたT病院玄関前、栞はちゃんと待ってくれていました。
え?
家にいたころから、めったに目を見て話さない栞ですが、「朝からすまんなあ」の言葉に反応もせずに、じっと私の顔を見ています。
「どこに穴が開いてんの?」
「え?」
「目に穴が開いてんでしょ?」
「開いてんのは網膜だから外からは見えないよ」
「え、あ、そうなんだ」
「でも、白内障だから瞳が濁ってるだろ?」
「え、いや、お祖父ちゃん、昔からそんな目だったし」
何年かぶりで孫娘と目が合って、ちょっと嬉しかったのですが、それもほんの十数秒。
再び目どころか顔をそらせて私の斜め前を歩きます。
その斜め後姿は、久々に会ったからだけではない緊張感がありました。
思い出しました。
四歳の時、髄膜炎を患ってひどい目に遭っていたんです。
夜間に高熱を発して隣接するH市の病院に救急搬送されました。救急当直の医者は「多分風邪ですね、熱が続くようなら電話していただくか、かかりつけのお医者さんに行ってください」と、なにも処置されること無く帰されました。
帰宅しても、熱は下がることなく40度近くになります。意識も朦朧としてきた様子で、呼びかけにも応えません。
すぐに救急ではなく、掛かりつけの小児科に運びました。
何人か先客がいましたが、看護婦さんが先生に言ってくださって、すぐに診ていただけました。
「髄膜炎よ。こっちから電話するから、すぐ市民病院に行って!」
先生はタクシーの手配までしてくださって、そのまま市民病院に直行。運転手さんも心得ていて、救急搬送口に着けてくださって、すぐに診察の上処置していただきました。
その時、右手の甲と脊髄にぶっとい注射。おそらく手の甲は点滴、脊髄のが髄膜炎治療のための注射です。
「おねがいぃ! やめてくらしゃいー(><)!」
それまで熱で朦朧としていた栞が、そこだけははっきり叫んで泣いて頼んでいました。
あの時の恐怖が身に染みているんでしょう。
「治るんでしょ?」
待合で座っていると、横顔のままポツンと言います。
「ああ、治るさ」
答えながら、実はビビっておりました。
わたしも、自分のことで病院の世話になるのは15年ぶり。手術と名のつくものは42年ぶりです。
実は、栞と同じく4歳の頃に、目に鉄粉が入ってめちゃくちゃ痛く、一晩おふくろになだめられて眼医者に連れていかれました。
たぶん、そうとう怖かったんでしょう、眼医者でどんな治療を受けたのか記憶がありません。
どころか、眼医者がどんな人だったか、眼医者がどんな建物で、どこにあったのかまるで憶えていません。
「目を洗浄してもらった」
お袋がそう言って、子どものわたしは――くり抜かれた目玉がホーローの洗面器の中で洗われてるの図――を想像してしまいました。
『大橋さん、一番診察室へ』
呼び出しがかかって、栞に茶封筒を渡します。
「手術したらろくに見えないだろうから、支払いとかはこれで頼む。余ったら、栞の生活費にしたらいいからな」
「う、うん」
さすがに緊張した顔で茶封筒を受け取りました。
そして、簡単な手術が始まる……のかと覚悟したのですが、その日は改めて診察。一週間後の手術を決めるだけでした。
一週間後も付き添ってくれることを打ち合わせ、予定よりも早く終わったので「飯でも食いに行くか」と水を向けましたが「バイト、間に合うから……」と、そのままY駅目指して足早に去っていきました。