滅鬼の刃 エッセーラノベ
昨年の秋のことです。パソコンで文章を書いていました。
『大』と打つと「ナ」に、『橋』と打つと「喬」になってしまいます。テレビのニュースを見ると、アナウンサーの口が消えてしまいます。ロングになると首ごと消えてしまいます。
これはマズイ!
すぐに駅前の眼科に駆け込むと、ドクターが、こう言いました。
「両眼ドライアイです」
ああ、パソコンの画面などを長時間見ているとなるアレだ、要は目が乾いている。
「そして白内障です」
あ、ああ、歳を食ったら水晶体が濁るアレだ。
「さらに、左の目が網膜レッコウです」
え? これは直には意味が分かりません。
「この映像で説明します」
診察の前に検査技師の女性が撮ってくださった映像がモニターに映ります。
湾曲した網膜の断面図、その湾曲の真ん中が途切れています。
こういうものには疎いわたしでも分かりました。網膜の真ん中が欠けているのです。
「この穴の開いたところが像を結びませんので、欠けて見えるわけです」
「はあ……」
間の抜けた返事をしましたが、ことの重大さはよく分かっています。
「放っておくと穴が広がるというか亀裂が大きくなって……」
「はい、見えんようになってしまうんですね」
「はい、そのとおりです」
ドクターは、すぐに紹介状を書いて下さり、家から二キロ余りのT病院の予約まで取り付けてくださいました。
さあ、青天の霹靂、目の手術をすることになってしまいました!
「往きはともかく、帰りは一人ではきびしいので、どなたか付き添った方がいいですよ」
そうアドバイスしてくださって、困りました。
その春から孫の栞は家を出て一人暮らしをしています。
連絡は時どきラインでやっていましたが、そのほとんどが既読スルーです。
今度ばかりは既読スルーでは済みません。
やむなく、初めて電話しました。きっと『お掛けになった電話番号は圏外、あるいは電源を切っておられ……』の人工音声だと覚悟していましたが、予想に反して二回のコール音で繋がりました。
『はい、もしもし、栞です』
めちゃくちゃしおらしい声なので――ああ、案じるより産むがやすし(;'∀')――と思いました。
「ああ、久しぶりだな栞ぃ、実はな、お祖父ちゃん……」
そこまで言うと『ゲ、なんで電話してくんのよ! 店長と間違えたじゃん!』と、ニベもない返事。
しかし、このつれなさに臆してしまうわけにはいきません。ことは緊急を要するのです。
「実は、網膜裂孔というのになっちまって、緊急に手術することになったんだ」
『もーろくれっこう?』
「耄碌じゃなくて、網膜。網膜に穴が開いて、放っておくと見えなくなっちまう病気なんで、手術なんだ。いや、日帰りできる手術なんだけどな、帰りは一人じゃ厳しいって先生もおっしゃるんでな。悪いけど、栞に付き添ってもらおうと思ってなぁ……」
『従弟のおじさんとかじゃダメなの?』
「え、Yか?」
『あ、うん、バイトのシフトとかきつくって、急には……』
「Yは坊主だぞ、病院に坊主はまずいだろ」
『いや、私服に着替えてもらって……』
「檀家周りの途中で着替えてくれなんて言えないぞ、いちいち寺に帰らなきゃならないんだから」
『…………』
「しおり?」
『ハア(ノД`) ……分かったわよ、時間と場所教えて』
「あ、すまんな……」
と、かくして孫に付き添われて初めて病院に行くことになりました。