🍑・MOMOTO・🍑デブだって彼女が欲しい!
63『桃と胡桃と』
夕べは、かなり遅くなってから桃が現れた。
「……今夜は、もう来ないかと思った」
「ちょっとね……」
そう言葉を交わすと、二人とも黙ってしまった。
いつもなら、下らないことを言っては猫のようにじゃれついてくる。適当にあしらうと、背中でヒッツキ虫になって眠ってしまう。
それが、ギュッとしがみついたまま、なんだか息もひそめている。擬態語で言えば、ムギュー……なのだ。
「痛い、爪たてんなよ」
「あ、ごめん……」
「……桃、変だぞ」
すると、桃はオレの背中を離れておとなしくなった。で、それだけで夕べは終わってしまった。
バイトは2週目に入り、それなりに慣れてきた。
「Bダイ4番5番テーブルセッティングお願い」
シフトリーダーの東雲さんの声がかかる。
「「ただいま」」
声は重なるけど、ダッシュは片桐さんの方が早く、先を越されてしまう。最初は慌てるだけだったけど、落ち着いてフロアーを見渡せるようになり、お冷のお代わりやテーブルの片づけを出来るようになった。
もっとも片桐さんは、その上をいっていて「このあと5名様と3名様よ」と教えてくれたりする。彼女はフロアーだけではなく、ドアの外にまで目が届いていて、案内の段取りをつけていたりする。
「はい、従食。今夜はフライ定食、ご飯特盛、お味噌汁の具増量、サラダも増量ね」
ほぼ一人暮らしと言っていいオレの為に、従食も工夫してくれる。
他愛ない世間話や与太話には付き合ってくれるが、学校や自分のプライベートに関わる話はしてくれない。打ち解けてきてはいるんだろうけど、垣根は高いような気がする。
「お先に失礼します」
そう挨拶して、店の前の横断歩道で気が付いた。タイムカードの打刻を忘れていたのだ。
「ハハ、やっぱりね」
片桐さんがオレのタイムカードをヒラヒラさせて笑った。
「どうも、最後の詰めが甘かった」
打刻を終えて通用口へ。帰りがいっしょになるのは初めてだ。
「じゃ、わたしこっちだから」
横断歩道を渡ると左右に分かれる。
心なし彼女が緊張しているのが分かる……あ、そっちの道は工場街の裏手を通るんだ。
「送っていくよ、片桐さん」
「あ、でも方向が」
「いいから、大して変わらないと思う」
オレは先に立って歩き出した。
「ありがとう、正直ちょっとおっかなかったの」
角を曲がると、正直な返事が返って来た。
「片桐さんの弱った顔、初めて見た」
「え、あ、そうかも、明るいうちはなんともないんだけど、暗くなるとね……こんなもの持ってるの」
片桐さんがバッグから取り出したのは催涙スプレーだった。
「おー、準備万端!」
「イザって言う時には……気休めにしかならないでしょうけど」
「片桐さんなら使いこなせると思うよ」
「そうかなあ」
「しっかりしてるし」
「あー、そう見られちゃってるか……ソレイユのバイトは慣れてるから、そんな感じに見えるんだ。ほんとは歳の割には……かな」
「歳って……まだ高校一年生でしょ?」
「学年はね。病気で2年遅れてるから、年齢は百戸くんといっしょだし」
「え、そうだったの!?」
「え、言ってなかったっけ?」
「初耳、片桐さんの雰囲気って謎だったから」
「催涙スプレーの中身みたいね。これ、まだ一度も使ってないから、わたしも謎なの。百戸くんは嗅いだことある?」
「ないない」
「どんなだろう?」
「危ないよ」
片桐さんはキャップを外した。
「ちょっと試しに……」
片桐さんは風の流れを確認してからスプレーを一吹きした。
「「う、うわー!!」」
風上に居たのにもかかわらず強烈な刺激臭。夜の工場街をダッシュしてしまった……。
その夜は、横になると直ぐに桃が実体化した。
「hold me tight」
「英語で言うな」
「ん……じゃ、抱いて」
「なんかやらしい」
「だから英語で言った」
いつもなら投げ飛ばすところだが、ここのところの寂し気な様子を知っているので、正面を向いて抱っこしてやった。
「今夜は特別。これでいいな」
「あ……じゃなくって……」
オレの胸の中で、桃はゴソゴソし始めた。
「お、おい……」
桃はパジャマも下着も脱いでしまった。
「ずっとして欲しかったの」
投げ飛ばそう……思ったところで意識が無くなった。