「先生、出張ですか?」
鞄を持って職員室を出たところで、みなみに出くわした。
「いよー、あらかわ遊園のアイドル! よかったらオレをマネージャーに雇わないか。そしたらヤボ用に出かけなくて済む」
「あたしたち、ほんのアマチュアですっ……て、やっぱ職探しですか?」
「ああ、諜報員は意外に給料が安いんでな。ほんと、お前らに、その気があれば大晦日に紅白に出してやるぜ」
「アハハ」
「アハハ」
互いに笑いあって、校舎の玄関で分かれた。みなみは完全に出張と思ってくれたようだ。
今日の孝史は出張でも職探しでもなかった。文字通りのヤボ用である。
――ヤボは逆さに読んだらボヤだ、火は小さなうちに消しておかなきゃな――
地下鉄を三つ目で降りて、道を二回曲がると小ざっぱりしたマンションの前に出た。
午後四時過ぎ、この業界人の出勤時間だ。
孝史は、マンションを電柱一本分やり過ごして、その業界人が出てくるのを待った。八分ほどでターゲットがマンションから出てきた。
ピンクのチェック柄のシフォンワンピに、赤いバッグを手に抱えている。意外に業界の人間には見えない。二十代のOLが有給をとって、ちょっとお出かけといったいでたちだ。変わり身がうまいというか早いというか、一筋縄ではいかないタイプに思えた。
――先手必勝、真っ直ぐに当たるのが正解だろう――
孝史は間合いを詰めて、駅の手前で声を掛けた。
「谷口さん」
「はい?」
振り返った顔は、まるで声を掛けられるのを分かっていたような……いや、こういうシュチュエーションに慣れた女のように思われた。
「自分、寺沢新子の兄で、孝史といいます。昨日あらかわ遊園でお見かけしました」
「あ、それはどうも……ユーチューブで新子の姿を見たもんで、居ても立っても居られなくって……良い女の子になりました。安心と嬉しさで握手会にまで出てしまいました」
明るい笑顔は、ポナに似ている。でも巧みな作り笑顔であることは孝史には分かる。
「そのご様子なら、お分かりだと思うんですが、新子に直接会うのは控えていただけませんか。しっかりしているようでも、まだ十五歳です。直観力の有るやつなんで、会えば、あなたが何者か察してしまいます。新子を混乱させないでください。兄としてお願いします」
「大丈夫ですよ。寺沢先生にお渡ししたときから一生会わないと覚悟はしています。ただファンとして、あの子の姿が見られれば十分です。わたしも、あのころの女子高生じゃありません。けじめは承知しています」
「……分かりました、無礼な申し方で失礼しました。じゃ、握手してお別れしましょう」
孝史は、いかにも好青年風に手を差し出した。
「フフ、なんだか青春ドラマみたいだな」
そう言いながらも、谷口真奈美は手を差し出して握手した。握手が指切りげんまんの代わりであることは承知していた。
「じゃ、これから出勤なんで、失礼します」
「お引止めしました」
真奈美はシフォンのワンピを翻して地下鉄に向かった。
「あなたの手、新子にそっくりですよ」
真奈美の背中は一瞬バグった3D映像のようになったが、すぐに何事も無かったように駅への階段を下りて行った……。
ポナの周辺の人たち
父 寺沢達孝(59歳) 定年間近の高校教師
母 寺沢豊子(49歳) 父の元教え子。五人の子どもを、しっかり育てた、しっかり母さん
長男 寺沢達幸(30歳) 海上自衛隊 一等海尉
次男 寺沢孝史(28歳) 元警察官、今は胡散臭い商社員だったが、乃木坂の講師になる。
長女 寺沢優奈(26歳) 横浜中央署の女性警官
次女 寺沢優里(19歳) 城南大学社会学部二年生。身長・3サイズがポナといっしょ
三女 寺沢新子(15歳) 世田谷女学院一年生。一人歳の離れたミソッカス。自称ポナ(Person Of No Account )
ポチ 寺沢家の飼い犬、ポナと同い年。死んでペンダントになった。
高畑みなみ ポナの小学校からの親友(乃木坂学院高校)
支倉奈菜 ポナが世田谷女学院に入ってからの友だち。良くも悪くも一人っ子
橋本由紀 ポナのクラスメート、元気な生徒会副会長
浜崎安祐美 世田谷女学院に住み着いている幽霊
吉岡先生 美術の常勤講師、演劇部をしたくて仕方がない。
佐伯美智 父の演劇部の部長
蟹江大輔 ポナを好きな修学院高校の生徒
谷口真奈美 ポナの実の母