<セピア色の窓辺>
自分のカラダが“硬い”と思ったのは、
小学校1年生ぐらいの時だっただろうか。
姉妹3人で近所のバレエ教室に通っていた。
「アン・ドゥ・トロワ」の掛け声と共に
イメージはステキなバレリーナだったが、
開脚して上半身を床にペタっとつけることができない。
カラダを反らせて頭に足の裏をつけるという曲芸のような
技もとてもとても及ばず、まるで今思うとまな板のように
不恰好な形で一生懸命、皆に近づこうとしていた。
生まれてからわずか6年近くで努力とは別の、生まれながらの
体質があるのだということを知ったような気がする。
その後、自分には素質がないことを悟り、
2回ほど発表会に出た後、やめてしまった。
中学・高校時代にはテニス部でひたすら汗を流した。
辛い筋トレや朝連(早朝練習)の毎日。
体育会系のノリでど根性を鍛えられたと思う。
「青春時代」はテニスに明け暮れていたのだが、
そういえばそんな言葉もすっかり聞かなくなり、
もしかしたら今や”死語”となってしまったのだろうか?
でも6年間、部活で日々のトレーニングを積み重ねても
やっぱり私のカラダは硬かった。
「本当にそれしか曲がらないのか?マジメにやってるのか!」と
言われるほどだったが、自分的には、以前より3センチは
曲がるようになった!とひそかに喜んだり、床に一瞬指先が
触れるだけでなんだか、とってもカラダが柔らかくなったのだと
心の中でウキウキとしていた。
**********************
今日久々に、本当に何十年かぶりに自分のカラダが
硬いことを思い出した。
年を重ね、そんな事実はすっかり忘れていた。
…お花のレッスンのために表参道の教室のスタッフルームで
お弁当を食べていた。
女ざかり真っ最中、40歳を過ぎた女3人で、
落ちにくくなった贅肉について話に花を咲かせていた。
「なんかヘンなところに肉がつくのよね、
例えばさ、腰の両脇とか。体重減っても落ちないのよね」
「ホント?私は腕の付け根、背中側よ。
ジョギングもヨガも長続きしないわ。」
私も「スポーツとはすっかり縁遠くなって、
今はコロとのお散歩が精一杯の運動だわ。」と続けた。
するとMASAKOさんは「私はカラダがすっかり硬くなって本当に
情けないわ。前は前屈しても床の上にぴったりと手のひらが
ついたのに今ではぴったりとはいかないわ!」と嘆いている。
「えっ?でもまだつくの?スゴイね!!!
私なんか昔からカラダ硬いから。」と指先を床に向かって
九の字に曲げてみた。
「うっそ!それしか曲がらないの?」とEMIKOさんと二人で
声を合わせて叫んでいる。
「あら、思いっきり本気だけど?」とそのままの姿勢で見上げた。
指先は床上約20センチでストップしている。
やっぱり、年のせいで多少硬くなったとはいえ、まあ、こんなものだ。
そして、40過ぎの女3人でどれくらい曲がるか確認しあった。
**********************
レッスンを終えて再び3人が集まった時、
EMIKOさんが「さっき無理しちゃったかも!腰が痛いの…。
今度は逆運動で背筋を伸ばさなきゃダメだわ!」と
うろたえている。うそ!じゃあ私も。と両手を天井に向け、
カラダを思いっきり後ろに傾けた。
すると二人が同時に
「KAORUさん!!!ぜんぜんカラダを反らしてないよ!
それはただの背伸びでしょう?」と目を丸くしながら爆笑している。
「違う、違う!ちゃんと背中の筋伸びてるから大丈夫!」と
反撃したが、「もう、本当におもしろいわ、KAORUさんたら!」と
言われ、別に“ウケ狙い”じゃないのに…、と
何年かぶりに現実に直面した気分になった。
「カラダが柔らかい」というだけで、
または「走るのが速い」というだけで、子どもの頃から
羨望の眼差しで見つめられるのは何故だろう?
人間として肉体の生命力が強いことを
動物的な直感で知っているだろうか?
近ごろ世間では、肉体に問題がある場合
スピリチュアル的な視点で考えることも多くなった。
たとえば、消化器系統の具合が悪いときには
「色々なことを消化できていない」とか
目なら「しっかりと物事をみる必要あり」とか
喉なら「言いたいことを我慢しているから」などなど
“心身一如”という言葉があるように、心と身体のつながりを
きちんととらえて、ただ単純にモグラたたきのように、
悪いところをひとまず治療するのではなく、原因となる
気持ちの持ち方や生き方からの視点でも体調を見つめている。
だとするなら、私のコンプレックスとなっていた
徒競走でいつもビリ、とか硬すぎるカラダにも
何かメッセージが隠れているのだろうか?
たとえば、「スピードが足りない」とか
「柔軟性を持って」とか???
でもこれって、遺伝子?だとしたら魂とか心とかは
関係ないんじゃない?と一縷(いちる)の望みを託してみる。
ちょうど、私の横を通りかかった息子に
「GOODタイミング!床に手がつく?」と聞いてみた。
すると「余裕だよ!柔らかさMAXだからね!」と
涼しい顔でぺったりと手のひらをくっつけた。
あ・・・。しばらく言葉が出なかった。
かれこれ15年近くのお付き合いだが、
まったく知らなかった。
誇らしげに体力測定の結果表を見せてくれたが、
「柔軟性は体操の選手級だよ!」などど軽いタッチで
講評が添えられている。
やっぱり親やご先祖さまのせいにせず、
せめてしっかりストレッチなどをしなきゃね。
この肉体があってこそ、「清水薫」はレベルアップできるんだし。
さあ、あったかいお風呂につかって
今日一日の疲れもしっかり洗い流して
心も一緒にポカポカにしよう
自分のカラダが“硬い”と思ったのは、
小学校1年生ぐらいの時だっただろうか。
姉妹3人で近所のバレエ教室に通っていた。
「アン・ドゥ・トロワ」の掛け声と共に
イメージはステキなバレリーナだったが、
開脚して上半身を床にペタっとつけることができない。
カラダを反らせて頭に足の裏をつけるという曲芸のような
技もとてもとても及ばず、まるで今思うとまな板のように
不恰好な形で一生懸命、皆に近づこうとしていた。
生まれてからわずか6年近くで努力とは別の、生まれながらの
体質があるのだということを知ったような気がする。
その後、自分には素質がないことを悟り、
2回ほど発表会に出た後、やめてしまった。
中学・高校時代にはテニス部でひたすら汗を流した。
辛い筋トレや朝連(早朝練習)の毎日。
体育会系のノリでど根性を鍛えられたと思う。
「青春時代」はテニスに明け暮れていたのだが、
そういえばそんな言葉もすっかり聞かなくなり、
もしかしたら今や”死語”となってしまったのだろうか?
でも6年間、部活で日々のトレーニングを積み重ねても
やっぱり私のカラダは硬かった。
「本当にそれしか曲がらないのか?マジメにやってるのか!」と
言われるほどだったが、自分的には、以前より3センチは
曲がるようになった!とひそかに喜んだり、床に一瞬指先が
触れるだけでなんだか、とってもカラダが柔らかくなったのだと
心の中でウキウキとしていた。
**********************
今日久々に、本当に何十年かぶりに自分のカラダが
硬いことを思い出した。
年を重ね、そんな事実はすっかり忘れていた。
…お花のレッスンのために表参道の教室のスタッフルームで
お弁当を食べていた。
女ざかり真っ最中、40歳を過ぎた女3人で、
落ちにくくなった贅肉について話に花を咲かせていた。
「なんかヘンなところに肉がつくのよね、
例えばさ、腰の両脇とか。体重減っても落ちないのよね」
「ホント?私は腕の付け根、背中側よ。
ジョギングもヨガも長続きしないわ。」
私も「スポーツとはすっかり縁遠くなって、
今はコロとのお散歩が精一杯の運動だわ。」と続けた。
するとMASAKOさんは「私はカラダがすっかり硬くなって本当に
情けないわ。前は前屈しても床の上にぴったりと手のひらが
ついたのに今ではぴったりとはいかないわ!」と嘆いている。
「えっ?でもまだつくの?スゴイね!!!
私なんか昔からカラダ硬いから。」と指先を床に向かって
九の字に曲げてみた。
「うっそ!それしか曲がらないの?」とEMIKOさんと二人で
声を合わせて叫んでいる。
「あら、思いっきり本気だけど?」とそのままの姿勢で見上げた。
指先は床上約20センチでストップしている。
やっぱり、年のせいで多少硬くなったとはいえ、まあ、こんなものだ。
そして、40過ぎの女3人でどれくらい曲がるか確認しあった。
**********************
レッスンを終えて再び3人が集まった時、
EMIKOさんが「さっき無理しちゃったかも!腰が痛いの…。
今度は逆運動で背筋を伸ばさなきゃダメだわ!」と
うろたえている。うそ!じゃあ私も。と両手を天井に向け、
カラダを思いっきり後ろに傾けた。
すると二人が同時に
「KAORUさん!!!ぜんぜんカラダを反らしてないよ!
それはただの背伸びでしょう?」と目を丸くしながら爆笑している。
「違う、違う!ちゃんと背中の筋伸びてるから大丈夫!」と
反撃したが、「もう、本当におもしろいわ、KAORUさんたら!」と
言われ、別に“ウケ狙い”じゃないのに…、と
何年かぶりに現実に直面した気分になった。
「カラダが柔らかい」というだけで、
または「走るのが速い」というだけで、子どもの頃から
羨望の眼差しで見つめられるのは何故だろう?
人間として肉体の生命力が強いことを
動物的な直感で知っているだろうか?
近ごろ世間では、肉体に問題がある場合
スピリチュアル的な視点で考えることも多くなった。
たとえば、消化器系統の具合が悪いときには
「色々なことを消化できていない」とか
目なら「しっかりと物事をみる必要あり」とか
喉なら「言いたいことを我慢しているから」などなど
“心身一如”という言葉があるように、心と身体のつながりを
きちんととらえて、ただ単純にモグラたたきのように、
悪いところをひとまず治療するのではなく、原因となる
気持ちの持ち方や生き方からの視点でも体調を見つめている。
だとするなら、私のコンプレックスとなっていた
徒競走でいつもビリ、とか硬すぎるカラダにも
何かメッセージが隠れているのだろうか?
たとえば、「スピードが足りない」とか
「柔軟性を持って」とか???
でもこれって、遺伝子?だとしたら魂とか心とかは
関係ないんじゃない?と一縷(いちる)の望みを託してみる。
ちょうど、私の横を通りかかった息子に
「GOODタイミング!床に手がつく?」と聞いてみた。
すると「余裕だよ!柔らかさMAXだからね!」と
涼しい顔でぺったりと手のひらをくっつけた。
あ・・・。しばらく言葉が出なかった。
かれこれ15年近くのお付き合いだが、
まったく知らなかった。
誇らしげに体力測定の結果表を見せてくれたが、
「柔軟性は体操の選手級だよ!」などど軽いタッチで
講評が添えられている。
やっぱり親やご先祖さまのせいにせず、
せめてしっかりストレッチなどをしなきゃね。
この肉体があってこそ、「清水薫」はレベルアップできるんだし。
さあ、あったかいお風呂につかって
今日一日の疲れもしっかり洗い流して
心も一緒にポカポカにしよう