【沈丁花の蕾】
パンフレットに「3月生まれ」と書いているのは、
実は深い意味がある。
昨日、友人の紹介です!とセッションにお越しになった方が、
「わぁ~、3月生まれなんですね!私もなんですよ!」と
目を通すなり真っ先にコメントしてくれた。
「ホントですか!!!嬉しいです。
その言葉を待ってました~!って感じです。」と
私もはしゃいで答えた。
3月生まれは結束力が強い。
まるで、同志に出会えたような、そんな不思議な感覚。
これは3月生まれの人しかわからないだろう。
4月生まれと11ヶ月も離れていることに
コンプレックスを抱き、みんなより1歩も2歩も
遅れをとっている自分を情けなく思うものだ。
あと1ヶ月遅く生まれていればな~と、
叶わぬ事実に夢を膨らませてみたりする。
その彼女も「3月生まれだから、走るのも遅いし、
背も低いのだと思っていました。」と、私とまさに同じ!
低学年の頃まで、勉強が出来ないのも3月生まれのせいにして
よく塾の先生から怒られていた。
「そんな言い訳は通用しないのよ!」と。
でも事実だもん、と心の中では反抗していた。
生まれ月のコンプレックスはやがて年を取ると
クラスメイトの羨望の眼差しへと変わる。
「いいな~、いつまでも若くて!」と何年経っても
なぜか同級生の間だけは若者なのだ。
パンフレットは、同じ体験を持つ同志を見つけるためである。
**********************
いっせいに花が咲き始める春は、大好きな季節だ。
誕生日が近づくせいもあるのだろうか。
今年は、寒さの厳しい冬となり、世相もなんだか厳しくて
あちこちで目に、そして耳に入って来るのは、嘆きつつも
「そんな世の中だからこそ、明るくいきましょう」という
合言葉のようになってしまったフレーズ。
最近は午後3時になると、区の放送が大音量で流れてくる。
「子どもたちがまもなく下校時刻です。
大人のみなさんは見守りをお願いします」
そして、町内の掲示板には蜂のイラストとともに、
「『8・3(はちさん)運動』を進めましょう!
朝の8時は登校時間、午後3時は下校時間です。
なるべく外に出て下さい。草木に水をあげるとか、掃除するとか・・・」
などと行動の具体例まで示してあるから驚きだ。
これからどんな世になってしまうのだろう・・・。
みんなが不安に思いながら日々暮らしている。
**********************
それでも私たちはきっと皆、負けずにたくましく生きていくだろう。
先日の新聞のコラムに梅の古い呼び名がでていた。
「風待草(かぜまちぐさ)」というステキな別名があるのだという。
“春風を待って咲く”からだという。
そして2月11日の建国記念日もその昔は「梅花節」とよび、
梅が咲いているあたりに漂うほのかな明かるさを「梅明かり」と
いう粋で風流な名前がついているそうだ。
先人たちもまた、きっと日々の暮らしや世相を案じながらも
過ぎ行く時を惜しみ、来る季節に心ときめかせていたのだろう。
前世が見えるようになって、人間は争い多き時代を
繰り返していることに改めて気づかされる。
それでもなお、私たちは花の蕾がふくらむことに心躍らせ、
やがていい香りに包まれる季節を待つことのできる
忍耐強さを秘めている。
寒さが厳しいほど、春の暖かさが心に沁みる。
私もまた先人たちと同様、春風がやがて
皆に吹くことを心待ちにしている。
パンフレットに「3月生まれ」と書いているのは、
実は深い意味がある。
昨日、友人の紹介です!とセッションにお越しになった方が、
「わぁ~、3月生まれなんですね!私もなんですよ!」と
目を通すなり真っ先にコメントしてくれた。
「ホントですか!!!嬉しいです。
その言葉を待ってました~!って感じです。」と
私もはしゃいで答えた。
3月生まれは結束力が強い。
まるで、同志に出会えたような、そんな不思議な感覚。
これは3月生まれの人しかわからないだろう。
4月生まれと11ヶ月も離れていることに
コンプレックスを抱き、みんなより1歩も2歩も
遅れをとっている自分を情けなく思うものだ。
あと1ヶ月遅く生まれていればな~と、
叶わぬ事実に夢を膨らませてみたりする。
その彼女も「3月生まれだから、走るのも遅いし、
背も低いのだと思っていました。」と、私とまさに同じ!
低学年の頃まで、勉強が出来ないのも3月生まれのせいにして
よく塾の先生から怒られていた。
「そんな言い訳は通用しないのよ!」と。
でも事実だもん、と心の中では反抗していた。
生まれ月のコンプレックスはやがて年を取ると
クラスメイトの羨望の眼差しへと変わる。
「いいな~、いつまでも若くて!」と何年経っても
なぜか同級生の間だけは若者なのだ。
パンフレットは、同じ体験を持つ同志を見つけるためである。
**********************
いっせいに花が咲き始める春は、大好きな季節だ。
誕生日が近づくせいもあるのだろうか。
今年は、寒さの厳しい冬となり、世相もなんだか厳しくて
あちこちで目に、そして耳に入って来るのは、嘆きつつも
「そんな世の中だからこそ、明るくいきましょう」という
合言葉のようになってしまったフレーズ。
最近は午後3時になると、区の放送が大音量で流れてくる。
「子どもたちがまもなく下校時刻です。
大人のみなさんは見守りをお願いします」
そして、町内の掲示板には蜂のイラストとともに、
「『8・3(はちさん)運動』を進めましょう!
朝の8時は登校時間、午後3時は下校時間です。
なるべく外に出て下さい。草木に水をあげるとか、掃除するとか・・・」
などと行動の具体例まで示してあるから驚きだ。
これからどんな世になってしまうのだろう・・・。
みんなが不安に思いながら日々暮らしている。
**********************
それでも私たちはきっと皆、負けずにたくましく生きていくだろう。
先日の新聞のコラムに梅の古い呼び名がでていた。
「風待草(かぜまちぐさ)」というステキな別名があるのだという。
“春風を待って咲く”からだという。
そして2月11日の建国記念日もその昔は「梅花節」とよび、
梅が咲いているあたりに漂うほのかな明かるさを「梅明かり」と
いう粋で風流な名前がついているそうだ。
先人たちもまた、きっと日々の暮らしや世相を案じながらも
過ぎ行く時を惜しみ、来る季節に心ときめかせていたのだろう。
前世が見えるようになって、人間は争い多き時代を
繰り返していることに改めて気づかされる。
それでもなお、私たちは花の蕾がふくらむことに心躍らせ、
やがていい香りに包まれる季節を待つことのできる
忍耐強さを秘めている。
寒さが厳しいほど、春の暖かさが心に沁みる。
私もまた先人たちと同様、春風がやがて
皆に吹くことを心待ちにしている。