【浅草橋・花楽堂】
22日から日本橋でいよいよグループ展がスタートする。
今日は、沖縄の作家から器が届き
ギャラリーで使いたい花器を選び、
配置場所を確認し、
そのあとメンバーのひとり、
花楽堂さんのお店に花を選びに行った。
あらかじめ、デザインの構想を決めておこうか迷ったのだが
やはり実際にすべてを確認してから
作品を考えよう、と思いまったく白紙の状態で、
ギャラリーとお花屋さんに向かったのだった。
****************************
そう、
すべては“出会い”と“流れ”にまかせよう、と思ったのだ。
まだ1度しか顔を合わせたことがないメンバーと
ひとつの空間で、ひとりの作家の器を使って、
それぞれのカラーを出しながら作品を作り上げる。
共通のキーワードは「花」
ただそれだけで、同じ時間を共有することになった。
いつも思う。
出会いは、今までバラバラに、違う道のりを歩いてきて
あるとき、キュっとひとつに集められる。
違うからこそ、ひとつに集められる。
ほんのわずかな、同じキーワードをたずさえて。
ほんのひと時でもう会わなくなることもあれば、
それがきっかけで、
ずっとずっと長く絆を紡ぐことになる場合もある。
ひとつの出会いが、どのくらいの時間を
ともに過ごすことになるのか
誰にもわからない。
気がついたら会わなくなる時もあれば、
どちらかの意思で、会うのをやめることもある。
お互いにそんなつもりがなくても
ある日突然、別れの時がやってくることだってある。
生きていく中で、
本人の意思とは関係なく
どうしようもない流れに翻弄され
やむなく中断せざるを得ないことや、
スタートせざるを得ないシチュエーションが
あるのはまぎれもない事実であるが、
それとは反対に、
周囲とはまったく関係なく、
純粋に本人の選択による意思決定をしていく
シチュエーションが大半を占めている。
いずれにせよ、
どんな状況下であれ
最後の最後は自分で選び取ることができる。
それが人生の法則だ。
****************************
オリンピックのアスリートたちを見ていて、
人が生きる姿と重ねあわせる。
肉体の極限と、
そして、精神的な強さ。
誰もが
自分の弱さと戦い、強くなることを目指している。
技は、繰り返し練習を重ねることで磨かれ
心は、挫折を味わい、壁を乗り越えていくことで
強くしなやかになっていく。
栄冠を手にする人に
苦しみがなかった人はいないと思う。
だからこそ、本当に輝き、
時に悔しさから号泣する。
失敗しても最後まで演技や競技を続けようとする姿に
人々は感動し、応援し、惜しみない拍手をおくる。
アスリートたちは口を揃えて言っている。
「みんながいたからここまでこれた。」
ひとりでは目標を手にすることは決してできない。
たくさんのサポートと声援があってこそなのだと。
観客を味方につけることで
実力以上のものが発揮できたり、
逆に会場の雰囲気に足がすくんでしまい
いつもの力が充分に出せないことだってある。
自分にひたむきに向き合って、
最後は応援よろしくお願いします!と言われると
たくさんのサポーターたちは、
その思いに共鳴し、プラスのエネルギーを送って
追い風となってくれる。
もちろん、時の運も大きく左右するが
周囲に翻弄されすぎずに、跳ねのけながらも
やわらかでいることができたら
いつもの力を発揮していくことができるのだと思う。
****************************
CMソングにも繰り返し流れているフレーズが
頭にこだまする。
「誰のせいでもないさ。
人はみんな鏡だから。」
敵味方に分かれて勝敗を決める競技とは違って
氷の上の大舞台で、
たった一人で演技する選手たち。
風も、雪も関係なく整った環境化で、
華麗なコスチュームで美しく舞う
フィギアスケートを見ていて、つくづく思った。
頼るべきチームメイトは誰もいない。
天候や風向きのせいにすることもできない。
じゃまをする相手すらいない。
言い訳なんかできない状況下が用意されている。
すべては自分。
たくさんの観客に見守られながら
はかりしれない重圧を背負って
ほんの数分の勝負に挑む。
もうやめようと思った。
できない。
と、言いながらもまた再び挑戦し始める
彼らの姿は、目的や方向がさまざまなだけで
人生の縮図そのものだと思う。
****************************
そして、
どんなに輝かしい成績を残したアスリートでも
やがてその選手生命を終えるときが訪れて、
次のステージを選ばなくてはならない時間がやってくる。
今までの経験を生かして
その枝葉を広げていくのか、
それとも、生まれ変わったように
イチから何かを始めていくのか、
最後は、自分で選び取らなくてはならない。
誰のための人生でもない。
自分のための人生だから。
だからおもしろい。
明日の私はどんな風になっているんだろう。
来年の私は、どこにいるのだろう。
未来の私に言いたい。
今日も精一杯生きるからね。
それしかできないけど。
でも、今を乗り越えるのは
今の私しかできないもんね。
****************************
だけど、
たくさんの選択肢や可能性の中から選び、
決定していく作業は難しいけれど
楽しい時間だと思う。
だって、
結果はどうであれ、
選んだ先には新しいことが生まれるでしょ。
それが、
やがて自分の経験となり
自信や確信につながっていく。
そして、
いつしか本当に向かいたい
方向が見つかっていくんだから
やっぱり、楽しい作業なのだ。
まあ、でも
いろんなコト抜きにして
私が一番好きなのは、
たくさんのお菓子の中から、おいしそうなのを選ぶときと、
いっぱいのお花の中から、きれいでカワイイのを選ぶとき
その時間がなにより幸せ
22日から日本橋でいよいよグループ展がスタートする。
今日は、沖縄の作家から器が届き
ギャラリーで使いたい花器を選び、
配置場所を確認し、
そのあとメンバーのひとり、
花楽堂さんのお店に花を選びに行った。
あらかじめ、デザインの構想を決めておこうか迷ったのだが
やはり実際にすべてを確認してから
作品を考えよう、と思いまったく白紙の状態で、
ギャラリーとお花屋さんに向かったのだった。
****************************
そう、
すべては“出会い”と“流れ”にまかせよう、と思ったのだ。
まだ1度しか顔を合わせたことがないメンバーと
ひとつの空間で、ひとりの作家の器を使って、
それぞれのカラーを出しながら作品を作り上げる。
共通のキーワードは「花」
ただそれだけで、同じ時間を共有することになった。
いつも思う。
出会いは、今までバラバラに、違う道のりを歩いてきて
あるとき、キュっとひとつに集められる。
違うからこそ、ひとつに集められる。
ほんのわずかな、同じキーワードをたずさえて。
ほんのひと時でもう会わなくなることもあれば、
それがきっかけで、
ずっとずっと長く絆を紡ぐことになる場合もある。
ひとつの出会いが、どのくらいの時間を
ともに過ごすことになるのか
誰にもわからない。
気がついたら会わなくなる時もあれば、
どちらかの意思で、会うのをやめることもある。
お互いにそんなつもりがなくても
ある日突然、別れの時がやってくることだってある。
生きていく中で、
本人の意思とは関係なく
どうしようもない流れに翻弄され
やむなく中断せざるを得ないことや、
スタートせざるを得ないシチュエーションが
あるのはまぎれもない事実であるが、
それとは反対に、
周囲とはまったく関係なく、
純粋に本人の選択による意思決定をしていく
シチュエーションが大半を占めている。
いずれにせよ、
どんな状況下であれ
最後の最後は自分で選び取ることができる。
それが人生の法則だ。
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オリンピックのアスリートたちを見ていて、
人が生きる姿と重ねあわせる。
肉体の極限と、
そして、精神的な強さ。
誰もが
自分の弱さと戦い、強くなることを目指している。
技は、繰り返し練習を重ねることで磨かれ
心は、挫折を味わい、壁を乗り越えていくことで
強くしなやかになっていく。
栄冠を手にする人に
苦しみがなかった人はいないと思う。
だからこそ、本当に輝き、
時に悔しさから号泣する。
失敗しても最後まで演技や競技を続けようとする姿に
人々は感動し、応援し、惜しみない拍手をおくる。
アスリートたちは口を揃えて言っている。
「みんながいたからここまでこれた。」
ひとりでは目標を手にすることは決してできない。
たくさんのサポートと声援があってこそなのだと。
観客を味方につけることで
実力以上のものが発揮できたり、
逆に会場の雰囲気に足がすくんでしまい
いつもの力が充分に出せないことだってある。
自分にひたむきに向き合って、
最後は応援よろしくお願いします!と言われると
たくさんのサポーターたちは、
その思いに共鳴し、プラスのエネルギーを送って
追い風となってくれる。
もちろん、時の運も大きく左右するが
周囲に翻弄されすぎずに、跳ねのけながらも
やわらかでいることができたら
いつもの力を発揮していくことができるのだと思う。
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CMソングにも繰り返し流れているフレーズが
頭にこだまする。
「誰のせいでもないさ。
人はみんな鏡だから。」
敵味方に分かれて勝敗を決める競技とは違って
氷の上の大舞台で、
たった一人で演技する選手たち。
風も、雪も関係なく整った環境化で、
華麗なコスチュームで美しく舞う
フィギアスケートを見ていて、つくづく思った。
頼るべきチームメイトは誰もいない。
天候や風向きのせいにすることもできない。
じゃまをする相手すらいない。
言い訳なんかできない状況下が用意されている。
すべては自分。
たくさんの観客に見守られながら
はかりしれない重圧を背負って
ほんの数分の勝負に挑む。
もうやめようと思った。
できない。
と、言いながらもまた再び挑戦し始める
彼らの姿は、目的や方向がさまざまなだけで
人生の縮図そのものだと思う。
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そして、
どんなに輝かしい成績を残したアスリートでも
やがてその選手生命を終えるときが訪れて、
次のステージを選ばなくてはならない時間がやってくる。
今までの経験を生かして
その枝葉を広げていくのか、
それとも、生まれ変わったように
イチから何かを始めていくのか、
最後は、自分で選び取らなくてはならない。
誰のための人生でもない。
自分のための人生だから。
だからおもしろい。
明日の私はどんな風になっているんだろう。
来年の私は、どこにいるのだろう。
未来の私に言いたい。
今日も精一杯生きるからね。
それしかできないけど。
でも、今を乗り越えるのは
今の私しかできないもんね。
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だけど、
たくさんの選択肢や可能性の中から選び、
決定していく作業は難しいけれど
楽しい時間だと思う。
だって、
結果はどうであれ、
選んだ先には新しいことが生まれるでしょ。
それが、
やがて自分の経験となり
自信や確信につながっていく。
そして、
いつしか本当に向かいたい
方向が見つかっていくんだから
やっぱり、楽しい作業なのだ。
まあ、でも
いろんなコト抜きにして
私が一番好きなのは、
たくさんのお菓子の中から、おいしそうなのを選ぶときと、
いっぱいのお花の中から、きれいでカワイイのを選ぶとき
その時間がなにより幸せ