■月初めに、KAORUがスイッチを入れて
その月に必要なメッセージをお届けします。
2010年7月をより快適に過ごすための
ヒントにして下さいね♪■
**************************
今月のキーワードは「セグメント」
日本語だと「区別」という意味。
7月に大切なことは、
外的要素のセグメント。
心理的要素のセグメント。
今まで、あいまいにしてきたことを
今一度、表面にひっぱりだしてしっかりと
区別していくこと。
人は時々、自分の感情と他人の感情の
境界線があいまいになる。
たとえばステージママの夢は
本当は自分がスターになれなかったから
その夢を子どもに託したいだけなのに、
子どもは親の喜ぶ顔が見たくて、
またはそれにそむくのは親を裏切るような気がして
ほかの夢を見ることができなくなってしまう。
そして、あたかも自分がそれを
望んでいるかのような錯覚に陥ってしまう。
だけど、その夢もいつの日か覚めるときが訪れる。
一緒になって、ごっちゃになってしまっていた
だけだったのだ、と。
本当の自分の思いは違う方向に
ベクトルが向かっていたことにやがて気がついてしまう。
そんな時、その夢を見させた人を
恨んでしまうのは、違うと思う。
気がついたときがベストタイミングだからだ。
でも、なるべくなら
ドツボにはまり込まないうちに
早めにセグメント体制にもっていきたい。
ひところ盛り上がっていた、
例の「事業仕分け」の
“個人バージョン”みたいなカンジだろうか。
アレはかなり感情抜きにビジネスライクな作業だった。
冷血のような、人間味に欠けるような、
あんまり見ていたくないようなシーンだったが、
癒着や馴れ合いや、グレーの部分を
淡々とあぶりだしていた。
本当は膿(うみ)と化していたのに
すっかり体の一部となって、麻痺していたものを
削り込んでいくような、そんな一連の動き。
**************************
あんなに激しい必要もないし
厳しくするのもなんの役にも立たない。
かえってコトを荒げて
よけいなエネルギーを放出してしまう。
自分のなかで静かにセグメントすればいい。
そして、
もう不要だな、って気がついたら
そ~っと潮が引くようにその場から立ち去っていく。
こっそり気配を消しちゃうのも一案だ。
今までの思いをぶつけてみたり、表現するのも
今回はなんだか違う。
さわらずそっとしていたほうが、
腫れのひくのが早いかも。
だけど、
これはゼッタイ!っていう思いがふつふつと
湧き上がってきたら、
それはもう、グ~っと押していくしかない。
アクセルとブレーキをしっかりと
認識していくことなのかもしれないし、
冷蔵庫で保管するもの、冷凍庫で凍らせておくもの、
常温でも大丈夫なもの、と分けていくような
作業に似ているのかもしれない。
今まで冷蔵庫に入れなきゃダメになっちゃう!と
思い込んでいたじゃがいもは、
あんがい表に出しておいたほうが、性に合っていて
かえって長持ちする、なんて場合もある。
つまり、感情抜きにした要素をしっかり把握してこそ
適切で快適な環境を作りあげることができるのだ。
2010年7月は、
感傷にひたっていることなく、
サクサクとミッションを進めてほしい。
いつまでも過ぎ去った歳月に浸って
進行方向を見失っている時間は、
もう完全に終わったのだということを
しかと受け止め、
次なる目的地に向かうための準備にはいる。
だから、しっかり区別する。
自分の気持ちが、他人の思いや期待と重なっていないか
ばっちりチェック。
以前は大切だったけど、
今はもう違ってきていることも、迷わず認める。
そして・・・
少しずつ近づいていこう。
本来、夢見ていたこと。
自分自身に、誓ってきたこと。
その月に必要なメッセージをお届けします。
2010年7月をより快適に過ごすための
ヒントにして下さいね♪■
**************************
今月のキーワードは「セグメント」
日本語だと「区別」という意味。
7月に大切なことは、
外的要素のセグメント。
心理的要素のセグメント。
今まで、あいまいにしてきたことを
今一度、表面にひっぱりだしてしっかりと
区別していくこと。
人は時々、自分の感情と他人の感情の
境界線があいまいになる。
たとえばステージママの夢は
本当は自分がスターになれなかったから
その夢を子どもに託したいだけなのに、
子どもは親の喜ぶ顔が見たくて、
またはそれにそむくのは親を裏切るような気がして
ほかの夢を見ることができなくなってしまう。
そして、あたかも自分がそれを
望んでいるかのような錯覚に陥ってしまう。
だけど、その夢もいつの日か覚めるときが訪れる。
一緒になって、ごっちゃになってしまっていた
だけだったのだ、と。
本当の自分の思いは違う方向に
ベクトルが向かっていたことにやがて気がついてしまう。
そんな時、その夢を見させた人を
恨んでしまうのは、違うと思う。
気がついたときがベストタイミングだからだ。
でも、なるべくなら
ドツボにはまり込まないうちに
早めにセグメント体制にもっていきたい。
ひところ盛り上がっていた、
例の「事業仕分け」の
“個人バージョン”みたいなカンジだろうか。
アレはかなり感情抜きにビジネスライクな作業だった。
冷血のような、人間味に欠けるような、
あんまり見ていたくないようなシーンだったが、
癒着や馴れ合いや、グレーの部分を
淡々とあぶりだしていた。
本当は膿(うみ)と化していたのに
すっかり体の一部となって、麻痺していたものを
削り込んでいくような、そんな一連の動き。
**************************
あんなに激しい必要もないし
厳しくするのもなんの役にも立たない。
かえってコトを荒げて
よけいなエネルギーを放出してしまう。
自分のなかで静かにセグメントすればいい。
そして、
もう不要だな、って気がついたら
そ~っと潮が引くようにその場から立ち去っていく。
こっそり気配を消しちゃうのも一案だ。
今までの思いをぶつけてみたり、表現するのも
今回はなんだか違う。
さわらずそっとしていたほうが、
腫れのひくのが早いかも。
だけど、
これはゼッタイ!っていう思いがふつふつと
湧き上がってきたら、
それはもう、グ~っと押していくしかない。
アクセルとブレーキをしっかりと
認識していくことなのかもしれないし、
冷蔵庫で保管するもの、冷凍庫で凍らせておくもの、
常温でも大丈夫なもの、と分けていくような
作業に似ているのかもしれない。
今まで冷蔵庫に入れなきゃダメになっちゃう!と
思い込んでいたじゃがいもは、
あんがい表に出しておいたほうが、性に合っていて
かえって長持ちする、なんて場合もある。
つまり、感情抜きにした要素をしっかり把握してこそ
適切で快適な環境を作りあげることができるのだ。
2010年7月は、
感傷にひたっていることなく、
サクサクとミッションを進めてほしい。
いつまでも過ぎ去った歳月に浸って
進行方向を見失っている時間は、
もう完全に終わったのだということを
しかと受け止め、
次なる目的地に向かうための準備にはいる。
だから、しっかり区別する。
自分の気持ちが、他人の思いや期待と重なっていないか
ばっちりチェック。
以前は大切だったけど、
今はもう違ってきていることも、迷わず認める。
そして・・・
少しずつ近づいていこう。
本来、夢見ていたこと。
自分自身に、誓ってきたこと。