6月28日(日)より
母:はるこーぉ、何したらええんやろ?
娘:自分のしたいことしたらええやないの。
母:それがさ、何したら役に立つんやろと思ったら、
わけがわからんようになってくるんやわ。
娘:役に立たたんでもええやん。
今、自分のしたいことしようよ。
母:そうやなあ、役に立たんでもええなあ。
娘:85年ずっと役に立ってきたんやもん。
ニコニコとおれたら、十分よ。
だから、無理に役に立つことしようと思わなくてもいいんやない?
母:あれ~、そう言うてもらうと、気が楽やわぁ。
娘:で、今何がしたいの?
母:今なあ・・・そうやあなあ・・・・
じっと考えている母を残して、私は別の部屋に行った。
しばらくして、戻ってきたら、
母は、ゆっくり丁寧におもむろにテープルの上を布巾で拭いていた。
娘:あれ~、きれいにしてもらって、ありがとう!
母:あれ~、嬉しいわ。
ほな、一休みしてくるわな。
母は、ベッドに横になると、すぐ眠りについた。(^_^;)
「考えて、自分で一つのことをする」
これが、母にとっては大仕事なのだろう。
「役に立ちたい」と望むからこそ、指示を待つ。
しかし、「役に立たなくていいよ」と言われると安心する。
安心して指示されずにしたことは、「役に立つ」ことだった。
母に
「役に立つように」という心持が身についていたからだろうか。
そもそも人間というもが、
「役に立ちたい」と思い行動する生き物だからだろうか。
母に
人間というものに
愛しさがこみ上がってくる。