頑固爺の言いたい放題

森羅万象なんでもござれ、面白い話題を拾ってレポートします。

なぜ日本のご飯は美味しいのか

2017-12-05 17:55:10 | メモ帳

「なぜ日本のご飯は美味しいのか」(扶桑社)の著者はシンシアリー氏。名前の英語表記は見たことがないが、多分 Sincere Leeだと推測する。英文の書状の末尾のことば Sincerely (真心こめて)とかけてあるのだろう。

同氏の著作は、「韓国人による恥韓論」に始まり、本書で第7作目になる。本業は歯医者で、韓国に居住して執筆していたが、今年になって日本に移住した。かなり厳しく韓国の思想的欠陥を批判しているから、生命の危険があるのではないか。ただし、本人は日本移住の理由を単に「日本が好きだから」としている。

私は、最初の「韓国人による恥韓論」を読んでLee氏の博識ぶりと中庸を得たものの考え方に共鳴して、同氏の著作を全部読むことになった。ただし、この2-3年の著作は種切れ感があり、理屈っぽさに辟易し、時には数ページ飛ばして読むこともあった。その点で、この「なぜ日本のご飯は美味しいのか」はこれまでの著作とはスタイルを異にし、純粋な比較文化論であるので、スイスイとよどみなく読み進めた。

さて、タイトルの「なぜ日本のご飯は美味しいのか」の“ご飯”について説明しておきたい。この“ご飯”とは“食事”という広義のご飯ではなく、狭義の茶碗によそった白いご飯そのものを指す。

日本人が当たり前だと思っていることが、外国人の目から見れば当たり前ではない、ということはよくあるわけで、“ご飯”の美味しさもその一つである。リー氏はこの命題に焦点を当てて、その理由を掘り下げている。

本来、韓国のコメは日本のコメよりも品質的に優れている(と韓国人は考えている)。それにもかかわらず、炊いたご飯の味となると、日本の方が格段に美味しい(これは韓国人の一致した意見)。リー氏は、日本のご飯の方がおいしい理由をさまざまな角度から導きだしている。

(1)   稲の栽培において、質より量を重視する

(2)   コメの評価方法が画一的で、品質の良さが評価されにくい。

(3)   韓国料理では強い味つけが好まれる。ご飯はその味を中和させる役割を果たせば十分で、ご飯そのものの味はなおざりにされる。

(4)   韓国人には「おもてなし」の心が欠けている。

ところで、本書は“ご飯”のことばかり書いているのではない。いいか悪いかは別として、日韓文化の違いを多角的に論じている。例えば、職業観。日本では創業百年の蕎麦屋があり、リスペクトされる存在だが、韓国では飲食店経営は社会的敗者の職業である。飲食店経営のみならず、社会的支配層とされる政治家、財閥企業の幹部、医者・弁護士など以外は負け犬の職業とされる。

本書に限らず、比較文化論においては、往々にして日本文化を礼賛することになるが、著者たちは出版社の意向で、日本人に迎合することにより売れ行きがよくなるように仕組んでいるのではないか、日本人に耳が痛いことは避けているのではないか、という疑いが生じる。

同じことを考える人がいるらしくブログによれば、「日本人を批判することがあってもいいのではないか」という意見が寄せられたことがあるという。しかし、リー氏は「日本(人)をけなす気分になったことはない」という。

今後発表する著作では、日本(人)批判も書いてくれるよう期待する。