前々回は加地伸行氏の論考にケチをつけたが、今回はその逆である。
4月19日付けの産経新聞に掲載された阿比留瑠比氏の“極言御免”というシリーズに次の記述があった。
性的少数者(LGBT)全体への支援には疑問を呈した自民党の杉田水脈(みお)衆院議員が、東京都杉並区で統一地方選の応援演説を行った際、30-40人の集団に取り囲まれた。杉田氏によると彼らは、顔面すれすれまで近づいて「辞めろ」「何か言ってみろ」などと罵声を浴びせ、杉田氏の声はまったく通らない状態だったという。
この部分は、政治家の態度を批判する阿比留氏の小論の一部であり、LGBT問題はキモではない。しかし、私は杉田議員の「LGBT(レズビアン、ゲイなどの一般人とは異なる性癖を持つ人々の総称)は子供を作らない。だから生産性がない」という約1年前の発言に共感するので、「問題発言から1年も経つのに、まだこんな理不尽な考え方が罷り通っているのか」と残念に思い、まず阿比留氏の小論の部分的引用から今回の議論をスタートする次第である。
杉田議員を集団で脅迫した行為は、選挙妨害であり、言語道断である。それはさておき、動物が子孫を残そうとするのは自然の摂理であり、動物の本能である。したがって、子孫を残そうとしないLGBTの人々は、子孫の繁栄を願うという見地では生産的ではない。1年前に、このごく当たり前のことを指摘しただけの杉田氏がマスコミや野党から猛烈に非難されたとき、私は異常性癖者に対する人権擁護が過剰だと感じた。しかし、世の中の大勢は反杉田であり、私は異端者だと受け止めた。
ところで、杉田氏は国連の人権問題委員会で演説し、慰安婦の拉致はなかったことを明確にした人物である。日本の名誉を守ってくれたわけで、その行動力には感服している。そういう背景があるから、“生産性”発言に共感したのは、私の贔屓目によるものだったかと、自分の考えに自信がない部分があったことは否めない。
そこに、まさしく“我が意を得たり”と言うべき意見に出会った。それは、加地伸行氏の「続マスコミ偽善者列伝」の中の“杉田議員辞職を強要するファシズム” (158ページ)というサブタイトルの論考。加地伸行氏もLGBTに関しては、私と同じ意見であることを知り、私の考えが“贔屓目”によるものではないとわかって、安堵した次第である。
その加地氏の主張とは、大略次のようである。
~杉田議員は、このLGBTは子の出生とは縁がないから「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない」と主張している。この主張、その通りではないか。
この主張に対して、もし反対意見があれば堂々と反論すればいい。ところがなんと、多数の人々が抗議をし、果ては議員辞職を求めた、と伝えられる。(中略)
杉田議員が法的あるいは道義的不祥事を犯したというのならばともかく、堂々と述べた論説に対して、いかなる根拠・理由をもって辞職を要求できるのか。(以下略)
加地氏が主張するように、論争せず、集団で脅迫的に迫るのは理不尽である。冒頭に引用した杉並区のケースを予見している感がある。
杉田議員はこれにめげず、今後も自分の信ずるところに沿って活躍してもらいたいものである。