今年3月、「産業遺産情報センター」が開所した。ところが、韓国は「その展示内容は歴史的事実を歪曲している」という理由で、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の登録取り消しを求めている(6月22日)。
この件で、加藤康子センター長が「韓国が早速クレーム『産業遺産情報センター』」というタイトルの論考を「月刊HANADA」9月号に寄稿している。その論考の中で、爺が興味を持った二点について論じたい。
●共同通信の批判
加藤氏の論考によれば、共同通信は同センターを最近、次のように批判した(赤字)
日本が朝鮮半島を植民地支配していた当時の軍艦島では、多くの朝鮮人労働者が非道な扱いを受けたとされる。政府の取り組みには、こうした定説を「自虐史観」とみて反論する狙いがある。過去の事実を覆い隠し、歴史修正主義を助長するとの批判を招きそうだ。
共同通信は、“日本は嘘で固められた定説をそのまま受けいれるべきだ”と主張しているわけで、そんな理不尽な話はありえない。加藤氏が「事実誤認や歪曲がある場合には、資料や証言により、適宜修正したい」と述べているのは当然である。
●朝日新聞に騙された元軍艦島々民
矢野秀喜氏(2015年に日本が軍艦島を始めとする産業遺産登録をユネスコに申請した際、現地で反対運動を繰り広げた人物)が2名の同伴者ともに(後述)、センターを来訪して会談した際の会話を加藤氏の論考から引用する。(赤字)
軍艦島で差別、虐待のようなことはなかったと説明する私にたいして、矢野氏はこう反論してきました。
「でも端島労働組合書記長だった人が*、『軍艦島は地獄島だった』と書いている」
「私はその方にも証言を訊きましたが、『取材にきた朝日新聞の記者に騙された』と言っていますよ」
「え!?」
*(注)端島は軍艦島の正式名称
この組合書記長だった人とは、元島民の多田智博氏(92歳)である。多田氏の証言は長いので、かいつまんで引用する。(青字)
端島炭坑閉山20周年(1994年)に360人の仲間が集まったとき、朝日新聞の若い記者がやってきて、取材を申し入れ、端島の写真を貸してくれるよう依頼してきました。しかし、私はその依頼を断りました。なぜなら。新聞記者は端島を紹介する記事を書くと、かならず朝鮮人を虐待したなどの嘘を書くからです。
しかし、その記者は「朝鮮人を虐待したなどとは書きません」と固く約束し、何度も熱心に頼むので、つい写真を貸してやりました。
ところが、記事には朝鮮問題が大きく載っていたんです。僕は朝日新聞に電話で抗議したんですが、全然取り上げてもらえず、そのうちその記者は転勤になりました。何年か経って、その記者から手紙が来て、「(記事の内容は)私の本意ではなかった。上司が勝手に付け加えた」と書いてありました。僕はそれ以降、朝日新聞は読まないことにしました。
爺の想像だが、その記者の上司が「軍艦島は地獄島」と勝手につけ加え、矢野氏はそれをそのまま信じ込んだのだろう。そう考えると、全体のつじつまが合う。そもそも、閉山20周年の集いに360人も参加するということは、当時の生活を懐かしんでいるわけで、「地獄島」と言われるほど、仕事が苛酷だったわけではないことの証左である。
日本のマスコミには戦争への贖罪意識が異常に強く、戦前の日本を悪魔化することが、朝日に限らずマスコミの一般的風潮になっているのではないだろうか。冒頭に述べた共同通信が主張している「定説」は、こうした風潮によって形成された虚構の歴史だと考えられる。
ところで、矢野氏と連れ立っていた二名の人物は、加藤氏との会談の際、名前と所属組織名を言わなかったが、後日入館の際の署名から調べた結果、朝日新聞と共同通信の記者だったことが判明したという。この二社は産業遺産登録を邪魔した人物と連帯意識があるのだろうか。釈然としない話である。
蛇足だが、元軍艦島で幼少期を過ごした在日韓国人の故鈴木文雄氏(1933~2019)の証言が下のURLに記録されている。当時の軍艦島における日常生活がわかる貴重な動画である。ご参考まで。
https://www.youtube.com/watch?v=UYG158Xh6cc