本日(5月10日)の読売新聞によれば、コロナに対する政府の施策を評価する人は24%しかいないという。だが、爺の見るところでは、コロナの感染拡大が止まらないのは、国民にこらえ性がないことが主な理由だと思う。
コロナに感染して困るのは国民自身である。政府がなんと言おうが、自分で判断すべきだが、政府を批判することで責任逃れをしている感がある。
政府もマスコミも国民が悪いと言えば、批判を浴びるのは明らかなので、絶対にそうは言わない。この状態は去年にもあったような気がして、昨年の今頃のこのブログを調べたら、やはりあった。デジャヴである。
以下、反省の意を込めて、昨年5月9日の「安倍首相のバカ丁寧な言い回し」を再録する(青字)。
安倍首相の国民向けの演説には「お願いします」という言い回しが多用される。4月7日の緊急事態宣言の時も、その延長に関する5月8日の演説も同様だった。
頑固爺の認識では、国民に対し、国民のためになる行動(この場合は生命を守ること)を要請するのに、「~お願いします」とへりくだる必要はなく、「~して下さい」で十分である。一度や二度ならなら我慢するが、何度も繰り返されると煩わしくなる。丁寧は結構だが、過度に丁寧な表現は聞き苦しく、迫力を弱める。その極めつけは次の一節。
「緊急事態解除に当たっては、基準をお示しさせて頂きつつ、進めていきたいと考えます」
中略
そもそも「~させて頂く」は、謙譲語だった。「では、お言葉に甘えてそうさせて頂きます」はその典型的用法であり、相手の意向を尊重して行動しますというニュアンスがある。ところが、この「~させて頂く」がなぜか、単なる丁寧語に変化したのである。
丁寧に言うこと自体は悪いことではない。しかし、度が過ぎると冗長になり、発言全体の意味合いが違ってくる。「~したい」という強い意思を表明したいとき、「~させて頂きます」では遠慮するニュアンスがあり、強い意思が感じられなくなる。ちなみに、冒頭に掲げた首相の発言では「お示し」の「お」も、丁寧であることを示す接頭語であり、丁寧語過剰である。この例では「緊急事態解除に当たっては、基準を示しつつ進めていきます」で十分である。
横道にそれるが、この「~させて頂く」は安倍首相特有の言い回しではなく、小池都知事も多用する。また、政治家から企業のトップ、TV番組の司会者、芸能人にいたるまで、あらゆる階層の人々に広く使われるようになった。
なぜ、こんなバカ丁寧な言い回しが定着したのか。爺の想像だが、選挙運動の時に、候補者が票欲しさに有権者におもねって使い始め、当選してからもそれが口癖になったのではないだろうか。そして、政治家の言い回しを他の分野の人々が真似てきたのではないか。さらに、人権擁護が行き過ぎて、公益と私権のバランスが崩れたこともあるだろう。
なぜ長々とこんなことを言うかといえば、今回のコロナ騒動における施政者の外出自粛の要請があまりにも丁寧であるために「お願いベース」の印象が強くなり、国民が“その程度のことならば、自分ひとりぐらいは従わなくてもいいだろう”と受け止め、パチンコ屋に行ったり、近所の商店街に毎日繰り出したのではないだろうか。風俗店を訪れた国会議員もいたようだし(笑)。その結果、感染者の数が期待したほど減らなかったのだと思う。
もちろん、首相が外出自粛の要請に丁寧な表現を使った理由は、憲法に私権を制約する条項がないこともあるが、首相が国民に語り掛ける時には、常に言葉使いが過剰なくらい丁寧だから、憲法の制約だけが理由ではないことは明らかである。
一般論として、施政者が方針を述べるときに、「お願いベース」よりも「命令ベース」の方が国民にとってわかりやすい。そのためには、「~させて頂く」などの言い回しはやめ、「~をお願いします」を「~して下さい」に変えるだけで十分だ。そうはいっても、支持率が気になるし、次の選挙も心配だから、政治家が言い回しを変えることはないだろう。
ではどうするか。われわれ国民が施政者たちのアホな発言に惑わされることなく、それぞれの事案の本質を見極め、自分にとってベストな方向を選択すればいいのである。ただし、そうするには常時、政治に関心を持ち、十分に理解していることが必要であることは言うまでもない。