つい最近、TVのニュースショウに出演した高市早苗氏が「靖国神社を参拝させて頂きました」と言った。これは「靖国神社に参拝しました」で十分であり、「させて頂き」は余計である。少なくとも、この英訳は不可能であり、不要である。
敬語は日本の文化である。しかし、過剰に丁寧だと発言者の確固たる意思が曖昧になるし、冗長である。そもそも、「させて頂く」は「お言葉に甘えてそうさせて頂きます」のごとく、相手または関係者の意向に沿って行動するという謙譲的表現だったが、最近はただの丁寧語になった。それはそれでやむをえないが、乱用は誤解を招くから慎むべきである。
「させて頂く」を乱用する代表的人物は安倍晋三氏だが、安倍氏に限らず、政治家全員が然りである。選挙演説の時に立候補者が有権者に阿るためにバカ丁寧な言葉使いをするから、それがいつしかそれが口癖になったと思う。だから、国民全員がその真似をして、「させて頂く」をごく日常的に使うようになり、謙譲語が単なる丁寧語に変化した。
さて、爺は高市氏が次の総理大臣としてもっとも適任だと評価している。その理由は、同氏の経済政策が現状ではもっとも適切であること、そして国家観がしっかりしていてぶれないこと、である。
以前、このブログで次の総理大臣の適任者として河野太郎氏を挙げたことがあるが、いくつかの理由により撤回する。その理由を述べると長くなるので省略するが、その一つはおやじさんの「河野談話」を踏襲すると明言していること。せめて、“検討課題”にしてほしかった。
脱線ついでに、石破茂氏の態度を論評したい。「出馬するかどうかは白紙です」と言い続けているが、その態度は決断力に欠けることを意味する。いざという時、こんな人物が総理では即座に対応しかねるのではないかと懸念する。
本題に戻る。一部の国民が外出自粛に応じない件で、マスコミが「菅首相の言葉が国民に届いていない」と批判した時、爺は「悪いのは国民だ」と述べたが、菅首相の言葉使いが丁寧すぎて、迫力に欠けた部分もあったと思う。だからといって、高飛車な言い方でもマスコミは批判するだろうから、その塩梅は難しいことではあるが。
ともかく、日本の政治家は「させて頂く」に限らず、言葉使いが丁寧すぎる。特に、総理大臣ともなれば、もっと上から目線の命令口調でいい。もし、高市氏が総理大臣になった暁には、ぜひ言葉使いを見直して頂きたいものである。