最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

個人情報

2005-10-05 18:05:30 | Weblog
最近は個人情報はどんなものでも、秘密にされることが多くなり、
自分自身も住所、氏名、年令、電話番号など書く欄があると
「これって書いていいものなのかしら?書く必要があるのかしら?」
等と非常に気を遣う。

先日の国勢調査も、細かい個人情報を書き込んだ。
個人情報を集めて統計を取ることが目的だから、当たり前のことだ。
個人情報保護が言われ出して、自分も含めてだが、
一人一人が個人情報を明かすことに
非常に抵抗感を持つようになった。
確かに細かすぎて正確には分からない質問も多いが、
こんな個人情報正確に書く必要はないと全くいい加減に書けば意味のないものだ。

ネット上でもたびたび問題になるが、名前も住所も年令も性別も明かさず
行動するようになると、無責任になり、明かして危ない目に遭うより、
明かさないことによる危険の方が多くなるような気が私はする。

今朝のニュースでも、災害時、一人住まいのお年寄りを助けるために
一人住まいのお年寄りが住んでいる住宅のマップを作ろうとしたら、
そういう個人情報マップなど作っては危険だということになり、
作ることができなかったというのがあった。
作ることと、作らないこととどちらが我々にとって有用だろう。

昔の社会では、この辺り(東京杉並)でも、義母など、ご近所の
家族何人、ご主人のお勤め先は、だいたいの年令、どこ出身…
まーよく知っていた。結婚してここに住んで、そういう話を聞かされると
そんな関係って煩わしくていやだし、面倒くさい気がして、
そういう話が出るととてもいやな気がした。
でも、今ではご近所中、息子の代になり、どこにお勤めしているのか
お嫁さんはどこから来た人なのか、孫は何人なのか等殆ど分からなくなった。
家の前を通る子どももどこの子か、学校の名簿もなくなったので分からない。
地域コミュニティーって、こんな状態では作ることはできない。

人は知り合えば、名前や住所、年令などまず知ってつきあいを始める。
周り中、沢山の人がいながら、何も分からない。
これって、非常に危険な状態のような気がする。
個人情報を明かさない社会って果たして安全に近づくのだろうか?
コメント (2)
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