最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

Jリーガー誕生

2007-01-17 21:44:51 | 小川佳純

昨夜遅く、読み聞かせグループで一緒に
活動していた友人から久しぶりにメールが来た。
息子がついに名古屋グランパスエイトに入り
Jリーガーになったというものだった。
覚えている人がいるだろうか?
今から四年前、全国高校サッカーの決勝戦
あの平山相太くん(現在はFC東京かな?)のいる
国見高校と市立船橋高校の対戦。
後半、コロコロっと転がったこぼれ球を30mのロングシュート。
その1点で市立船橋高校が優勝した。

Jリーガーになったというのはそのロングシュートを決めた小川佳純くんだ。
彼は小さい時からサッカーが得意で大好き。
昔、まだ佳純くんが小さかった頃、彼女の家に行った時、
「佳純がこう言うの。『お母さん、ぼく大きくなったら何になると思う?』
だから私は言ったの『そうねぇ、佳純は運動が得意だから体操の先生かしら?』
そしたら『どうして~?Jリーガーってのはダメなわけ~?』っていうのよ。
でもね、あの子、身体も小さいし、Jリーガーなんて無理よね」

彼女自身も運動大好き人間だし、何より佳純くんはサッカー大好きで
小学生の頃から夜遅くまで、クラブチームに入って練習していた。
高校進学の時、何度か迷っていることを聞いた。
佳純君は勉強も良くできたし、サッカーも得意。
さて、サッカーに人生を賭ける事はどうなのだろう?
親子でさんざん話し合って出した結論が、市立船橋進学だった。
市立船橋高校はサッカーの名門であるが、体育科の他、普通科もあり、
大学進学者も多い。そこで彼は普通科に入り、勉強をしながら、
サッカー一流高校でサッカーを続けることにしたのだ。
しかし、住まいは東京の杉並である。サッカーの名門ともなれば、朝練もある。
それに間に合うためには始発電車でも間に合わない。
彼女が途中まで車で送っていき、朝練に参加していたそうだ。
3年間よくそんなことができたものだ。
私は、最初失礼ながら佳純くんはレギュラーにもなれないのではないかと思っていた。
だって、地域でちょっと上手でも全国レベルで通用するって大変なことですもの!

でも、あの決勝戦に出ることを知って、テレビの前で正座して見ていた。
前半戦、何度か彼は足を痛めて「大丈夫かしら?」と思う場面があった。
しかし、あのシュート!!!思わず
「やったーっ!!!!」と叫んで、彼女に祝電を打ってしまった。

その後、彼はJリーガーにならずに明治大学に進学した。
明大のグランドは家のすぐ近く、
「サッカーは続けているけど、通うのは楽でいいわ!」と言っていた。
今年卒業だと思っていたが、ついに念願果たして、Jリーガー!!!

よしっ!名古屋グランパスエイト応援するぞ!!
皆さんもよろしく!!!!


コメント (2)
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