最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

生と死

2011-06-21 15:45:38 | 医療と健康


先週の木曜日に甥っ子のところに赤ちゃんが生まれました。結婚してから子どもがほしくても、なかなか恵まれず、
待ちに待った待望の赤ちゃん、女の子でした。
日曜日、19日に生まれたてほやほや赤ちゃんを

ちょっと拝見させてもらってきました。
今時、無痛分娩はふつうで、麻酔を使うので、
少し大きいと分娩に時間がかかって、
最後は帝王切開になることが多いとか…
帝王切開も本当に後が楽だそうで、
ママはもう元気にすたすた歩いていました。
二人で必死につついて、目を覚まさそうとするのですが、
迷惑そうに片目を開いて見せてくれただけでした。
本当に幸せそうな新米パパとママ!心が温かくなる光景でした。

そして、その後…
母の妹である叔母の容態が悪いと聞いたので叔母の家にまわりました。
母と同じ膵臓癌を宣告されて丸一年。
訪問医が付き添っていましたが、とても苦しそうでした。
意識もはっきりとはせず、私のこともわかったか…?
それでも、寝ていると苦しいから椅子に座りたいようなので、
みんなで車椅子に移したり、又やはり横になりたいと言うのでベッドに移したり…。
色々はっきりしない言葉でしゃべっていました。覚醒はしていました。
そして7時過ぎ、眠れるように薬を入れました。
呼吸は苦しそうでしたが、だいぶリラックスして眠りました。
ドクターはとても危険な状態だから、明日朝一番で又来ますとおっしゃって帰られました。
私はそこで晩ご飯をご馳走になり、8時に帰りました。
「これは大変そうだなぁ!」と思いつつ…

昨日早朝、私の帰った2時間後くらいに息を引き取ったことを知らされました。
きれいに死化粧を施された叔母は10歳以上若返っていました。
前の日の苦しさはまったく感じられないほど、本当に本当に安らかな顔でした。、
「よく頑張ったのね!もうゆっくりお眠り下さい」と声をかけました。

この一年、本当にすさまじい闘病生活でした。
決して諦めず、最後まで自分らしく有意義な生活を送ろうという迫力、
結婚もせず、仕事一途で自分たちで作った会社を最後まで(82才)で見守って…
記念館を心配して…
並の人間ではありません。

時代は流れていくんですね
……………

コメント (6)
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