鹿児島旅行2日目(12/2)美山で薩摩焼を堪能した後,、 「薩摩藩英国留学生記念館」に行きました。 ここは、2014年7月に開館した比較的新しいものです。 串木野から海沿いの道をだいぶ走った、いちき串木野市羽島にあります。 「こんなに離れた海岸に記念館があるのだから、多分ここから、行ったんだね」 と話していたらその通りでした。 薩摩藩英国留学生って知らない人も多いと思いますが、 薩摩藩は、生麦事件をきっかけに起きた薩英戦争で、 西洋の進んだ技術を目の当たりにして、 英国と和睦し、軍艦購入の周旋を依頼して、 留学生を派遣することにします。 |
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当時はまだ、鎖国をしていたので、留学生たちは、 密かにこの羽島の沖から、英国に向かったそうです。 (詳しくはこちら→「薩摩藩英国留学生の歴史」薩摩藩英国留学生記念館) 一行は、4名の視察員と15名の留学生。 朝ドラでディーンフジオカが演じて有名になった五代友厚、明治政府の初代文部大臣 森有礼も一員です。 留学生は、ロンドン大学のユニバーシティーカレッジの法文学部聴講生として入学し、懸命に学びました。 最年少、13歳だった長沢鼎は、年少のため大学に入学できず、 幕末、長崎で武器商人として活躍し、この留学生派遣に協力したトーマス・グラバーの実家に身を寄せ、 近くの中学校に通い、地元の新聞に名前が載せられるほど、優秀な成績を修めたそうです。 その後、薩摩藩が経済的に苦しくなり、仕送りが途絶え、留学生たちは困窮し、帰国したり、 伝手を頼って、アメリカに渡ったりしました。 長沢鼎もアメリカに渡り、一人だけ永住し、 カリフォルニアでのワイン醸造を成功させ、人々に「ブドウ王」と称されました。 この話は、1983年にレーガン大統領が来日した際、国会での演説の中で紹介し、有名になりました。 残念ながら、今年10月に起きたカリフォルニア州サンタローザの山火事で、記念施設やブドウ畑がある醸造所が焼けてしまったそうです。 「ショックだった」カリフォルニアの山火事、鹿児島で支援の動き “ブドウ王”がつないだ縁~西日本新聞~ (鹿児島旅行最終日につづく) |