最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

お便り

2005-11-16 18:05:26 | 医療と健康
10月27日の「外来診察と赦せない話」で書いた、脳腫瘍で手術をした、
Mさんから今日お便りと手作りのペンケースをいただいた。

10月末に無事退院されて、2週間ほど放射線治療を受けたということだ。
体調も問題なく、まったく普通に元気に生活なさっているとのこと。
本当によかった!

「経験者のお話、一番心強かったです」って書いて下さった。
私とは違う手術ではあったけど、同じ病院で、同じ頭の手術だったので、
脳外科に長くかかっていて、それなりに(?)情報もあったりして、
病室でおしゃべりしたこと、とても喜んでくれたようで嬉しい限りです。

病気になって、特に手術なんてことになると、病気の苦しさに不安感がプラスされ、
病状にも影響が出ることはあると思う。
こんなにお礼を言われてしまうと照れちゃうけど…

見舞ってくれた人や医師に病気の経過報告は、
良くても悪くても(もちろん良い時はしやすいが…)
できるだけ、したいものだ。
医師も良くなった報告をすると本当に喜んでくれる。
自分自身も喜び合える人は一人でもたくさん欲しいものだ。
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2 コメント

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枕を並べた仲・・ (R・S)
2005-11-18 11:34:18
お便り・・を読んでいて思い出したことが・・。



私こと、病院に入院すると病院友だちができる!

今も付き合っているふたりとは40年の長きに亘っているのだから半端じゃない!

昔、勤務についてすぐの頃アキレス腱断裂で虎ノ門病院整形外科に入院縫合手術を受けた。



3人部屋でのふたりは椎間板ヘルニアの手術。

当時3人娘で2歳上と1歳下。

以来、この面々はお互い結婚し、こどもが生まれても勤務は続き・・つくばの研究所と宮内庁御所勤務。大互い全員が退官した今も便りor時には会って会食&chatでの仲は延々続いているって・・考えてみるとちょっとすごい気がする!



もうひとつ201の会。

これは私が虹彩炎でK病院に緊急入院したとき

外科病棟201号室にいれられた時に始まった。



病室には近隣の方々で、5歳上、5歳下、その5歳

下と、私を挟んで20歳の開きがあったが、他の全員が専業主婦の方々だった・・。私は勤務で飛び出す生活で近くに友人が皆無・・、お仲間にいれてもらって・・以来17年、これまた枕を並べた仲・・。



されど、そのとき入れられたのは癌病棟で乳癌

ふたりと子宮ガン。



手術前夜、隣からのすすり泣きで眠れぬ夜もあった・・。そして・・全員が退院して、第1回目

の全快祝いを病院が隣にあるという地の利から

拙宅で・・。

以来、月1回お互いに回りもち・・から、半年、

1年と間は開くようになって、ときには1泊の旅

etc。

お互いこどもが結婚してお祝いをし合い・・孫が出来・・と・・、人生の生き死にの狭間をのぞいたという仲間の絆は深く・・これも、17年を過ぎ平成と同じだからもうすぐ18年目に入るって

いうのって生半可なことじゃないと思いません?!。



という具合に、それぞれながら人との巡り合いには人生そのものが重なって見える・・、お互い健康でこの歳月枕を並べた仲が全員健康でいられるのというのは、思えばなんと嬉しいことではないだろうか・・。







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Unknown (mayako)
2005-11-18 20:11:28
コメントありがとうございます。

一生のうちにはいろいろなことで

友人ができます。



私も、病気をきっかけに却って世界が広がり、

多くの友人ができました。



テニススクールを始めたのも

病気がきっかけ。

素敵な友達に囲まれ、私は幸せです。
返信する

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