最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

割り箸事件

2005-11-14 17:58:17 | 医療と健康
今日の夕刊に1999年7月にお祭りで食べた綿菓子の割り箸が喉に刺さって
男児が死亡した事故で元杏林大学病院の医師が誤診したとして
訴えられている事件の裁判の記事が載っていた。

割り箸で男児死亡
被告医師に禁固1年求刑
杏林大学病院の耳鼻咽喉科医師だった99年7月、割り箸が喉に刺さった男児(当時4)を誤診して死亡させたとして、業務上過失致死罪に問われた医師根本英樹被告(37)の公判が14日東京地裁であった。検察側は「医療従事者として、診察時に頭蓋内損傷を疑うことは、十分できた」として禁固1年を求刑した。(朝日新聞11月14日夕刊より)』


この事件は、私がくも膜下出血になってこの病院に
救急車で運ばれた1年ほど前の出来事だったし、
亡くなった男児のご両親が夫の知人だったので、
今でもはっきり覚えている出来事だ。

確かに子どもが死亡してしまった親御さんの気持ちかを考えると
その辛さはいかばかりかと思う。
最初の病院の対応に問題があったのだろう。

医療事故は、当事者だけでなく、病院全体としてもはっきりと自覚して、
反省して次に生かして欲しいと思う。
前にこのブログで書いたこともあるが、杏林大学病院もこの事故をきっかけに
情報開示にも努力しているようだ。
そういった意味で、杉野夫妻が訴訟を起こしたことには意味があったと思う。

医師にも、可能だったか、否かはぬきにしても、心情として
「なぜあの時、脳に何か異変が起きているのではと疑うことをしなかったのだろう。
なんとか、あの子を救ってあげたかった!」
と強く思って欲しい。
また酷と言えば酷かも知れないが、
ご両親も、ただ、医師の誤診の責任追及だけでなく、
「あの時、医師は大丈夫だといったが、なぜもっと早く、
再度病院に連れて行かなかったのだろう」という反省もあっていいのでは…

ただ、ただ6年以上も「子どもが死んだのはお前のせいだ!お前が間違えたせいだ」
といわれ続けたら、どうだろう!
当事者の医師ももう反省の気持ちも薄れてしまうのではないだろうか?
それどころか自分に責任はなかったという気持ちを却って起こさせてしまうのでは…
そうなれば、反省を求める訴訟の意味がなくなる。

医療は人間が行うのであるから、事故は起こりうる。
施す方も、受ける方もそこははっきりと自覚して行うべきことではないだろうか?

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2 コメント

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覚えてます、ありましたよね。 (@むーむー)
2005-11-15 22:53:32
医師、病院は悪気でこうなったのではなくて、医療過誤なのよね。患者を治すという気持ちはいつもあるよね、当然。患者の言い分を認める、認めないは、今後起こり得る可能性の対処の事を考えると、医師本人の気持ちとはまた別のものになるかもね。(どんなものか知らないけど)なんでもかんでも、患者のおっしゃるとおりですといってたら、とんでもない方向にいきかねないし。。。

病院としては、反省して学ぶ材料ということよね。

一方の親御さんの方は、お子さんをなくされて可哀相だけど、いつまでも恨んでいては何にも始まらないし、終わらないよね。受け入れてどうするかよね。お子さんが亡くなった事を。でないと子供さんが成仏できないよ。苦しくても形の上だけでも許していくようにしないと。と思います。
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Unknown (mayako)
2005-11-15 23:50:52
「あの時、ああしておけば、こうしておけば」と思うことは、誰でもあります。

人間なんですから…

医師は、どんな医師でも必ずあることだと思います。

それが命を左右することも…

それでも、それを生かして先に進んでもらわなくちゃね!
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