最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

上行大動脈解離 完治か?

2024-12-21 21:09:32 | 大動脈解離
上行大動脈解離を発症したのは、2020年12月10日。
夫が散歩中で、私は、家に一人でいました。
昼食後で、何をするともなく、テーブルから立ち上がった瞬間に、
喉元に、鋭い刃物を刺されたような物凄い痛みを感じました。

「救急車!」と思ったけど、電話はどこに????
その後どうやって、自分で救急車を呼んだか覚えていません。
でも、スマホの履歴にちゃんとあって、自分で救急要請していました。
はっきりは覚えていませんが、2階に一人でいて、玄関は鍵がかかっているので、
2階のベランダから、入ってくださいとお願いしたと思います。
夫が帰ってきたときには、家の前に消防車2台と救急車1台が停まっていたので、火事かと思ったそうです。
急病人と聞いて、慌てて家に入ると、
2階の和室に救急隊員4~5人に囲まれた真ん中に、私が倒れていたそうです。
それから、久我山病院の救急に運ばれ、検査で大動脈解離らしいということで、
すぐさま、又救急車で、心臓外科専門の榊原記念病院に運ばれ、緊急手術。
手術は無事成功して、大動脈解離の中では、一番危険なスタンフォードA型から生還。

それから、毎年、榊原記念病院で、術後の精密検査を受けていました。
今年も12月14日に受けてきました。

検査結果を診て、
「昨年の画像と比べてみても、血管壁に出来た偽腔(血液が血管壁の中を流れて出来た空間)も、ほぼ吸収されている」
「術後の精密検査は、今回で終了として、後は、今かかっている久我山病院で、診てもらえばいいでしょう」
と、医師にいわれました。

大動脈解離の予後を調べてみると、

最初の2週間をを乗り越えた人の5年生存率は60%、10年生存率は40%です。
最初の2週間を乗り越えた人は、最終的に約3分の1が解離の合併症のために死亡し、残りの3分の2はほかの病気で死亡します。

(MSDマニュアル家庭版/06. 心臓と血管の病気/動脈瘤と大動脈解離/大動脈解離 より)

と、書かれています。
4年無事に過ごしてこられましたが、まだ先はわからないのかも……
まぁ、順調に快復してきて、運良く元気にテニスまで出来ている今を大切に生きていきましょう!

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