ひいおばあちゃんの大坂みつよさん と 大坂なおみ選手 週刊新潮 2019年2月21日号掲載 |
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全米テニスオープンで、2回目の優勝を飾った大坂なおみ選手は、 コート上で、犠牲者の名前の入ったマスクをして、黒人差別に反対する行動をして注目されました。 スポンサーから嫌われ、契約解消も心配したと語っていたが、 問題なく、全スポンサーは優勝を祝うコメントを出した。 彼女の行動を評価するとコメントしたのは、ヨネックスだけだったが。。。。 「大坂なおみが語った「スポンサー企業失う恐怖」 企業側はどう答えた?」【14社調査】HUFFPOST 私が、2016年の東レパシフィックオープンテニスを有明で見たときには、 彼女はまだ18歳でした。(「大坂なおみ選手」) この大会では、ウォズニアッキ選手に敗れて準優勝でしたが、 ブログに書いてあったように、サーブもストロークも超一級で、今の大坂選手を容易に想像させるものでした。 その後、精神面が弱いとか、技術面もまだまだと言われましたが、 一昨年の全米、昨年の全豪、今年の全米と、グランドスラムを3回も取ったのですから、 技術面も、磨きに磨かれてきたわけです。 そして、試合強さを身につけ、社会的問題にも目を向けられるようになり、 精神的にも、大きく大きく成長したわけで、本当に見ていて嬉しくなります。 彼女のその強さのルーツを見つけました。 彼女の母方の曾祖母(母・環さんの父、鉄雄さんの母)、大坂みつよさんという人です。 みつよさんは、元は根室出身でしたが、一家の窮乏で、北方領土 歯舞諸島の、勇留(ゆり)島に移住。 苦労して財を築くものの、1945年9月、同島にソ連軍が侵攻してきたとき、 着の身着のまま、決死の思いで、根室にもどってきた。 その後、根室で又、一家は漁業で大成功。 女傑 みつよさんの主導で、旅館業、ヘルスセンター等に事業を拡大。 大坂家は根室の資産家となったとか。 それらのことを 「勇留島に萱草の花が咲く頃」 という本に書き残しているそうです。 2004年(大坂選手7歳の時)に94歳で亡くなったそうですから、 大坂なおみ選手の誕生もアメリカに渡ってテニスを始めたことも知っていたのでは? 興味深い話でした。 詳しくは下記の週刊新潮記事で 「大坂なおみ」も知らないファミリー・ヒストリー 母方のルーツに北方領土 「なおみちゃんには強い大坂の血が流れてる」 親族語る“豪傑で知られた曾祖母”の存在 もしかしたら、父レオナルドさんの故郷、ハイチにもすごい親族がいたりして。。。。。 |
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