あるきメデス

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狭山丘陵北麓の社寺をめぐる(東京・埼玉)

2010-10-26 18:30:49 | ウオーキング
 2010年10月23日(土)午後

 地図愛好グループの例会で、東京・瑞穂町の六道山公園から1等三角点を経て、八雲
神社と浅間神社を回った後、13時40分に箱根ヶ崎の車道で、皆さんと別れる。

 この後、私は自宅まで、狭山丘陵の北麓の集落にある、瑞穂町から入間市や所沢市
の社寺を回って帰宅することにした。 

 車道を北東に少しで「駒形富士山」と呼ぶ集落に入る。最後に寄った浅間神社の北側
になる。このあたりから北西一帯には狭山茶の茶畑が広がり、加工して直売する茶園が
幾つかある。


 さらに東へ、1等三角点の北側にあたり、三角点の名にもなっていた高根集落の畑に、
サフランに似た花が咲いていた。何という名の花なんだろうか?


 間もなく、東京都瑞穂町から都県境を過ぎて埼玉県入間市(いるまし)に入る。すぐ近く
の山ろくに、狭山三十三観音霊場第二十六番の山際西観音があった。

 無住で静かなたたずまいの観音堂には、十一面観音が祭られている。

 このあたりは水の乏しいところだが、狭山集落と次の南中野集落の中ほどには、ひこ
ばえの伸びた田んぼが何枚か見られた。 
 

 南中野集落にも茶畑が多く、北斜面の高台からは入間市南方の集落の展望が広がる。


 集落の中心にある西久保観音堂。やはり狭山三十三観音霊場の第二十八番札所で、
神亀5年(728)に行基が全国行脚の途中、堂を開いたのが始まりという。


 境内には、高さ約23m、樹齢1,000年を超えるといわれるカヤの木があり、市内第一
の古木のようだ。


 境内にはほかに、江戸時代に奉納された重さ96㎏から186㎏の力石(ちからいし)が
4個、乳(ちち)といわれる気根(きこん)をたくさん垂らした「ちちイチョウ」、2本の木が途
中の枝でつながった「縁結びの木」と呼ぶモチノキ科のアオハダなどがある。

 本堂の右手、ちちイチョウの横から、北側の出雲祝(いずもいわい)神社に入ると、神社
の裏手の森の中に、「重闢茶場碑」(かさねてひらくちゃじょうのひ)がある。

 天保3年(1832)に建てたもので、狭山茶の由来を記したものという。

 東向きに建つ出雲祝神社は、約2000年前の創建という古社。境内は豊富な緑に囲
まれていて、埼玉県の「ふるさとの森」に選定されている。


 小ヶ谷戸集落から南矢荻集落に周って、狭山三十三観音霊場二十九番札所の西勝院
(さいしょういん)に入る。

 900年以上前の武蔵七党のひとつ、村山党の子孫である宮寺氏の館跡(やかたあと)
である。

 参道に、赤い実がたくさんついた木が数本並んでいた。


 所沢市に入って最初の集落、堀之内から三ヶ島(みかじま)集落へ。ここには、延喜式
神明帳(えんぎしきしんめいちょう)に記された中氷川神社がある。


 境内には、この地・三ヶ島出身の歌人、三ヶ島葭子(よしこ)の、「はるのあめ けぶる
けやきの こずえより おりおりつゆの かがやきておつ」の歌碑が建っていた。


 500mほど進んで、早稲田大学所沢キャンパス正門へ通じる通りへ。


 近くの、県道に出る付近には、ジュウガツザクラだろうか、2本の桜が花を開いていた。


 県道179号に出て近くの宝玉院を経て、三ヶ島稲荷神社に入る。


 このあとは、茶畑などの間の細い車道を東へ4㎞ほどで、16時48分に自宅に着いた。

 (距離 11㎞、地図(1/2.5万) 青梅、所沢、歩行地 青梅市、入間市、所沢市、
 歩数 18,500)
コメント (2)
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