2013年12月6日(金)
11月中旬並みの暖かさになったこの日、東京・杉並区の北西端、善福寺池を水源とし
て区内を東南へ流れる、善福寺川沿いのウオーキングに出かけた。
JR中央線の荻窪駅南口を10時5分にスタートする。東南に進んで荻窪四郵便局前を
通過し、荻窪三丁目にある区立「角川(かどかわ)庭園・幻戯山房(げんぎさんぼう)~
すぎなみ詩歌(しいか)館~」へ。
俳人で角川書店の創設者、故角川源義氏の旧宅である。緩やかな台地の中腹に広い庭園
を持ち、幻戯山房と呼ぶ建物↑は国の登録有形文化財である。
建物に入り、そのまま残る源義氏の書斎を拝見する。落ち着いたたたずまいの日本庭園
では、ススキやクヌギなどが武蔵野の雰囲気を残していた。
蛇足だが、角川現義氏の句碑を、11月23日に歩いた三浦半島の先端、城ヶ島で見た
ことを思い出した。
南側の「大谷戸さくら緑地」に出て、枯れ枝となったソメイヨシノの間を少し進むと善
福寺川左岸の遊歩道に入る。
善福寺川緑地の始まる中通橋の先から、流れは半円形にカーブし、その内側(左岸)で
は、台風や集中豪雨による水害から守るための調整池の工事が進捗中である。
カーブの終わった西田橋で右岸に回る。流れに沿ってソメイヨシノの並木が続くが、葉
はほとんど落ちていた。流れにはオナガガモがたくさん泳いでいる。
色づいたカエデの横を過ぎ、対岸に大きく枝を伸ばしたケヤキなどを見ながら進む。
天王橋の先からは、右に大きくV字状にカーブする。イチョウの黄葉や色鮮やかなモミ
ジの下などを通過し、五日市街道を横断して再び左岸へ。
川の流量は増え、緑地にはケヤキなど広葉樹の彩りが残る。
白山前橋の先の流域は和田堀公園となり、間もなく自然のままの中の島のある和田堀池
のほとりへ。もうすぐ散りそうなモミジが、彩りを残していた。
洪水時の調整池となる低く掘り下げた野球場の横から、流れは90度左カーブして北に
向かう、すぐ先の大宮橋を渡って右岸を少し、大宮一丁目にある杉並区立郷土博物館に寄
ることにした。
館の入口は、旧井口家住宅の長屋門。宮前五丁目から移設したもので、文化・文政年間
(1804~29)頃の建築と推定されているという。
敷地は、もと嵯峨公勝(さがきんかつ)侯爵の邸宅とのこと。公勝の孫娘浩(ひろ)は
満州国皇帝溥儀(ふぎ)の弟薄傑(ふけつ)にここから嫁いだようで、当時をしのぶ、た
だひとつの庭石↓だけが残されていた。
コンクリート造りの館内に入り、常設展示室で原始・古代から近現代までの展示を観覧
する。
さらに特別展示室での「甲州道中へのいざない」へ。甲州街道は10年近く前に歩いた
ことがあり、江戸五街道中の位置づけ、江戸の庶民の旅や参詣模様、案内書など、興味深
く観覧した。
本館の北には区内の古民家、旧篠崎家住宅が移築されていて、内部にも入れる。
前庭のケヤキの高木が黄葉の彩りを残していた。
本館前には、庚申塔や馬頭観音供養塔、五輪塔など、江戸期の民間信仰の石塔が並んで
いた。ゆっくりと巡り、50分ほどかけて観覧した。
館の前の通りを北にすぐで、東側を真っ直ぐ北北東に延びる荒玉(あらたま)水道道路
に回る。
出たところの家に十月桜が咲き、すぐ先の和田堀公園では、こんな木の実がたくさん付
いていた。センダンだろうか…。
ちなみに「荒玉水道」とは、大正時代から昭和中期にかけ、多摩川の水を世田谷区砧か
ら中野区野方と板橋区大谷口に送水するために使用された地下水道管のこと。現在も砧か
ら杉並区梅里までの荒玉水道沿いに都道428号「荒玉水道道路」が走り、今日はその北
端付近を歩くことにしたのである。
荒玉水道道路の直線部が終わった東側は、日蓮宗本山の妙法寺。「やくよけ大師」とも
呼ばれ、江戸時代から霊験あらたかなことで多くの信仰を集め、その繁栄ぶりは文政6年
(1823)刊行の「武蔵名勝図絵」に、「浅草観音に並べり」と記されていたという。
どっしりとした仁王門を入ると、正面に大きな祖師堂(そしどう)があり、堂内には
「やくよけ祖師像が」祭られている。
この祖師堂は、先ほど入館した杉並区立郷土資料館の記念スタンプのデザインにも使わ
れており、区内でも顕著な建物であることが知れる。
境内は広大で、大きく伸びた木々の間に幾つもの堂塔が並び立つ。
本堂は祖師堂の右手奥にあり、落ち着いたたたずまいを見せ、近くには日朝堂(にっち
ょうどう)↓や三十三夜堂、浄行堂(じょうぎょうどう)が並ぶ。
本堂の西側には、近くに住みこの寺を愛した作家・有吉佐和子の碑もある。
葉を落とした広葉樹の下には、五重石塔や2基の千部講中石塔が立っていた。
祖師堂の右手にある鉄門は、わが国近代建築学会の恩師、コンドル氏の設計で明治11
年(1877)に完成したもの。国の重要文化財に指定されているという。
門前の通りを東へ、広い境内の東側を走る細い通りを北に向かう。俳人・長谷川かな夫
妻の句碑と墓があるという福相寺前を通過して、環状七号線に出る。
少し戻って信号を渡り、斜めの通りを進んで「蚕糸の森公園」の南西端へ。
紅葉の残る公園の南側を東進して中野区内に入り、青梅街道近くの本町六丁目にある
「散歩かふぇ ちゃらぽこ」に入る。
日本初の「歩くこと」をテーマにしたこのカフェのことは、姫路の「出がらし紋次郎」
こと、Kさんに教えてもらったもの。
14時に入ったのでまずは遅くなった昼食に、おすすめメニューのひとつ、「ひき肉と
トマトときのこのカレー・セット」を注文する。
店では、週末を中心に散歩会や街道歩き、歴史講座などのイベントを手がけており、最
近は東海道を歩く企画を続けていて、東海道や大山街道などの地図や図書を販売していた。
店内にはウオーキングや旅、歴史などの図書が豊富で、自由に読んだり情報交換や交流
の場として利用されているようだ。
食事をしながら店主のKさんにそれらの話を伺い、食後は奥の部屋に並ぶ図書や写真な
どもゆっくり拝見した。
1時間近く滞在して店を後にする。
イチョウ並木の黄葉した青梅街道を横断して細い通りを北上し、15時15分にJR中
央線の中野駅に着いた。
(天気 晴後快晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 東京西部、歩行地 杉並区、中野
区、歩数 18,600)
杉並区立郷土資料館でもらった「杉並区史跡散歩地図」には、1万2千分の1の大判地
図に3㎞から7㎞前後の14コースが紹介されていて、それらを組み合わせたコース取り
も出来そう。この地図を参考にして、杉並区内の史跡めぐりをしてみたい。
なお、最近リニューアルされた「散歩かふぇちゃらぽこ」のホームページはこちらから。
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11月中旬並みの暖かさになったこの日、東京・杉並区の北西端、善福寺池を水源とし
て区内を東南へ流れる、善福寺川沿いのウオーキングに出かけた。
JR中央線の荻窪駅南口を10時5分にスタートする。東南に進んで荻窪四郵便局前を
通過し、荻窪三丁目にある区立「角川(かどかわ)庭園・幻戯山房(げんぎさんぼう)~
すぎなみ詩歌(しいか)館~」へ。
俳人で角川書店の創設者、故角川源義氏の旧宅である。緩やかな台地の中腹に広い庭園
を持ち、幻戯山房と呼ぶ建物↑は国の登録有形文化財である。
建物に入り、そのまま残る源義氏の書斎を拝見する。落ち着いたたたずまいの日本庭園
では、ススキやクヌギなどが武蔵野の雰囲気を残していた。
蛇足だが、角川現義氏の句碑を、11月23日に歩いた三浦半島の先端、城ヶ島で見た
ことを思い出した。
南側の「大谷戸さくら緑地」に出て、枯れ枝となったソメイヨシノの間を少し進むと善
福寺川左岸の遊歩道に入る。
善福寺川緑地の始まる中通橋の先から、流れは半円形にカーブし、その内側(左岸)で
は、台風や集中豪雨による水害から守るための調整池の工事が進捗中である。
カーブの終わった西田橋で右岸に回る。流れに沿ってソメイヨシノの並木が続くが、葉
はほとんど落ちていた。流れにはオナガガモがたくさん泳いでいる。
色づいたカエデの横を過ぎ、対岸に大きく枝を伸ばしたケヤキなどを見ながら進む。
天王橋の先からは、右に大きくV字状にカーブする。イチョウの黄葉や色鮮やかなモミ
ジの下などを通過し、五日市街道を横断して再び左岸へ。
川の流量は増え、緑地にはケヤキなど広葉樹の彩りが残る。
白山前橋の先の流域は和田堀公園となり、間もなく自然のままの中の島のある和田堀池
のほとりへ。もうすぐ散りそうなモミジが、彩りを残していた。
洪水時の調整池となる低く掘り下げた野球場の横から、流れは90度左カーブして北に
向かう、すぐ先の大宮橋を渡って右岸を少し、大宮一丁目にある杉並区立郷土博物館に寄
ることにした。
館の入口は、旧井口家住宅の長屋門。宮前五丁目から移設したもので、文化・文政年間
(1804~29)頃の建築と推定されているという。
敷地は、もと嵯峨公勝(さがきんかつ)侯爵の邸宅とのこと。公勝の孫娘浩(ひろ)は
満州国皇帝溥儀(ふぎ)の弟薄傑(ふけつ)にここから嫁いだようで、当時をしのぶ、た
だひとつの庭石↓だけが残されていた。
コンクリート造りの館内に入り、常設展示室で原始・古代から近現代までの展示を観覧
する。
さらに特別展示室での「甲州道中へのいざない」へ。甲州街道は10年近く前に歩いた
ことがあり、江戸五街道中の位置づけ、江戸の庶民の旅や参詣模様、案内書など、興味深
く観覧した。
本館の北には区内の古民家、旧篠崎家住宅が移築されていて、内部にも入れる。
前庭のケヤキの高木が黄葉の彩りを残していた。
本館前には、庚申塔や馬頭観音供養塔、五輪塔など、江戸期の民間信仰の石塔が並んで
いた。ゆっくりと巡り、50分ほどかけて観覧した。
館の前の通りを北にすぐで、東側を真っ直ぐ北北東に延びる荒玉(あらたま)水道道路
に回る。
出たところの家に十月桜が咲き、すぐ先の和田堀公園では、こんな木の実がたくさん付
いていた。センダンだろうか…。
ちなみに「荒玉水道」とは、大正時代から昭和中期にかけ、多摩川の水を世田谷区砧か
ら中野区野方と板橋区大谷口に送水するために使用された地下水道管のこと。現在も砧か
ら杉並区梅里までの荒玉水道沿いに都道428号「荒玉水道道路」が走り、今日はその北
端付近を歩くことにしたのである。
荒玉水道道路の直線部が終わった東側は、日蓮宗本山の妙法寺。「やくよけ大師」とも
呼ばれ、江戸時代から霊験あらたかなことで多くの信仰を集め、その繁栄ぶりは文政6年
(1823)刊行の「武蔵名勝図絵」に、「浅草観音に並べり」と記されていたという。
どっしりとした仁王門を入ると、正面に大きな祖師堂(そしどう)があり、堂内には
「やくよけ祖師像が」祭られている。
この祖師堂は、先ほど入館した杉並区立郷土資料館の記念スタンプのデザインにも使わ
れており、区内でも顕著な建物であることが知れる。
境内は広大で、大きく伸びた木々の間に幾つもの堂塔が並び立つ。
本堂は祖師堂の右手奥にあり、落ち着いたたたずまいを見せ、近くには日朝堂(にっち
ょうどう)↓や三十三夜堂、浄行堂(じょうぎょうどう)が並ぶ。
本堂の西側には、近くに住みこの寺を愛した作家・有吉佐和子の碑もある。
葉を落とした広葉樹の下には、五重石塔や2基の千部講中石塔が立っていた。
祖師堂の右手にある鉄門は、わが国近代建築学会の恩師、コンドル氏の設計で明治11
年(1877)に完成したもの。国の重要文化財に指定されているという。
門前の通りを東へ、広い境内の東側を走る細い通りを北に向かう。俳人・長谷川かな夫
妻の句碑と墓があるという福相寺前を通過して、環状七号線に出る。
少し戻って信号を渡り、斜めの通りを進んで「蚕糸の森公園」の南西端へ。
紅葉の残る公園の南側を東進して中野区内に入り、青梅街道近くの本町六丁目にある
「散歩かふぇ ちゃらぽこ」に入る。
日本初の「歩くこと」をテーマにしたこのカフェのことは、姫路の「出がらし紋次郎」
こと、Kさんに教えてもらったもの。
14時に入ったのでまずは遅くなった昼食に、おすすめメニューのひとつ、「ひき肉と
トマトときのこのカレー・セット」を注文する。
店では、週末を中心に散歩会や街道歩き、歴史講座などのイベントを手がけており、最
近は東海道を歩く企画を続けていて、東海道や大山街道などの地図や図書を販売していた。
店内にはウオーキングや旅、歴史などの図書が豊富で、自由に読んだり情報交換や交流
の場として利用されているようだ。
食事をしながら店主のKさんにそれらの話を伺い、食後は奥の部屋に並ぶ図書や写真な
どもゆっくり拝見した。
1時間近く滞在して店を後にする。
イチョウ並木の黄葉した青梅街道を横断して細い通りを北上し、15時15分にJR中
央線の中野駅に着いた。
(天気 晴後快晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 東京西部、歩行地 杉並区、中野
区、歩数 18,600)
杉並区立郷土資料館でもらった「杉並区史跡散歩地図」には、1万2千分の1の大判地
図に3㎞から7㎞前後の14コースが紹介されていて、それらを組み合わせたコース取り
も出来そう。この地図を参考にして、杉並区内の史跡めぐりをしてみたい。
なお、最近リニューアルされた「散歩かふぇちゃらぽこ」のホームページはこちらから。
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