2014年12月7日(日)
好天にはなりましたが、気温が上がらず真冬並みの寒さです。今日は2か所を回ること
にして、まずは京成本線の市川真間駅に12時32分に下車しました。

車の通れぬ細い道路を北東に抜け、県道264号に出てすぐ北側、国府台女子学院と相
対する「サロン・ド・グランパ」というパン屋さんに入ります。

店内の一角に「相田みつをギャラリー」があり、正面を入った奥の展示コーナーが、最
初の目的地である『放浪のお絵描きおじさん「百田稔」第5回作品展』の会場です。

市川市在住の「お絵描きおじさん」こと百田稔さんは、毎年この時期に作品展を開催し
ていて、私が訪ねるのは今年で3年目です。

今回は、『月刊いちかわ』に連載した「いちかわお絵描き散歩」のはがき大の原画が、
展示されていて、普通の人では見落としてしまいそうなところも、百田さんはしっかりと
捉えて描かれ、ほのぼのとした作品に仕上げられていました。
過去に描かれた中山道のスケッチ画のファイルや、地元市川市内の高校、橋、駅などを
テーマに作られたカレンダーなども見せていただき、百田さんから色々とお話を伺うこと
も出来ました(この原画展は12月15日まで開催)。
ちなみに今年は、あの暑い8月に20日ほどかけて、千葉県内全市町村を一筆書きで回
るスケッチ旅もされていて、その体力と意欲にも敬服しました。

記念写真も撮らせていただき、相田みつをギャラリーも少しのぞいて「相田みつを・心
の誌 3 大事なこと」という本を求めて店を出ました。
店の北側の交差点から、「文学の道」と呼ぶ桜並木の遊歩道に入ります。

市川市は、万葉集の時代から近年まで多くの文学者に縁のある地で、文学の道沿いには、
それらゆかりの文学者などの説明板が幾つも掲示されていました。


遊歩道のタイルにも。

文学の道から真間川沿いに出ました。川沿いを少し上流(西)に進むと、流れを挟んだ
真間小の南側に、浮島弁財天が祭られています。

浮島弁財天は、天保12年(1841)以前の創建で、以前は真間小の斜め右の「弁天
様の森」にあったものをここに移設したようです。
対岸の真間小校庭の木々が最後の彩りを見せていました。

次の橋まで西進して南に延びる大門通りに入り、看板の見える右手のそば屋さんで昼食
をしました。

この通りにも、民家の塀などに万葉集歌などが掲示されています。



最寄りの国府台(こうのだい)駅まで歩き、江戸川を越えてひと駅先の江戸川駅で下車
します。
高架になっている線路下から、北西に伸びる通りを進みます。間もなくのところに光ヶ
嶽観音堂がありました。

祭られているのは約6㎝という小さな観音像のよう。室町時代末期の武将、里見義豊、
義俊の守本尊だったとのことです。境内は児童遊園地になっていました。
北小岩4丁目をさらに進み、江戸川が左にカーブする右岸近くには、切妻屋根の本堂の
真光院が。

慶長7年(1602)の開山で、現在の本堂は昭和47年(1972)にそれまでかや
ぶきだった本堂を改築したようです。

すぐ先左手は天祖神社。境内のイチョウとケヤキの葉も、間もなく落ちそう。

ここも境内に、児童遊具がありました。
神社のすぐ先から江戸川右岸堤防に上がります。対岸は市川市の里見公園の森。

その下流には、和洋女子大などの校舎が望まれました。

上流に見える北総鉄道の鉄橋を目指して、少し向い風が冷たい堤防上を1.4㎞ほど進
みます。

堤防を下りて柴又6丁目を西北へ、途中からは細い遊歩道を。

都道307号・柴又街道を横断した先のせせらぎに、新しい3猿の像がありました。

なぜここで、見ざる、聞かざる、言わざるなんでしょうか…。
柴又帝釈天は近くですが寄らず、すぐ先で京成金町線の柴又駅そばの踏切を渡ります。

さらに進んで15時45分頃、やまさんと敬子さんご夫妻が毎月初めの日曜日に開催し
ていた、旅と音のアートスペース「ふらっと」会場に着きました。


会場の外壁には、やまさんがスケッチした葛飾区内の店の絵がたくさん。

「ふらっと」の集まりはもう終了間際で、皆さんの自己紹介が終わったところで、今
日も休んでいたやまさんが加わりました。

やまさんからは短時間ながらも、ユースホステルの活動などを通して歩き旅の普及活
動を続けてきたことや、現在の衆議院選の地元候補者への批判など、以前と変わらぬよ
うな話しぶりで、体調不調も少しずつ回復に向かっているのではないかと期待できる様
子で、少し安心しました。

16時半近くにお開きとなり、京成高砂駅から帰路につきました。
(天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 船橋、松戸、草加、歩行地 市川市、
江戸川区、葛飾区、歩数 13,200)
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好天にはなりましたが、気温が上がらず真冬並みの寒さです。今日は2か所を回ること
にして、まずは京成本線の市川真間駅に12時32分に下車しました。

車の通れぬ細い道路を北東に抜け、県道264号に出てすぐ北側、国府台女子学院と相
対する「サロン・ド・グランパ」というパン屋さんに入ります。

店内の一角に「相田みつをギャラリー」があり、正面を入った奥の展示コーナーが、最
初の目的地である『放浪のお絵描きおじさん「百田稔」第5回作品展』の会場です。

市川市在住の「お絵描きおじさん」こと百田稔さんは、毎年この時期に作品展を開催し
ていて、私が訪ねるのは今年で3年目です。

今回は、『月刊いちかわ』に連載した「いちかわお絵描き散歩」のはがき大の原画が、
展示されていて、普通の人では見落としてしまいそうなところも、百田さんはしっかりと
捉えて描かれ、ほのぼのとした作品に仕上げられていました。
過去に描かれた中山道のスケッチ画のファイルや、地元市川市内の高校、橋、駅などを
テーマに作られたカレンダーなども見せていただき、百田さんから色々とお話を伺うこと
も出来ました(この原画展は12月15日まで開催)。
ちなみに今年は、あの暑い8月に20日ほどかけて、千葉県内全市町村を一筆書きで回
るスケッチ旅もされていて、その体力と意欲にも敬服しました。

記念写真も撮らせていただき、相田みつをギャラリーも少しのぞいて「相田みつを・心
の誌 3 大事なこと」という本を求めて店を出ました。
店の北側の交差点から、「文学の道」と呼ぶ桜並木の遊歩道に入ります。

市川市は、万葉集の時代から近年まで多くの文学者に縁のある地で、文学の道沿いには、
それらゆかりの文学者などの説明板が幾つも掲示されていました。


遊歩道のタイルにも。

文学の道から真間川沿いに出ました。川沿いを少し上流(西)に進むと、流れを挟んだ
真間小の南側に、浮島弁財天が祭られています。

浮島弁財天は、天保12年(1841)以前の創建で、以前は真間小の斜め右の「弁天
様の森」にあったものをここに移設したようです。
対岸の真間小校庭の木々が最後の彩りを見せていました。

次の橋まで西進して南に延びる大門通りに入り、看板の見える右手のそば屋さんで昼食
をしました。

この通りにも、民家の塀などに万葉集歌などが掲示されています。



最寄りの国府台(こうのだい)駅まで歩き、江戸川を越えてひと駅先の江戸川駅で下車
します。
高架になっている線路下から、北西に伸びる通りを進みます。間もなくのところに光ヶ
嶽観音堂がありました。

祭られているのは約6㎝という小さな観音像のよう。室町時代末期の武将、里見義豊、
義俊の守本尊だったとのことです。境内は児童遊園地になっていました。
北小岩4丁目をさらに進み、江戸川が左にカーブする右岸近くには、切妻屋根の本堂の
真光院が。

慶長7年(1602)の開山で、現在の本堂は昭和47年(1972)にそれまでかや
ぶきだった本堂を改築したようです。

すぐ先左手は天祖神社。境内のイチョウとケヤキの葉も、間もなく落ちそう。

ここも境内に、児童遊具がありました。
神社のすぐ先から江戸川右岸堤防に上がります。対岸は市川市の里見公園の森。

その下流には、和洋女子大などの校舎が望まれました。

上流に見える北総鉄道の鉄橋を目指して、少し向い風が冷たい堤防上を1.4㎞ほど進
みます。

堤防を下りて柴又6丁目を西北へ、途中からは細い遊歩道を。

都道307号・柴又街道を横断した先のせせらぎに、新しい3猿の像がありました。

なぜここで、見ざる、聞かざる、言わざるなんでしょうか…。
柴又帝釈天は近くですが寄らず、すぐ先で京成金町線の柴又駅そばの踏切を渡ります。

さらに進んで15時45分頃、やまさんと敬子さんご夫妻が毎月初めの日曜日に開催し
ていた、旅と音のアートスペース「ふらっと」会場に着きました。


会場の外壁には、やまさんがスケッチした葛飾区内の店の絵がたくさん。

「ふらっと」の集まりはもう終了間際で、皆さんの自己紹介が終わったところで、今
日も休んでいたやまさんが加わりました。

やまさんからは短時間ながらも、ユースホステルの活動などを通して歩き旅の普及活
動を続けてきたことや、現在の衆議院選の地元候補者への批判など、以前と変わらぬよ
うな話しぶりで、体調不調も少しずつ回復に向かっているのではないかと期待できる様
子で、少し安心しました。

16時半近くにお開きとなり、京成高砂駅から帰路につきました。
(天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 船橋、松戸、草加、歩行地 市川市、
江戸川区、葛飾区、歩数 13,200)


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