あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

行田のたんぼアートを見て さきたま古墳公園など巡る(埼玉)

2017-09-18 17:19:38 | カントリーウオーク
 2017年9月16日(土)

 前日までの残暑が治まり、歩きやすそうな曇天ながら午後は雨も懸念されるが、カント
リーウオークグループの第246回例会に参加した。

 7月16日(日)に続カタツムリ歩行に参加した後、私の市外ウオーキングは夏休み状
態だったので、2か月ぶりになる。


 集合はJR高崎線の行田(ぎょうだ)駅、東口駅前から10時20分発市内循環の「観
光拠点循環コース左回り線」に乗り、10時45分に古代蓮の里(こだいはすのさと)バ
ス停で下りた。

 == たんぼアートを見て「古代蓮の里公園」を巡る ==

 まずは高さ50mの展望タワーに上がり、一昨年にギネス世界記録に認定されたという
田んぼアートを見ることにする。
     

 展望タワーの手前には「世界の蓮園」があり、花の時期は終わっが、わずかに「巨椋
(おぐら)の白鳥」と呼ぶ白いハスと「桜蓮(おうれん)」という紅色のハスが咲き残っ
ていた。


         

 タワーのある建物は「古代蓮会館」と呼び、1階に展示室や休憩所、研修室などがある。


 エレベーターで展望室に上がると、東側眼下に今年のたんぼアート「イナダヒメノミコ
トとスサノオノミコト」が見下ろせる。

 10年目を迎える今年は、古代ロマンあふれる行田の米のPRと豊作を願い、稲田の守
護神や美田の女神として親しまれているイナダヒメノミコトを、夫のスサノオノミコトと
ともに描いたようだ。
 

 田んぼアートは、水田をキャンバスとして色彩の違う複数の稲を植え付けて文字や図柄
等を表現する取り組み。2015年に「最大の田んぼアート」として、ギネス世界記録
(27,195㎡)に認定されたという。


 南側には、行田市が舞台となる池井戸潤の小説「陸王」がTBS日曜劇場で10月から
ドラマ化するのを記念し、単行本「陸王」の書影を模したデザインと、主演・役所広司の
似顔絵が、およそ1万㎡の田んぼに緻密に描かれている。


 タワーからは360度の展望が広がり、行田市内はもとより関東平野を囲む山々なども
望めるが、今日は雲っていて栃木県の大平山(おおひらさん)周辺しか見えない。



 展望室を一周して、眼下の古代蓮の里公園や午後に向かう「さきたま古墳公園」、行田
市内などもゆっくりと眺めてタワーから下りた。館の前には、たんぼアートに使われた9
種の稲が展示されている。


       
 古代蓮会館を出て、広い古代蓮公園の中央部を北へ、花の咲き残る↑行田蓮(古代蓮)
がいっぱいの古代蓮池内の木道を北に抜ける。



 蓮池にはスイレンやミズカンナ↓なども咲く。
     


 中央の水路を越えて北側の水生植物園の木道を北東まで進むと、ホテイアオイが咲いて
いた。


 そばの東屋(あずまや)に11時40分に着き昼食とする。



 昼食後は13時まで自由時間とし、古代蓮公園内を各自で回る。あちこちにヒガンバナ
が咲き、北西側の池にはオニバスがいっぱい。
     
 オニバス



 ミーティングをして、13時過ぎに公園を出た。

 == さきたま古墳公園から田園地帯を吹上駅へ ==
 
 公園の周辺には、実がふくらみ頭を垂れた水田が広がるが、田植えが遅めなのか色づき
にはもう少し。南西に少し進んだ旧忍川(きゅうおしかわ)左岸際で記念撮影をした。
     

 橋を渡り、さらに田んぼの中の農道を南西に進む。行く手にはさきたま古墳公園の古墳
が望まれる。


     
 冨士山集落近くのあぜにはコスモスが咲き、集落の北を流れるキレイな水路では、ゆら
ゆらと長い藻が揺れていた。



 民家横の畑に、「そうめんかぼちゃ」とも呼ぶキンシウリらしい実がある。近くの十字
路際に心行(しんぎょう)地蔵と呼ぶお地蔵さんが立っていた。
     


 集落の西側一帯が「さきたま古墳公園」。古墳の下に展示館のある将軍山古墳↑の南側
を進んで、その先の円墳跡の草地で小休止する。


 そばに見える日本最大の円墳、丸墓山(まるはかやま)古墳↑の墳丘に上がると、眼下
に国宝・金錯銘(きんさくめい)鉄剣が出土した稲荷山古墳や行田の農村風景が望まれる。




 南に延びる桜並木の石田堤は、石田三成が豊臣秀吉の命で忍城(おしじょう)を水攻め
した際に築いた堤の一部。三成の陣は丸墓山古墳の頂上に張られたという。


 堤にはたくさんのヒガンバナが咲き競うので、もう一度記念撮影をした。


 忍藩(おしはん)松平家ゆかりの天祥寺の横を通過し、県道77号を横断した先には
「埼玉県名発祥之碑」がある。
       
 明治4年(1871)、現在の県域に埼玉県と入間県が設置され、明治9年には現在の埼
玉県の区域が定まったという。


 そばに移築された古民家、旧遠藤家住宅↑が公開され、国宝・金錯銘鉄剣などを展示す
るさきたま史跡の博物館もあるが、雨が懸念されるので寄らずに先に向かう。

     
 用水沿いを東北へ、瓦塚(かわらづか)古墳↓を左手に見ながら進む。


 その先で県道77号に出て東へ少し、富士山集落の南西側にある浅間神社の石鳥居をく
ぐると、その先には前玉(さきたま)神社の大鳥居もあった。

 こちらの鳥居は、延宝4年(1676)に忍城主阿部正能(まさよし)の家臣と忍領氏
子たちにより建立されたとか。その由来も刻まれており、江戸時代における浅間神社の隆
盛を伝える貴重な建造物として、行田市指定文化財になっている。

 突き当たりのうっそうとした木々に覆われた円墳は浅間塚(せんげんづか)古墳で、石
段を上がった墳頂に前玉神社が祭られている。

 平安時代編さんの「延喜式」にも記された古社のよう。浅間神社↓は、鳥居に近い東側
中腹に祭られていた。


 前玉神社の石段下には江戸時代に奉納の2基の石灯ろうがあり、「さきたま」にちなむ
万葉和歌が刻まれていて、万葉歌碑としては全国的にも古いもののようだ。
       

   
 古墳と集落との間を南西へ、東西に走る直線路に入り西進する。ザクロの実る民家や大
きなサボテンに実のついた民家があり、その先にはオオタデが咲く。
        


 田んぼの向こうに武蔵水路の植え込みが続き、休耕田にオオサギが立つ。



 利根川の水を荒川に送る武蔵水路を横断した先の休耕田にはオオサギとアオサギが見え
た。



 忍川の橋を渡り、幅広い国道17号熊谷バイパスを信号で横断し、下忍(しもおし)集
落に入る。


 色づき方の違う稲が平行する田んぼの横を進み、植え込みが無く開放的な明光寺前を過
ぎる。



 この辺りでは珍しいリンゴ畑があり、その先で近くの下忍バス停から駅に直行する3人
と分かれた。


 近くの下忍神社で最後の休憩を。拝殿の前に二つの力石が並び、境内右手には↓琴平神
社も祭られ、拝殿内には明治初期に賑わった荒川や新川河岸の様子を描いた「新川早船絵
馬」が奉納されていた。



 上越・北陸新幹線の高架下を抜けて桜並木の続く元荒川の右岸へ。4月例会で花見をし
た公園の横を通過する。




 ゴールのJR高崎線の吹上(ふきあげ)駅前に16時20分に着いた。

 心配された午後の雨も降られずにすみ、気温も22℃度前後でこの時期としては歩きや
すい一日だった。

(参加 14人、天気 曇、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 熊谷、加須、歩行地
 行田市、鴻巣市、歩数 19,800)




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