2021年9月14日(火)
今日は、曇天ながら日中は雨の心配は無さそう。最高気温も25℃前後のようなので、
狭山丘陵北西麓の里山めぐりをすることにした。
参考にしたのは、『トトロのふるさと 狭山丘陵見て歩き』(トトロのふるさと財団・編)
中の、「丘陵のふもとを歩き 里山の景観を楽しむ」というコース。
ちなみに、このガイドブックの表紙は私が撮ったもの。ほかに何点かの写真もコースガ
イドの中に掲載されている。
西武池袋線の小手指(こてさし)駅南口から9時23分発の宮寺西行バスに乗り、9時
42分に荻原バス停で下車した。
バス停のそばに、白いヒガンバナの一部が開花していた。その横から細道を南に入り、
細い水路沿いを南西に少しで、西側から西勝院(さいしょういん)境内へ。
西勝院は狭山三十七薬師の第10番札所で、狭山三十三観音の第29番札所でもある。
本堂は南向きに堂々と立っていた。
本堂の南東側に大師堂があり、その横に「宮寺氏館跡」の説明パネルがある。
宮寺氏は、平安末期の武蔵七党のひとつ村山党の村山家平(いえひら)が当地宮寺の領
主となり、宮寺五郎家平と称してこの地に居館を構えたとか。
ここ西勝院がその館跡のようで、背後にそれらしい土塁が残っていた。
本堂の南西側、山門近くには観音堂があり、境内にはススキや白いヒガンバナが咲く。
南側の山門を出て西勝院を後にした。
西側に隣接して「茶房あんず」があるが、今日はクローズの札が。そばのシロガネヨシ
(パンパスグラス)が大きな花を見せている。
少し西進すると、2つめの十字路の北の突き当たりにコース外だが、お寺のマークがあ
るので回ってみた。
清泰寺で、本堂前の大きなキンモクセイが花をいっぱい付け、芳香を漂わせている。
清泰寺は奥多摩新四国八十八か所 第56番霊場のよう。石像の観音像は本堂左手前の小
屋(左手の小さい方↓)に祭られ、ご詠歌の掲額もある。
ほかに、「風・邪気・厄除け石尊堂」↓や、地蔵尊なども祭られていた。
南西側を回り元の通りに出て、さらに少し西進すると民家の庭先にタラヨウの木が立つ。
「はがきの木」とも呼ばれ、葉の裏に細い棒で字を書くと変色するという。葉の上には
たくさんの実が付いていた。
少し先、文字の読みにくい石塔の横にクロマツの若木の立つT字路を南進すると、右手に
うっそうとした鎮守の森の前に出た。出雲祝(いずもいわい)神社である。
出雲祝神社は、ここ宮寺郷の総鎮守で約2,000年前の創建と言われる古社。長い境内
の奥、石段を上がると東向きに社殿が祭られている。
右手には八雲神社の社殿が、左↑には護国神社が並び、境内には神楽殿もある。
出雲祝神社の左手、護国神社との間を抜けると、背後の森に2つの石碑が立っている。
「重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)」と「茶場後碑(ちゃじょうこうひ)」
である。
左手の「重闢茶場碑」は、天保3(1832)年のもので、狭山茶の由来が記されてい
るよう。
右手の「茶場後碑」は明治9(1876)年の建立で、重闢茶場碑の内容を継承しつつ、
その後の狭山茶の歩みが記されているという。だが、2つとも碑文はかすれて判読し難い。
その横を左折した南側に接して、西久保観音堂がある。
神亀5(728)年春、行基が全国行脚の途中に堂を開いたのが始まりという古寺で、
狭山三十三観音霊場の第28番札所である。
毎年1月17日と8月17日には、「鉦(かね)はり」と呼ぶ双盤鉦(そろばんかね)
や太鼓などによる念仏が行われるという。
境内東南側のカヤは樹齢1,000年を超えるといわれ、根回り4.5m、高さ23m、
枝張り25mあり、市内第1の古木とか。枝には、カヤの実がたわわに実っていた。
境内西側、休憩所の建物横には、江戸時代に奉納された4個の力石を並ぶ。
観音堂境内の南西側から、緑の森博物館の道標に従い狭山湖外周道路への草付きの道を
緩やかに上がる。
樹林に入る手前にジュウガツザクラがあり、チラホラと花を見せている。そばのユズの
木には実がいっぱい。
高みになり西方から北へと展望が広がるが、奥武蔵方面の山並みは曇天で雲に隠されて
いた。
山すそに「宮寺ふくろうの丘公園」と呼ぶ緑地があり、その横から樹林帯へ。
少し進むと、背の高いトーテムポールが立っていた。
その先には、カシノナガキクイムシにより「ナラ枯れ」してしまった切り株が幾つもあ
り、成虫が外に出ないように各々にブルーシートが掛けられている。
東京電力の豊昭線18号と19号鉄塔との間の送電線下を斜めに通過し、さらにツクツ
クボウシが賑やかに鳴く樹林の中を進む。
うっそうとした樹林が少し開けて明るくなり、やがて突き当たりの三差路へ。標識に従
い「狭山湖外周道路 六道山」方面へ向かう。
サルノコシカケが幾つも出た古い切り株の横を過ぎ、狭山湖外周道路に出た。
「さいたま緑の森の博物館案内図」と「都立野山北・六道山公園」の案内図がある。
狭山湖を囲む金網と木のさくの間の狭山湖外周道路を右へ、「狭山湖堰堤から5.2㎞」
の標識を過ぎて南西に少し回り込む。
少し開けた草地があり、中央部に防火水槽の標柱が立っている。その横から外周道路に
分かれて「北狭山谿 田の入」の標柱に従い林間の細道に入る。
緩やかなアップダウンがあり、つぎのT字路で「北狭山谷」の方向へ木製の階段などで
下る。
やがて小さな流れが現れ、少し先で谷間が開けたところに出た。ここが北狭山谷のよう
で、都の公園整備事業で3つの池を作ったというが、草に覆われて池は判然としない。
谷の末端、民家が見えたところに数個のベンチが設けられていたので、小休止して水分
補給をする。
ひとつのベンチのそばに、粒がくっついたような赤い実の付いた常緑広葉樹があった。
北側は高根集落、東側山際には茶畑があり、そばに境内電話のアンテナ塔が立つ。
集落と山すその畑の間を東進して東京都瑞穂町から埼玉県入間市に入り、茶畑の向こう
に赤い屋根のお堂が見えてきた。
この辺りは狭山茶の本場で、広い茶畑が広がっている。
赤屋根のお堂は山際西観音で、狭山三十三観音26番札所。お堂には十一面観世音が祭
られているようだ。
わずかな境内を囲むように、数本のソメイヨシノが枝を広げていた。
狭山集落の南側道路を東へ、畑の縁に咲く野の花や茶の花などを眺めながら進むと、茶
畑の向こうに茶園の製造工場らしい建物が見える。
狭山茶は、個人の茶園が各々自家製茶して直売しているので、このような建物が周辺に
は幾つか見られる。
予定コースより少し行き過ぎたようで、出雲祝神社の森が近づき、神社の北西側鳥居際
に出た。
ひとつ北側の道に回るとハタヤ稲荷神社があった。小さいお堂だが、その横に古くて変
わった形の絵馬が奉納されていた。
その横から、畑と屋敷林の間を北に延びる草付きの細道を進む。北側の車道近くまで進
んだ辺りにヒガンバナの群落が続き、かなりの花が開花していた。
車道に出て折り返すように西進して坊集落に入り、中心部にある太子堂に回る。
二つの宝形屋根のお堂が並べ、左側の大きい方が太子堂で右は不動堂のよう。
太子堂には600巻の大般若経が納められているようで、いわゆる鉄眼版(てつげんば
ん)と呼ばれる、幕末の弘化(1844~48)から安政期(1854~60)にかけて
奉納されたもので、入間市有形文化財(古文書)に指定されているという。
毎年4月の大般若祭には、大般若経を開いて転読供養(てんどくくよう)と呼ぶ催しが
あるようだ。
この境内にも大きなキンモクセイがあり、たくさんの花が芳香を放つ。
坊集落を東北に急ぎ、13時28分に県道179号・所沢青梅線にある、往路のバスの
終点、宮寺西バス停に着いた。そばに西武バスの折り返し場がある。
13時35分発小手指駅南口行き始発バスに乗り、小手指駅南口には14時ちょうどに
戻った。
(天気 曇、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 所沢、青梅&『トトロのふるさと 狭山
丘陵見て歩き』中のコース9の地図、歩行地 埼玉県入間市、東京都瑞穂町、歩数
12,300)
路傍の民家の方と眼を合わせたときに挨拶は交わしたが、コース中では全く会う人はな
く、コロナ渦の中の3密には関係なく、林間でのツクツクボウシの鳴き声以外は聞こえる
ものの少ない静かな里山、里道歩きであった。
蛇足ながら、小手指駅に戻って遅い昼食後にスーパーで買い物を済ませ、帰宅する途中
でこんちょさんと行き交い、声を掛けられた。
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今日は、曇天ながら日中は雨の心配は無さそう。最高気温も25℃前後のようなので、
狭山丘陵北西麓の里山めぐりをすることにした。
参考にしたのは、『トトロのふるさと 狭山丘陵見て歩き』(トトロのふるさと財団・編)
中の、「丘陵のふもとを歩き 里山の景観を楽しむ」というコース。
ちなみに、このガイドブックの表紙は私が撮ったもの。ほかに何点かの写真もコースガ
イドの中に掲載されている。
西武池袋線の小手指(こてさし)駅南口から9時23分発の宮寺西行バスに乗り、9時
42分に荻原バス停で下車した。
バス停のそばに、白いヒガンバナの一部が開花していた。その横から細道を南に入り、
細い水路沿いを南西に少しで、西側から西勝院(さいしょういん)境内へ。
西勝院は狭山三十七薬師の第10番札所で、狭山三十三観音の第29番札所でもある。
本堂は南向きに堂々と立っていた。
本堂の南東側に大師堂があり、その横に「宮寺氏館跡」の説明パネルがある。
宮寺氏は、平安末期の武蔵七党のひとつ村山党の村山家平(いえひら)が当地宮寺の領
主となり、宮寺五郎家平と称してこの地に居館を構えたとか。
ここ西勝院がその館跡のようで、背後にそれらしい土塁が残っていた。
本堂の南西側、山門近くには観音堂があり、境内にはススキや白いヒガンバナが咲く。
南側の山門を出て西勝院を後にした。
西側に隣接して「茶房あんず」があるが、今日はクローズの札が。そばのシロガネヨシ
(パンパスグラス)が大きな花を見せている。
少し西進すると、2つめの十字路の北の突き当たりにコース外だが、お寺のマークがあ
るので回ってみた。
清泰寺で、本堂前の大きなキンモクセイが花をいっぱい付け、芳香を漂わせている。
清泰寺は奥多摩新四国八十八か所 第56番霊場のよう。石像の観音像は本堂左手前の小
屋(左手の小さい方↓)に祭られ、ご詠歌の掲額もある。
ほかに、「風・邪気・厄除け石尊堂」↓や、地蔵尊なども祭られていた。
南西側を回り元の通りに出て、さらに少し西進すると民家の庭先にタラヨウの木が立つ。
「はがきの木」とも呼ばれ、葉の裏に細い棒で字を書くと変色するという。葉の上には
たくさんの実が付いていた。
少し先、文字の読みにくい石塔の横にクロマツの若木の立つT字路を南進すると、右手に
うっそうとした鎮守の森の前に出た。出雲祝(いずもいわい)神社である。
出雲祝神社は、ここ宮寺郷の総鎮守で約2,000年前の創建と言われる古社。長い境内
の奥、石段を上がると東向きに社殿が祭られている。
右手には八雲神社の社殿が、左↑には護国神社が並び、境内には神楽殿もある。
出雲祝神社の左手、護国神社との間を抜けると、背後の森に2つの石碑が立っている。
「重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)」と「茶場後碑(ちゃじょうこうひ)」
である。
左手の「重闢茶場碑」は、天保3(1832)年のもので、狭山茶の由来が記されてい
るよう。
右手の「茶場後碑」は明治9(1876)年の建立で、重闢茶場碑の内容を継承しつつ、
その後の狭山茶の歩みが記されているという。だが、2つとも碑文はかすれて判読し難い。
その横を左折した南側に接して、西久保観音堂がある。
神亀5(728)年春、行基が全国行脚の途中に堂を開いたのが始まりという古寺で、
狭山三十三観音霊場の第28番札所である。
毎年1月17日と8月17日には、「鉦(かね)はり」と呼ぶ双盤鉦(そろばんかね)
や太鼓などによる念仏が行われるという。
境内東南側のカヤは樹齢1,000年を超えるといわれ、根回り4.5m、高さ23m、
枝張り25mあり、市内第1の古木とか。枝には、カヤの実がたわわに実っていた。
境内西側、休憩所の建物横には、江戸時代に奉納された4個の力石を並ぶ。
観音堂境内の南西側から、緑の森博物館の道標に従い狭山湖外周道路への草付きの道を
緩やかに上がる。
樹林に入る手前にジュウガツザクラがあり、チラホラと花を見せている。そばのユズの
木には実がいっぱい。
高みになり西方から北へと展望が広がるが、奥武蔵方面の山並みは曇天で雲に隠されて
いた。
山すそに「宮寺ふくろうの丘公園」と呼ぶ緑地があり、その横から樹林帯へ。
少し進むと、背の高いトーテムポールが立っていた。
その先には、カシノナガキクイムシにより「ナラ枯れ」してしまった切り株が幾つもあ
り、成虫が外に出ないように各々にブルーシートが掛けられている。
東京電力の豊昭線18号と19号鉄塔との間の送電線下を斜めに通過し、さらにツクツ
クボウシが賑やかに鳴く樹林の中を進む。
うっそうとした樹林が少し開けて明るくなり、やがて突き当たりの三差路へ。標識に従
い「狭山湖外周道路 六道山」方面へ向かう。
サルノコシカケが幾つも出た古い切り株の横を過ぎ、狭山湖外周道路に出た。
「さいたま緑の森の博物館案内図」と「都立野山北・六道山公園」の案内図がある。
狭山湖を囲む金網と木のさくの間の狭山湖外周道路を右へ、「狭山湖堰堤から5.2㎞」
の標識を過ぎて南西に少し回り込む。
少し開けた草地があり、中央部に防火水槽の標柱が立っている。その横から外周道路に
分かれて「北狭山谿 田の入」の標柱に従い林間の細道に入る。
緩やかなアップダウンがあり、つぎのT字路で「北狭山谷」の方向へ木製の階段などで
下る。
やがて小さな流れが現れ、少し先で谷間が開けたところに出た。ここが北狭山谷のよう
で、都の公園整備事業で3つの池を作ったというが、草に覆われて池は判然としない。
谷の末端、民家が見えたところに数個のベンチが設けられていたので、小休止して水分
補給をする。
ひとつのベンチのそばに、粒がくっついたような赤い実の付いた常緑広葉樹があった。
北側は高根集落、東側山際には茶畑があり、そばに境内電話のアンテナ塔が立つ。
集落と山すその畑の間を東進して東京都瑞穂町から埼玉県入間市に入り、茶畑の向こう
に赤い屋根のお堂が見えてきた。
この辺りは狭山茶の本場で、広い茶畑が広がっている。
赤屋根のお堂は山際西観音で、狭山三十三観音26番札所。お堂には十一面観世音が祭
られているようだ。
わずかな境内を囲むように、数本のソメイヨシノが枝を広げていた。
狭山集落の南側道路を東へ、畑の縁に咲く野の花や茶の花などを眺めながら進むと、茶
畑の向こうに茶園の製造工場らしい建物が見える。
狭山茶は、個人の茶園が各々自家製茶して直売しているので、このような建物が周辺に
は幾つか見られる。
予定コースより少し行き過ぎたようで、出雲祝神社の森が近づき、神社の北西側鳥居際
に出た。
ひとつ北側の道に回るとハタヤ稲荷神社があった。小さいお堂だが、その横に古くて変
わった形の絵馬が奉納されていた。
その横から、畑と屋敷林の間を北に延びる草付きの細道を進む。北側の車道近くまで進
んだ辺りにヒガンバナの群落が続き、かなりの花が開花していた。
車道に出て折り返すように西進して坊集落に入り、中心部にある太子堂に回る。
二つの宝形屋根のお堂が並べ、左側の大きい方が太子堂で右は不動堂のよう。
太子堂には600巻の大般若経が納められているようで、いわゆる鉄眼版(てつげんば
ん)と呼ばれる、幕末の弘化(1844~48)から安政期(1854~60)にかけて
奉納されたもので、入間市有形文化財(古文書)に指定されているという。
毎年4月の大般若祭には、大般若経を開いて転読供養(てんどくくよう)と呼ぶ催しが
あるようだ。
この境内にも大きなキンモクセイがあり、たくさんの花が芳香を放つ。
坊集落を東北に急ぎ、13時28分に県道179号・所沢青梅線にある、往路のバスの
終点、宮寺西バス停に着いた。そばに西武バスの折り返し場がある。
13時35分発小手指駅南口行き始発バスに乗り、小手指駅南口には14時ちょうどに
戻った。
(天気 曇、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 所沢、青梅&『トトロのふるさと 狭山
丘陵見て歩き』中のコース9の地図、歩行地 埼玉県入間市、東京都瑞穂町、歩数
12,300)
路傍の民家の方と眼を合わせたときに挨拶は交わしたが、コース中では全く会う人はな
く、コロナ渦の中の3密には関係なく、林間でのツクツクボウシの鳴き声以外は聞こえる
ものの少ない静かな里山、里道歩きであった。
蛇足ながら、小手指駅に戻って遅い昼食後にスーパーで買い物を済ませ、帰宅する途中
でこんちょさんと行き交い、声を掛けられた。
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