あるきメデス

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「鉄道と美術の150」展へ(東京・東京駅)

2022-12-26 21:03:58 | 美術館・博物館・展覧会等の観覧
 2022年12月8日(木)

 今日は太平洋戦争開戦から81年になるが、さらに遡り150年前をふり返る美術展の
観覧に行く。(この展覧会のリーフレット表面)
     


 会場は、JR東京駅丸の内北口にある「東京ステーションギャラリー」


     
 11時40分頃入館した。入館料大人1,400円だが、ジパング倶楽部会員は割引で
1,300円だった。
     

 1階から入り、展示室のある3階へはエレベーターで上がり、3階を観覧後は2階へと
下って2階の展示室へ回るようになっている。

 館内は撮影禁止なので、もらってリーフレットからこの催しの狙いを。

『日本初の鉄道が新橋-横浜間で開業したのは明治5(1872)年のことですが、奇し
くも「美術」という語が、それまでの「書画」に代わって初めて使われたのも同じ年のこ
とでした。

 鉄道と美術はともに日本の近代化の流れにより添い、時にはそのうねりに翻弄されなが
ら150年の時を歩み続けてきたのです。

 この展覧会では、鉄道と美術の150間にわたる様相を鉄道史や美術史はもちろんのこ
と、政治、戦争、社会、風俗など、さまざまな視点から読み解き、両者の関係を明らかに
していきます。』


 会場でもらった作品リストによれば、3階と2階に分かれた会場は年代に応じて150
点の作品がされていて、制作年度は1854年から2022年、技法は木版、石版、油彩、
絹本、紙本着色、水彩、石膏、写真ほか多彩にわたっていた。

 描かれたのは、鉄道に関わる幅広いもので、戦争や労働、娯楽など多岐に及び、個々の
解説文と作品と見比べながら、ゆっくりと観賞した。

     
 その一端を、もらったリーフレットから切り出して以下に紹介するが、名刺大以下から
大型切手程度の大きさからなので、実物との見栄の差は大きいことをご了承いただきたい。
                                   (順不同)      

 
  「横浜海岸鉄道蒸気車図」 歌川広重 1874年


  「地獄極楽めぐり図」より「極楽行きの汽車」 河鍋暁斎 1872年


  「赤い気罐車庫」 長谷川利行 1928年

    
  「新宿駅」 木村荘八 1935年


  「「路上歩行展」と通勤者たち(中村宏・立石紘一作):東京駅~京橋かいわい」
                                     平田実

     
       「鉄路」 川上涼花 1912年

          
            「機関車」 田中靖望 1937年

    
      「ディスカバージャパン no.4」  1971年


  「Small Planet tokyo stattion]」 本郷直季 2004年


  「煙」 香月泰男 1969年 


 3階会場から2階会場に下る途中の階段横、このレンガ積みは国重要文化財として登録
されている。


 1時間20分余り観賞して、13時過ぎに2階会場を出た。2階は東京駅丸の内北口の
大ドームの西側なので、外側の窓から丸の内口駅前広場や周辺のビルなどが望まれた。



 東京中央郵便局方面

     
      丸ビル方面 
    
          
           新丸ビル方面




  外をのぞいた後は、2階の回廊を反時計方向で回ってみることに。ミュージアム
  ショップ出口横のパネル  
     

 
 
 南西側には、東京駅丸の内駅舎保存・復元工事に関わる展示が少し。

 上は3階回廊ブランケット(月の満ち欠け)で、やはり1914(大正3)年頃のもの
のよう。右から三日月、十三夜、望月、下弦の月を現してているという。

 下は旧第七号階段ブラケット、創建時の1914(大正3)年頃のもの
 

 南北ドームの装飾レリーフ(同じく創建時の1914(大正3)年頃)のもので、上は
菱の実を、下はエッグ&ダートだとか。 

     
   第八号階段手すり(上)と旧第七号階段手すりで、いずれも1914年頃製
      のよう。

       回廊には、こんなポスターも。
     

 現在の南北ドーム装飾レリーフ、干支(えと)の復元用石膏原形で、上段左から丑、寅、
辰、巳、下段左から未、申、犬、亥、2007~12(平成19~24)年に復元したと
いう。


 北側回廊には、東京駅丸の内駅舎の変遷が分かる模型などが。

 バルツアーの中央停車場プラン

 ドイツの鉄道技師で中央停車場の建設計画を担当したが、鉄道関係者には受け入れられ
ず、この後設計した辰野金吾は、この施設や構内配置はそのまま踏襲したという。

 
 辰野金吾の設計で、日露戦争の影響もあり設計に約7年をかけて1910(明治41)
に最終計画が提出されたとか。

 第2次世界大戦戦で大きな被害を受けた駅舎の戦災復興工事により、1947(昭和22)
年3月に竣工したもの。
  
 最近の保存・復元工事が始まる2007(平成19)年までの60年間使い続けており、
高齢の方にはおなじみだった外観。
 
 ほかにも、創建時の杭基礎の松丸太、トラスの一部、東京駅周辺の航空写真なども展示
されていたが省略する。

     
          ミュージアムショップを抜けてレンガ塀沿いの階段を下りた。
          

 丸の内北口から見上げたドーム。


 13時30分になったので昼食をすることにして、丸の内北口から八重洲北口へ回り、
地下街を南口まで進んで、いつもの店「おらが蕎麦」に入る。

 
 今日も、旨辛牛肉そば(790円)を注文して、ボリュームたっぷりのそばをおいしく
味わった。

 

 昼食後、再び地下道を戻って丸の内北口へ。南西側の新丸ビル際から東京駅丸の内北口
や中央口周辺を眺める。



 北側、国登録有形文化財の日本工業倶楽部会館↑横を北へ、永代通りとの交差点へ。北
東側↓は大手町野村ビル。


 永代通りを少しで次の交差点へ。11月29日(火)に歩いた丸の内仲通りの北端であ
る。
    
 その大手町仲通りへ。右手(東側)、みずほ銀行などの入る大手町タワーと呼ぶビルの
西側一帯は、広葉樹が高く伸びた林がわずかだが続き、ここが東京駅のすぐ近くとは思え
ぬ空間になっていた。
          
 ここは「大手町の森」と呼ばれ、房総半島の植生をそのまま移植した、まさに自然の森
ともいえるところだという。(「大人の休日倶楽部」2023年1月号から)
    

 私は1960~70年代前半まで、近くの大手町1丁目にあった2,3のビルが職場だ
ったが、当時周辺は8~9階建てのビルだけで、緑も少なかった。

 その頃と比べると高層や超高層ビルの林立する現在は、すっかり様変わりした。

 でも、わずかなこの通りの突き当たり、大手町ビルは外装こそ変わったが、当時のまま
の9階建てで残っていた。


 中央部から大手町ビルに入り東側出口を出て、東京メトロ丸ノ内線の大手町駅から池袋
行き電車に回る。

 蛇足ながら、私の丸ノ内線での通勤は、霞ヶ関駅など別の駅からを含めると30年を越
えていたように思う。
 



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