あるきメデス

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ボタン咲く多聞院と新緑の多福寺へ(埼玉・所沢&三芳)〈後半〉

2023-04-25 18:29:56 | 所沢だより
 2023年4月19日(水) 〈後半・多福寺〉

 多聞院を一巡後、多福寺に向かうために背後の墓地を抜ける。


 墓地の北側は広い空き地になっていて、北東端の市道際には何色かのツツジが花盛り。
























     
        市道の東側にある事業所の建物の背後から、未舗装の林間を東へと進む。
          

 少し進むと南側は広い墓地になっていて、その東北端には6地蔵尊が立っている。



 その先を東南へ、林間を進んでまずは多福寺の南側にある木ノ宮地蔵堂へ。


 地蔵堂の説明パネルの横に、「県指定旧跡 三富開拓地割遺跡」の標柱が立っている。
     
 側面には、「三富(さんとめ)開拓地割遺跡は、元禄7~9(1694~96)年に川
越藩主柳沢吉保の命を受け、重臣曽根権太夫の指揮により実施された開拓で、ここ三芳町
上富と、所沢市中富・下富の約400町歩(約1400㏊)に及び、開拓当時の景観をよ
く残す、生産性の高い農業地帯である」と記されている。



  
 宝形屋根の地蔵堂の背後には、木ノ宮地蔵奥之院の石地蔵を祭るお堂があるが、のぞい
てみても中は暗くて確認できなかった。



 北西側に戻り、多福寺境内に入って東向きの山門を入ると、正面に本堂が望まれる。


 
 境内はモミジなどの新緑がみずみずしく、山門際のフジが咲き出していた。




     

          

 
      りっぱなモミジが何本かあり、新緑の彩りが気持ちよい。
     






 本堂近くには大きなツツジがあり、もう少しで見ごろになりそう。



 本堂に参拝して気づいた、正面ガラス戸に映る↓境内の緑。


 本堂から、山門の方向を振り返り見る。






 
 境内のあふれる新緑を眺め、本堂の東北側にある元禄の井戸から鐘楼の方に回る。
 

 鐘楼に下がる銅鐘は県の重要文化財。三富新田の開発をした柳沢吉保の家臣、曽根権太
夫定刻が寄進したもので元禄9(1696)年に奉納されたという。

 銅鐘に刻まれた銘文には、曽根が三富開拓に尽力したいきさつ、多福寺建立の意味づけ、
柳沢吉保の功績、銅鐘鋳造の経緯などが記されて、歴史資料としても重要なもののようだ。

 境内東南側、墓地寄りにあるのは大師堂だったろうか? 


     
 近くには、「伝承 狭山茶発祥の地」碑があり、背後に植栽された数株の狭山茶には、
もう新芽がかなり伸びていた。


 
   
 その近くに墓地への通路があり、墓地内を回って南側の道路に出て、多門院方面に戻る
ことにする。
     


 墓地の一角から、本堂の背後にフジが見えたので北側の一隅からのぞいてみた。


 往路を多聞院から毘沙門堂横ヘと12時50分頃戻ったが,降車した多聞院通り西バス
停からのバスは直近にはないので、中新井ニュータウン方面まで歩くことにする。

 砂川堀右岸沿いに1㎞近く進む。流れ沿いの桑の木は、実がかなり膨らんでいた。

 

     その先の樹林下には、あちこちにクサフジが咲いている。
     

 幅広く交通量の多い県道126号・所沢掘兼狭山線に出て北西へ、すぐ先の下富駿河台
交差点で左折して、以前多聞院に来たときにも寄った農産物直売所「食の駅 」所沢店へ。
 


 広い店内には、所沢周辺を始め県内各地の農産物や農産物加工品、菓子や銘酒、飲み物、
生花その他が豊富に並び、購買欲をそそられる。







 今回は2点のみ購入して食の駅を出た。



 南東側に少し進み、山田うどん食堂に14時近く入り、ねばとろそば(680円)を注
文して遅い昼食を済ます。


     
 さらに南下して中新井ニュータウンのバス通りに入り西へ、14時52分に伸栄小学校
前バス停に着き、2分後の西武バスで終点の新所沢駅東口へ向かう。

 (天気 快晴後晴、距離 6㎞、地図 「ところざわウオーキングナビ 北エリア」、歩
  行地 所沢市、三芳町、歩数 13,700)

 



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