第22日 2007年10月31日(水)
=さいたま市浦和から日本橋まで=
第8回中山道ウオークも最終日を迎えた。出発予定
のさいたま市内、JR大宮駅に8時前に着いたが、誰
もいない。H隊長に電話したら、昨日は宿舎の浦和の
別所沼会館まで歩き、今日のスタートは会館からに変
更したとのことだった。
JR京浜東北線で蕨(わらび)駅まで行き、蕨宿の北
入口で待つことにする。自宅から直行のEさんも、間も
なく来られた。
しばらしくて18人の皆さんが来たので合流する。国道
17号の東に並行する旧中山道の歩道は、中山道69
宿の浮世絵が、タイルで描かれ埋め込まれていた。
蕨宿本陣跡にある蕨市立歴史民俗資料館に入り、
トイレ休憩を兼ねて観覧した。
旧道は1㎞ほどで通過し、この先多くは国道17号を
進むことになるが、荒川に近い戸田市内は再び国道
の東に回り、若いけやき並木の下の歩道を進んだ。
埼玉と東京の都県境になる荒川の戸田橋を渡り、
板橋区に入る。
橋のたもとで待ったいたNさんからミカンをいただ
き、橋の先の木陰で小休止してのどを潤す。
東坂下では国道の東を、すぐ先で国道の西に回り、
ちょっとした傾斜の清水坂を上がる。再び国道に出
て間もなく、道の両側にりっぱな志村一里塚が残っ
ていた。
日本橋から3番目の一里塚で、天保3年(1830)
の「新編武蔵風土記稿」にも紹介されており、都内
に残る一里塚は、北区西ヶ原の一里塚とここだけ
で、国の史跡に指定されているという。
東側の塚の隣には、竹製品を販売する斉藤商店
の古い商家もある。
1㎞余り進んで、国道の東に続く板橋宿に入った。
この先2㎞近くは、いまも活気のある商店街が続き、
宿場の名残も感じられる。
本町の小さい交差点際に、縁切榎(えのき)の旧跡
がある。榎の皮を煎じて相手に飲ませれば、別れら
れるといわれ、嫁入り行列はこの木の下を通らなか
ったとか。
文久元年(1861)、皇女和宮が将軍家茂に降嫁
したときには、この榎を包んで見えないようにしたと
もいわれているという。現在の榎は3代目のようだ。
板橋宿は、入った北側から、上宿、中宿、平尾宿に
分かれている。上宿にあたる本町には、にぎわい広
場と呼ぶ小公園があり、木造の大きな常夜灯の周囲
で、何人かの住民が憩いのひとときを過ごしていた。
両側がみごとな桜並木になっている石神井川にか
かる板橋は、疑木の木橋。日本橋から10㎞642m
の標柱が立つている。
正午近く、橋の南の小公園で休憩。缶ビールと
出来たてのコロッケが配られ、乾いたのどを潤し、
昼食前のよい腹ごしらえになった。
板橋宿を南に抜けて国道を横切り、12時半過ぎ、
板橋駅前に着く。
Kさんが大きな歓迎幕を持って出迎えてくれた。
記念撮影後、昼食となり、近くのそば屋などに入
る。私は買ってきた弁当を駅前広場で広げた。
板橋区から豊島区へと進んで、巣鴨地蔵商店街へ。
あいかわらずお年寄りで賑わうとげ抜き地蔵前や、
狭い商店街を抜けて、JR巣鴨駅近くで国道17号に
戻った。
JR山手線線路の南は文京区。2.5kmほどで本郷
通りに入り、東大に沿って進んで、神田明神と湯島聖
堂の間を通過する。
取り壊し中の旧交通博物館横から最終コースに入り、
15時35分、途中を歩いた仲間数人の出迎えを受け、
ゴールの日本橋に着いた。
H隊長が、毎年引き継いできた菅笠にサインして、
来年の第9次隊長、Kさんに引き継ぐ。
無事、第8次中山道ウオークは幕を閉じた。
橋のそばで記念撮影後、近くの常盤橋公園に移動し、
H隊長の音頭で乾杯する。
点呼担当のOさんから、今回の歩行距離は602㎞、
延べ参加者433人と発表があった。
途中先行した3人に準備してもらった、寿司やつまみ
ものを食べながら、今回の行程を振り返り、しばしの
歓談。来春の再会を約して三々五々散会した。
〈コースタイム(途中参加)〉蕨宿北口9・25ー蕨市立歴
史民俗資料館9・33~45ー戸田橋北詰10・28ー清水坂
11・05ー志村一里塚11・18ー板橋(休憩)11・52~12・12
ー板橋駅前(昼食)12・34~13・30ー都電横断13・45ー
巣鴨駅横14・02ー本郷弥生交差点14・36ー本郷三丁目
14・49ー旧交通博物館前15・10ー日本橋15・35
(天気 晴、距離(蕨駅から) 23㎞、歩行地 (さいたま
市)、蕨市、戸田市、板橋区、豊島区、文京区、千代
田区)
=さいたま市浦和から日本橋まで=
第8回中山道ウオークも最終日を迎えた。出発予定
のさいたま市内、JR大宮駅に8時前に着いたが、誰
もいない。H隊長に電話したら、昨日は宿舎の浦和の
別所沼会館まで歩き、今日のスタートは会館からに変
更したとのことだった。
JR京浜東北線で蕨(わらび)駅まで行き、蕨宿の北
入口で待つことにする。自宅から直行のEさんも、間も
なく来られた。
しばらしくて18人の皆さんが来たので合流する。国道
17号の東に並行する旧中山道の歩道は、中山道69
宿の浮世絵が、タイルで描かれ埋め込まれていた。
蕨宿本陣跡にある蕨市立歴史民俗資料館に入り、
トイレ休憩を兼ねて観覧した。
旧道は1㎞ほどで通過し、この先多くは国道17号を
進むことになるが、荒川に近い戸田市内は再び国道
の東に回り、若いけやき並木の下の歩道を進んだ。
埼玉と東京の都県境になる荒川の戸田橋を渡り、
板橋区に入る。
橋のたもとで待ったいたNさんからミカンをいただ
き、橋の先の木陰で小休止してのどを潤す。
東坂下では国道の東を、すぐ先で国道の西に回り、
ちょっとした傾斜の清水坂を上がる。再び国道に出
て間もなく、道の両側にりっぱな志村一里塚が残っ
ていた。
日本橋から3番目の一里塚で、天保3年(1830)
の「新編武蔵風土記稿」にも紹介されており、都内
に残る一里塚は、北区西ヶ原の一里塚とここだけ
で、国の史跡に指定されているという。
東側の塚の隣には、竹製品を販売する斉藤商店
の古い商家もある。
1㎞余り進んで、国道の東に続く板橋宿に入った。
この先2㎞近くは、いまも活気のある商店街が続き、
宿場の名残も感じられる。
本町の小さい交差点際に、縁切榎(えのき)の旧跡
がある。榎の皮を煎じて相手に飲ませれば、別れら
れるといわれ、嫁入り行列はこの木の下を通らなか
ったとか。
文久元年(1861)、皇女和宮が将軍家茂に降嫁
したときには、この榎を包んで見えないようにしたと
もいわれているという。現在の榎は3代目のようだ。
板橋宿は、入った北側から、上宿、中宿、平尾宿に
分かれている。上宿にあたる本町には、にぎわい広
場と呼ぶ小公園があり、木造の大きな常夜灯の周囲
で、何人かの住民が憩いのひとときを過ごしていた。
両側がみごとな桜並木になっている石神井川にか
かる板橋は、疑木の木橋。日本橋から10㎞642m
の標柱が立つている。
正午近く、橋の南の小公園で休憩。缶ビールと
出来たてのコロッケが配られ、乾いたのどを潤し、
昼食前のよい腹ごしらえになった。
板橋宿を南に抜けて国道を横切り、12時半過ぎ、
板橋駅前に着く。
Kさんが大きな歓迎幕を持って出迎えてくれた。
記念撮影後、昼食となり、近くのそば屋などに入
る。私は買ってきた弁当を駅前広場で広げた。
板橋区から豊島区へと進んで、巣鴨地蔵商店街へ。
あいかわらずお年寄りで賑わうとげ抜き地蔵前や、
狭い商店街を抜けて、JR巣鴨駅近くで国道17号に
戻った。
JR山手線線路の南は文京区。2.5kmほどで本郷
通りに入り、東大に沿って進んで、神田明神と湯島聖
堂の間を通過する。
取り壊し中の旧交通博物館横から最終コースに入り、
15時35分、途中を歩いた仲間数人の出迎えを受け、
ゴールの日本橋に着いた。
H隊長が、毎年引き継いできた菅笠にサインして、
来年の第9次隊長、Kさんに引き継ぐ。
無事、第8次中山道ウオークは幕を閉じた。
橋のそばで記念撮影後、近くの常盤橋公園に移動し、
H隊長の音頭で乾杯する。
点呼担当のOさんから、今回の歩行距離は602㎞、
延べ参加者433人と発表があった。
途中先行した3人に準備してもらった、寿司やつまみ
ものを食べながら、今回の行程を振り返り、しばしの
歓談。来春の再会を約して三々五々散会した。
〈コースタイム(途中参加)〉蕨宿北口9・25ー蕨市立歴
史民俗資料館9・33~45ー戸田橋北詰10・28ー清水坂
11・05ー志村一里塚11・18ー板橋(休憩)11・52~12・12
ー板橋駅前(昼食)12・34~13・30ー都電横断13・45ー
巣鴨駅横14・02ー本郷弥生交差点14・36ー本郷三丁目
14・49ー旧交通博物館前15・10ー日本橋15・35
(天気 晴、距離(蕨駅から) 23㎞、歩行地 (さいたま
市)、蕨市、戸田市、板橋区、豊島区、文京区、千代
田区)
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