あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

トトロの森や小手指ヶ原古戦場をカントリーウオーク(埼玉)

2015-05-11 22:55:53 | カントリーウオーク
 2015年5月10日(日)

 春の連休から続く晴天となったこの日、カントリーウオークグループの例会に参加する。
集合は西武狭山線の下山口(しもやまぐち)駅。3組に分かれて10時5分に出発した。

 == 「荒幡の富士」から狭山湖堤へ ==
 
 北側を走る県道55号を東北に400mほど進み、最初に仏蔵院へ。

 仏蔵院は、山口貯水池(狭山湖)造成で湖底に沈んだ大字勝楽寺(しょうらくじ)から
移転したとのこと。狭山三十三観音霊場2番、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所73番霊場で
ある。


 緑多い境内に大株のツツジが幾つか咲き競い、正面に大きな本堂が立つ。
    

 ツツジの近くのシナノキは↓、花を終えて実がふくらんでいる。山門の近くには、モク
セイの古木が高く枝を延ばしていた。
    

 県道を少し戻って三差路を東へ、西武狭山線の踏切を越えて南進し、住宅地の横の谷間
を進むと茶畑があり、30人前後のグループが茶摘みを始めようとしていた。
 

 その横の涼しい林間を緩やかに上がって、県の「狭山丘陵生きものふれあいの里センタ
ー」に入る。



 館内で、狭山丘陵の動植物や魚などの展示を観覧後、前のベンチで小休止する。周辺は
所沢市の「荒幡富士市民の森」で、広葉樹林の新緑が気持ちよい。

 林間を少し回って稜線に出て、浅間神社の横から荒幡富士(119m)山頂に上がった。

 明治17年(1884)から32年(1899)まで、15年かけて地元荒幡村の富士
講信者や近隣の有志などが築いた人口の富士山で、後に文人大町桂月も、築山碑にそのこ
とを明記しているという。

 本ものの富士山は雲に隠れていたが、都心のビル街や所沢の中心街、小手指駅周辺の建
物群↓、西武ドームなどの展望を楽しんだ。


 南に接する西武園ゴルフ場との間を西進して住宅地に出て、V字状に折り返して住宅地
の南端まで進む。


 以前も見たが、庭先が花で埋め尽くされた住宅があった。


 その横から林間を緩やかに上がり、多摩湖(上湖)の北岸に延びる車道に出る。北に少
し下り、大塚の住宅地を西に抜け、急階段を下った次の斜面が「トトロの森6号地」。
    

        
 新緑したたる広葉樹林の間を上がり、西武園ゴルフ場の北側で小休止した。

 次のポイント、中氷川神社に回ると昼食地に着くのが遅れそう。この先も、地図上に鎖
線が狭山湖取水塔に向かって真っ直ぐに延びている東京都水道局の送水管埋設地の上を進
むことにする。


 西側に下って草付きの堤防を進む。ニセアカシヤや、ミズキなどの花がたくさん咲いて
いた。
    

 次の斜面も林間を上がり畑を横断し、さらに急降下して住宅の横を上がって畑に出る。
畑の隅のボタンやシャクヤクがきれいな花を見せる。
        

 さらに、畑の間や住宅地の間の細い斜面などを進む。ひと筋北側の住宅地を進み、西武
球場前駅近くで細い流れと西武狭山線の高架下を通過する。県道55号を横切り、上山口
の住宅地を西に抜けた。

 狭山湖堤防下の運動公園下部を北進し、堤防の北端に向かって上がる。遊歩道斜面には
ツツジの並木が続き、花が見頃である。



 12時34分に、昼食地である狭山湖堤防北端の東屋(あずまや)に着いた。そばのサ
クラの緑陰で昼食を始め、間もなく後続の皆さんも到着した。



 
 == 北野天神から小手指原古戦場へ ==

 食事と休憩を終えてミーティングをして、雲が増えて日射しが遮られて歩きやすくなっ
た13時45分、スタートした。

 車道を横断して東へ、円筒形の水道タンクの横を進む。広葉樹林が終わると狭山茶の茶
畑の斜面が広がり、新緑がみずみずしい。


 住宅が現れた辺りに藤森稲荷神社の小ぶりな社殿があり、傍らにフジの古木があるが、
花はすでに終わり若葉に覆われていた。
      

 家並みの間を少し下ると、大きな本堂が目に付く全徳院の門前に出る。武蔵野三十三観
音第12番札所でロウバイの寺として知られているが、葬儀中だったので境内には入らず、
横を通過する。


 すぐ先から小さい流れ沿いの歩道を進み、小手指公民館に寄る。住民が拠出した衣類の
チャリティバザーや写真展を開催中で、かなりの入館者である。


 北野天神前交差点から県道179号を東にすぐ、石段を上がって北野天神社に入った。

 景行天皇の時代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折に創建し、その後、長
徳元年(995)に菅原道真五世の孫、修成が武蔵守になり京都の北野天満宮を祭り、以
後、北野天神と称するようになったという。

        
 西側の鳥居から出て、住宅地を北西に抜ける。北野中の西まで進むと埼玉県史跡「小手
指原(こてさしがはら)古戦場」碑と説明板があり、傍らのベニバナトチノキが花を見せ
る。
      

 説明板には、「元弘3年(1333)新田義貞が鎌倉攻めのためこの地に集まり、5月
11日に迎え討つ鎌倉軍と30余回打ち合うが勝敗つかず、新田軍は入間川(狭山市)に、
幕府軍は久米川(東村山市)に引いた」こと、

 背後の白幡塚(しらはたづか)は、源氏の末裔(まつえい)である新田義貞がここに陣
を張り、源氏の旗印とされる白幡を立てたという伝承がある」ことなどが記されている。


 広葉樹林に覆われた白幡塚の上には、「白幡塚」碑と二つの小さい祠(ほこら)が祭ら
れていた。


 誓詞橋(せいしばし)交差点に出て国道463号バイパスに入り、北側歩道を少し東進
して茶畑の横を北に入り、今日の記念撮影をする。


 所沢西高の南側を進み、「小手指ふるさと景観地」の広葉樹林の中を東に抜けて、ゴー
ルの西武池袋線小手指駅南口に15時47分に着いた。

(参加 15人、天気 快晴後晴、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地
 所沢市、歩数 21,100)



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