3日目・蘇州市内・留園・寒山寺・山塘街・平江
11月13日、今夜も連泊なので、荷造り不要の朝~のんびり朝食後、8:45バス出発~既にバスの周りには『千円おばさん』が5~6人待ち構えている。売っているのはレースや刺繍だ。3つ1000円が5つ1000円になっていく(笑)
丸一日の蘇州市内観光。
先ずは、蘇州4大庭園で、明代に徐泰時(ジョタイジ)が造ったという『留園』で、蘇州では2番目に大きいそうだ。
奇岩は太湖から運ばれた、太湖石で、魚と水が穿った穴が無数に空いている。
張さんの説明では、下の穴から線香を焚くと上の穴から煙が上がり、上の穴から水を注ぐと、下の穴から流れ出ると言う。本当か?と思うが、ここで試したら捕まってしまうだろう。
しかし、至る所に太湖石があり、何トンという石をどの様に運んだのか?建物を立ててからは入れられない大きさなので、建築前に既に庭づくりを行っていたのか?張さんは『北京の庭園は皇帝が造ったものが多く、蘇州の古典庭園やこのような屋敷は、個人庭園が特徴です。作るには膨大なお金がかかります。だから当時の役人が賄賂をたくさんもらってお金と権力を得て贅沢をつくしたものです。みなさん僕にも賄賂たくさん下さい。そしたら僕も作ります。』と皮肉たっぷりに説明した。
建物の軒先は反り返った作りが特徴で、中国らしい建築。また、窓枠は『花窓』と言われるもので、木枠でさまざまな幾何学模様を凝らしてあり、一枚と同じものは無いとのこと。外から内部は見にくく、内から外は見る窓により同じ風景でも変化が楽しめる仕組みとのこと。
家具は、紫檀・黒檀を使ったぜいたくな家具ばかりだった。
屋根の梁までも彫刻がされている部屋もあった。ここは日中戦争の時に日本軍が占領し、馬小屋に使っていたとのこと。
庭に出ると、丸い小石が円形に綺麗に並べられている。これは、裸足で歩き足のつぼを刺激するための模様だそうだ。
池にはコイがたくさん泳いで居て、築山は太湖石を集めて築いてある。銀杏の紅葉が綺麗だった。
立派な庭園を観賞したあとは、明清時代に繁栄を極め「中華第一街」と称された山塘街の散策~またまた水路で解散~
昨日の古鎮・千灯古鎮と違って、しっかりした作りの家並みだった。お茶屋、果物やなどたくさんあったが、ミナラルウォーターを3本5元で買った。
東洋のピサの斜塔~虎丘の塔がすぐ近くに見えるが歩いていては集合に間に合わなくなる。
この虎丘の塔は最初は垂直に立っていたものの、400年前から傾き始め、先塔が雷に壊されて復旧したという。雷にやられていないなら世界遺産への申請価値があるそうだ。
集合時間が迫っているが、やや迷ってしまった。妻はアッチという。僕はグーグルの様な地図を頭に描いて、こうこう来たから、アッチのハズ!広い駐車所を抜け広い道に出ると、橋の向こうにバスが見えて、一安心。
それからバスに乗り、蘇州名物のへ。金魚やネコ、クジャクなどの毛の一本一本まで糸により描かれていた。
残念ながら撮影禁止のため、写真は無い。芸術の域に達した蘇州刺繍はため息しか出ない。
1点何百万円の品がたくさんあった。
ショッピングの後、刺繍研究所での昼食となった。ここでは麺料理が有名と言うが、あまりうまいものではなかった。ああ、熊本のラーメンを食べたい。
シルク製品の工場、ショッピングにも行ったが、ここも撮影禁止のため、写真は無い。
次いで行ったのは、寒山寺という古刹(コサツ)で、梁代(4世紀)に建築されたという、蘇州一の古刹で除夜の鐘でも有名という寒山寺。臨済宗の仏教寺院ということだ。
重厚な賽銭箱が先ず目に着いたが、張さんの説明によると『日本の三井建設は倒産しかけた時に、時の鬼沢正社長と町田良治会長が願をかけ、無事に倒産を免れたから、お礼にこの賽銭箱を送りました。』確かに、その彫りもの記名があった。
屋根の上には、西遊記・孫悟空でおなじみの三蔵法師の連れの像があった。
初めて知ったが寒山拾得(カンザンジットク)の故事で名高いそうで、唐代の詩人で政治家でもあった張継(ちょうけい)が詠んだ漢詩「楓橋夜泊(フキョウヤハク)」の石碑は有名だそうだ。
石碑には、『月落烏啼霜満天、 月(つき)落(お)ち烏(からす)啼(な)きて霜(しも)天(てん)に満(み)つ
江楓漁火対愁眠。 江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対(たい)す
姑蘇城外寒山寺、 姑蘇(こそ)城外(じょうがい)の寒山寺(かんざんじ)
夜半鐘聲到客船。 夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る』
とあり、訳すると 『月は西に落ちて闇のなかにカラスの鳴く声が聞こえ、厳しい霜の気配は天いっぱいに満ちている。運河沿いに繁る楓と点々と灯る川のいさり火の光が、旅の愁いの浅い眠りにチラチラかすめる。
そのとき姑蘇の町はずれの寒山寺から、夜半を知らせる鐘の音が、私の乗る船にまで聞こえてきた。』というもので、なんでもない内容だが、漢詩にすればなんとなくかっこいい響きだ。
もうひとつ、除夜の鐘が有名だそうで、その鐘の音を聴くと10歳若返ると言われていて、毎年大晦日には世界中からの客でごった返すそうだ。それが本当なら再春館製薬のドモホルンリンクも負ける効果だ。
また、鐘の撞き手108人を競りに掛けるそうで、1回の撞くのが何百万円にもなるとか。
僕らは5元くらいで3回も撞けた(笑)
夕方には平江路散策~もう、昨日から至る所、水路ばかりのようで、何処が何処だか分からなくなったが、ここはオシャレな水路の街って感じだった。川で洗濯するおばさんも居たが、喫茶店や軽食のお店が立ち並んで居り。
ツアーではない旅行客がのんびりお茶していた。
アイスクリームやケーキのお店も有り、甘党な女性たちは立ち寄っていた。
しばらくバス移動~その間バスの中では、オプションの足つぼマッサージ(一人100分3000円)の予約が始まり、張さんは携帯でまた連絡していた。OP参加者は夕食前に足つぼマッサージの店、『養足堂』に到着。
若い男女の従業員が交代制で24時間営業対応しているとのこと。個室的な部屋もあったが、団体さんは大広間に通された。
しばらくすると若い男女が桶を抱えて入って来て配置に着いた。僕には若い女の子が付いた。張さんによるとここの子は、黒竜江省・山東省などの遠隔地の奥地から来ているという。地元の子はこんなキツイ仕事はしないということだ。いずこも、生活レベルが上がれば、3Kは敬遠されるものだ。
ズボンのすそを上げると、色の付いた薬液の桶に着け、ゴシゴシ・チャプチャプ洗うは洗うは~5~10分くらい洗ったような気がした。
それからは念入りに左右の足の指、一本一本を指圧・揉みほぐしてくれた。『お~おっ、痛っ、気持ちいい~』と声に出したいが、妻が側にいるために、無言でいた。
足の後は全身マッサージだが、これは大したこと無かった。ちゃんと服くらいラフなものに着替えさせて、もっと広いベッドでグイーっとやってもらいたかった。まあ、足の方はスッキリなったので良かったか。
夕食は、江蘇料理~写真は無し。また、麺料理とかグルグルと回して食べた。
せっかくなので、夜の街の散策に出かけた。ケンタッキーあり、ミスドあり、あまり変わらない~電気屋さんもいってみたが、PCは地元製が多かった。
コンビニに行ってびっくり、全て安い。ビールなんて日本のアサヒやサントリーが10~15元位で買える。食事時に買っていたビールは確か30元(約400円)だったので、半額以下。お菓子も安い。
ところが日本と違うのは、袋はつけてくれ無い事。バラバラの商品をポケットのアチコチに入れてホテルに向かった。
途中、妻がスウィーツを買いたいと言う。
これも勝手が違う、日本なら向こう側の店員に指差しでとってくれるが、こちらでは名前か番号をレジに行って言い、お金を払ってやっとそれを貰える~食券を買うに似た感じだった。菓子の名前は読めないので番号(英語)と指で意思疎通~ゲットできた。殆どが50~150円のショートケーキ、ホールケーキで1000円以内くらいだった。
ホテルに帰って、ビールを飲んで、明日の出発の荷造りをして寝た。
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