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定年退職してしまいましたが、再任用でまだまだ老後の蓄えをしなくてはなりません。それでも悔いのない人生にしたいと思います。

上益城管内の熊本地震及び7月豪雨災害の復旧状況の現地視察

2018年05月11日 21時40分50秒 | Weblog

2018年4月17日

すっかり遅くなりましたが、今年4月の人事異動後、上益城地域振興局の幹部メンバーで、震災及び豪雨等懸案箇所の復旧状況の
現地視察を行った事を報告します。
あれから、ちょうど2年経過するのに、管内の農林業の地震被災は未曾有宇の被害、さらに”泣きっ面に蜂”で、7月には豪雨被害も受け、管内はまだまだ復旧復興の途上であります。

この日は、あいにくの雨でしたが、限られた時間で転入者には一日の行程でほんの一部分ですが、現状を見てもらいました。
(事業課:説明者)

①砥川地区県営災害復旧事業(農地整備課):県営災害復旧事業

 
水田が広がる砥川地区の一番低い所に排水機場があり、余分な水は大型ポンプにより川へと排水されるのですが、地震により建物が傾く等被災しました。



建物内に居ると、平衡感覚がおかしくなり、酔い始めます。
傾いて浮き上がった角です。90cm角のアンカーのコンクリート土台が地表まで抜かれ、ポッキリ折れています。



ポンプ用のディーゼル発動機の燃料タンクには、法律に従い”オイル溜まり”が設置されるのですが、万一漏れた油は角に集まる傾斜と穴が付けられています。(左下)それが、反対方向の右下が一番低くなっています。



外部施設です。
直径
1m位ある配管の黒い蛇腹部分は、1枚目の説明図のように最初はギュッと縮んでいたそうですが、今ではすっかり伸びています。



②堂園地区被災箇所(農地整備課):治山激甚災害対策特別緊急事業

 ここは、住宅倒壊等の酷かった小谷(オヤツ)集落の上流です。
布田川断層近辺に当たり、道路は断列され、山は崩れて、川から取水していた用水路も壊れました。

それ以来、水稲の作付は出来ておらず、未だに懸命の復旧工事が続いています。



向こうの平たい山の奥に、熊本阿蘇空港がある台地が広がります。



ここは何度もテレビに出た、横ずれ断層です。
水田の畔が、ガックリと90度で _| ̄  1mくらいズレ曲がっています。
この辺りは、先ほどの堂園地区からの取水のため、用水路からの水は無く、田植えも出来ずに畑作や放棄地となっています。



③緊急治山事業・九十九隧道(ズイドウ)被災箇所(農地整備課&林務課):災害関連緊急治山事業

 ここは今回の視察現場の中で、もっとも恐ろしい場所です。
地震とその後の7月豪雨により、大規模(大小4カ所)に山が崩れ、県道益城矢部線とそれに平行する用水路も埋もれ壊れました。
山腹工の面積は、1.15haにもなります。



去年の今頃は、まだ未着手で、下から見上げると巨大な岩がゴロゴロしていて、早く立ち去りたい所でした。
今では、急傾斜の山肌はモルタル吹付・簡易法枠工・土留工(鋼製枠・カゴ枠)・丸太柵工等に
より、復旧されました。
一番広い斜面は、厚層基材吹き付け工で固めてあります。






ほぼ垂直の断崖は、Aso‐4(約9万年前)のウルトラプリーニ式噴火(破局噴火)により堆積した阿蘇山の凝灰岩です。垂直の断崖にネットをかけ、ロープ掛け工(2,817㎡)により、吹き付けられています。



大雨が降れば、浸透しきれない雨水は一気に流れ下るでしょう。
崩れないことを祈るのみです。



隧道(ズイドウ)とトンネルの名称の使い分けについては、古いトンネルには「随道」の名称が多く、近年のトンネルには「トンネル」の名称が使われているようです。
九十九とありますが、総延長28kmに及ぶ水路が、吉無田水源から3つの渓流水を合流させ水量を増し、南田代地区・西上野地区・滝尾地区・木倉地区等に巡り配水され、その用水の受益面積は300haにも及びます。
途中の山は、このように875mも岩山にトンネルを掘って通水してあります。
現代人はご先祖の偉業を当たり前のように享受し続けています。



その九十九隧道が、大量の土砂により埋まったので、一大事です。
江戸時代の嘉永(元年~7年=安政元年)が読めますので、1853年は黒船来航、1855年は安政東海地震、1858年は安政の大獄があった遠い昔の偉大なる土木工事です。
もちろん機械があるわけでなく、ノミと玄翁(ハンマー)、瓦礫運び出しの籠(テミ)等が主な道具で、人力のみで山を刳り貫いて作られました。
現代も機械が入
らない大きさのため、復旧工事はやはり人力により地道に土砂が搬出され、水が通るようになりました。

 

先人の偉業に感謝の意を込めて、読み取れた彼らの名前をブログに残すことにします。
(直接の担当者)上益城郡代=上妻半右衛門 木倉郷総庄屋=光永平蔵 
(測量設計と工事管理者)楠田順喜 (石工)久五郎 (地域の名前も残らない村人多数)

④緑川森林組合間伐現場(林務課):森林環境保全整備事業・間伐等森林整備促進対策事業

優良な県産材を生産するためには、間伐作業が必要なのですが、苗を植えたのは40~50年前で、当時は作業道も林道もありませんでした。
世代は替わりましたが、多くの山は子どもに継承されていません。
森林組合に委託するも、後世の者が活かすには、林道から作らないと手入れも搬出も出来ません。
ブルドーザーやユンボでにわかに作った作業道(林道)には砂利が入れてありますが、雨で練りたくられジュチャジュチャです。




高齢化も時代も進み、杉・檜の木材単価が下がるとともに、山の放置林は増えていきました。
ここは、森林組合が、作業道を新設し、近代
的な作業機:グラップルを入れて、間伐や集材・造材・積み込みを行っていました。


 
⑤山都町の雪害被災ハウス(農業普及・振興課):台風等生産施設復旧対策事業


 ”泣きっ面にダゴバチ”とはこんなことでしょうか?
今年新年早々、平成30年1月10日から降り始めた雪は4日間も続き、予想だにしなかった大雪となりました。
山都町一帯は野も山も40~50cmの積雪に埋もれました。
道路は不通となり雪降しをしたくても、ハウスに近づく事が出来ず、122棟も潰れてしまいました。
支援策として、『台風等生産施設復
旧対策事業』を施行し、今も復旧が進められています。



⑥松向水路被災箇所(農地整備課)

 ここも、地震とその後の7月豪雨により、大規模に山が崩れ、その下を通る用水路が壊れました。
 まだ、手つかずの状態で、下流域の水稲作は出来ません。
滝つぼの右側に、取水口があります。




この山腹からの落石が、下に通る水路を破壊しました。



無事な水路橋部分ですが、途中何か所も落石が乗っています。



⑦清住フラワーファームの復旧(農業普及・振興課)

 甲佐町でカーネーションやシクラメンの鉢物栽培に取り組まれている、清住フラワーファームです。
熊本地震は、何度となく震度5や6レベルの余震がありましたが、その内のいくつかが甲佐町のこの辺りが震源地でした。



ハウス内には至る所に30cmはある地割れが走り、配管もハウスも使い物にはなりません。



いわゆる直下型地震により被災をされ、約85aの施設のほとんどが波打ち・地割れが走り配管は壊れ、施設は
傾き、底面給水(コの字型のフレームに水を流し、コに入る鉢底から根が給水することで、灌水の省力化)のフレームは水平を無くして、使用不能となりました。
母の日を目前にした、鉢物カーネーションは出荷できなくなりました。

 震災復旧緊急対策経営体育成支援事業の活用により、現在もまだビニルハウス・硬質ハウスの再建修復が進んでいます。



必死の復旧により、今年の出荷は大丈夫です。

 熊本地震も豪雨被害も、約10年分の仕事が1度に来た事業量となり、工事を受ける業者も大変で、入札に応じられない事態ともなっています。
 県外からの土木・建設関係事業者は今も復旧に当たっています。
 事務量の事務処理等には県外からのたくさんの自治法派遣職員の支援も受け
て、必死に復旧復興事業に取り組んでいるところです。

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