黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

晩春のむーはうすガーデン2020

2020-05-19 14:14:01 | 日記

ひどい雨の朝です

ひめちゃんたちは、ビンボー合羽でお散歩です。

もちろんだれにも逢いません。

ビンボー合羽は、ビニール風呂敷や市指定のゴミ袋を利用しただけのものです。

でも、背中が濡れないというだけでも、みんなの負担がとても軽くなるようです

貫頭衣型のレインコートは、どうしてワンワン市場から消えてしまったのでしょう

 

 

 

ひめちゃんちには、黒柴がやってくる前に、グレーのペルシャ猫がいました。

彼女の名前は、ムーです。

当時はとても珍しく、「まるで伝説の大陸ムーの猫だね」というわけで、ムーと名付けられました。

ひめちゃんちは、ムーちゃんち(むーはうす)なのです。

 

彼女がだいぶ高齢になった頃(2000年秋)に初代黒柴犬・三四郎がやってきました。

ムーおばあちゃんは、三四郎と仲良く暮らしていました。

誰もが彼女は天寿を全うすると思っていました。

ところが、彼女は天寿を全うする少し前に、交通事故で逝ってしまったのです

そんなわけで、ひめちゃんちは、永遠に「むーはうす」なのです

 

 

ムーちゃんちのガーデン(むーはうすガーデン)に咲いた、晩春の花々です

 

何の花?

牡丹です。

地味だけど、見ようによっては華やかかな?

 

フレンチローズだったかな?

微妙な色合いです。

悪条件にも耐えて珠玉の花を、ありがとう

 

手前の赤い一重の花は、実のなるバラのはずです。

条件が悪くて、バラの実にまだ会えません。

むこうに見えるのは、薄紫のフレンチローズです。

 

ニューフイスのジャーマンアイリスです。

なんとなくジャパネスク

 

普通の芍薬とちょっと変わった黄色のジャーマンアイリスです。

 

ルバーブが種を付けそうです。

大分昔に、友人から分けてもらいました。

最近はルバーブジャムを作ることもなくなりました。

たしか、葉には毒があり、茎だけの利用だったと思います。

 

かなり古顔のジャーマンアイリスです。

きれいな色です

これもジャパネスクです

 

つるバラ?

アンジェラだったかな?

あまり長くはのびませんけど、毎年たくましくたくさんの花を咲かせます。

 

イングリッシュローズです。

向こうに白い顔を覗かせているのは、日本のつるバラ・新雪です。

ちょと日陰ですけど、毎年きれいな花を咲かせてくれます

 

実のならないリンゴの木の下にあります。

エビネラン?

 

ザピルグリム、満開です。

 

オールドローズだと思います。

小ぶりな樹形ですけど、毎年華麗な花を咲かせてくれます

 

これもかなり古参の品種です。

十分華やかです

 

鮮やかな華やかな紫色です

草にもめげず、頑張ってくれました

なぜか、この下の田んぼも堀之内です

 

つるバラ・パレードです。

最近はちょっと勢いをなくしていますけど、鮮やかな花を咲かせてくれました

 

白い芍薬です。

 

二色の芍薬です。

 

山芍薬です。

椿の木の下に、地味に咲こうとしています。

がんばれ

 

午後になって晴れてきました

ひめちゃんたちは、元気にお散歩できそうです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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白柴タバサちゃんの山上城本丸登城記

2020-05-17 21:58:21 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ようとしました。

あれ、まだ8時前なのに、県外ナンバーの車もある

堀之内の出口にある、ミニカーのレース場には、何台もの車が集まってます

相模ナンバーの車もあります。

今朝は5時頃には家を出てきたかな?

stay home じゃなかったっけ

もうレースをしています。

 

ハンター獅子丸、興奮しています

ここは、古い牛舎を利用した、地味な施設です。

でも、知る人ぞ知る所なのでしょう。

なんとか引っ張ってその場を離れます。

クワバラ、クワバラ

 

 

先日、山上城本丸を目指して断念しました。

5月13日、再び山上城本丸を目指します。

常広寺からの近道を利用です。

工事中ですけど、通れます。

左下にめだたないですけど、双体道祖神があります

ここは街道ではないので、どこかから移動してきた物でしょう。

素朴でいい感じです。

道中の安全を祈ります、合掌

 

今のところは、雑草に悩まされずに登城できます。

タバサねーちゃんも、この間ノミ・ダニ予防のお薬を食べたので大丈夫でしょう。

 

けっこう広いです。

 

あ、ありました。

県指定史跡山上城のポールと三角点。

「たいせつにしましょう三角点」ですって。

大切にされない事があるのかな?

どう大切にしたらいいんだろう

 

はっきりした堀切が残ってます。

この向こうは、ひめちゃんたちはお散歩で時折通ります。

 

木漏れ日を浴びて、ごきげんタバサちゃんです。

 

いちだんと高くなっている所があります。

本丸のようです。

遊具があちこちに残ってます。

ここは、数年前まで、常広寺学園・城山幼稚園の子ども達が駆け回っていたのです。

 

ごきげんタバサちゃんです。

 

本丸跡広場です。

階段を降ります。

遊具が見えます。

そのまま南下して、二の丸跡から降ります。

ここはよく見上げて通ります。

南は、三の丸跡で、だいたいのみなさん、ここが山上城と満足して退却していきます。

 

二の丸と三の丸の間を降ります。

やっぱりまだありました(5月13日の映像です。現在は未確認です。)。

 

山上城の駐車場に、大きなアカシアの木があります。

花が咲いていると、壮観です。

 

常広寺に戻ります。

弁財天堂が目立ちます。

桐生市の指定重要文化財になってますけど、財政的な支援は一切ないそうです。

桐生市って、指定文化財に財政的支援をしない市だったんですね。

桐生市と合併を推進した方々は、もちろんご存じだったのでしょうね

彫刻だけでなく天井絵もありますけど、修理ができないそうです。

 

タバサちゃん、弁天様とコラボで、はいポーズ

あそうだ、弁天様はまだ本堂だったね。

ここは今は弁天様のいない弁財天堂なのです。

弁天様が戻ってきたらコラボしましょう

 

 

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清水の水辺公園(おやつはイベルメック)

2020-05-16 21:43:11 | 群馬県・東毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

またも借景で、はいポーズです。

ひめちゃんは、地面が気になるようです。

きれいに咲いているのは、牡丹(ぼたん)か芍薬(しゃくやく)か?

牡丹かとみまごうほどの、大輪の芍薬です

 

芍薬といえば、ひめちゃんちの絞りの芍薬、やっと絞りが出てきました

 

 

 

さて、今日、おかあさんは笠懸の動物病院に行ってきました。

帰りに、いつも気になっていた吹上集会所の案内板を確認です。

鹿田山周辺案内図、このあたりの史跡の案内図です

 

「川もないのに水害に見舞われた」とあります

そういえば、地図左上にある水辺公園、そこを通るときナビは清水という地名を表示していました。

水が湧き出るのかな?

そうだ、今日は寄って行こう

 

 

公園の東半分は遊具があって親子連れが遊んでいました。

西半分が、沼になっています。

奥に見える道を、左からよく通ります。

かなりの坂を登ってきます。

ここはかなりの高台なのです。

 

清く、早く、浅い流れです

外側だけ流れています。

どこから流れてくるのでしょう?

 

沼の周りを一周してみます。

どうもここから湧いてくるみたいです。

 

沼面は静かです。

向こうの坂は、よく通っている坂です。

 

左上の山が、鹿田山です。

 

蓮かな?、睡蓮かな?

花芽が上がっています

 

東の端だけ、しっかり流れています。

清水の地名に納得です

鹿田山周辺歩いて見たい所が、いっぱいです

 

 

さてさて、おうちに帰ると泣き出しそうな天気です

夕方の散歩が遅くなってもいいように、とりあえず、みんな昼散歩をしておこう。

ひめちゃんは、獅子丸とタバサねーちゃんと、行ってきました

みんなよい子で、お散歩できました

 

はい、ご褒美のおやつです

動物病院で購入してきた、フラリア予防のお薬です。

おやつタイプになってます。

あれ、イベルメックって、もしかしたら今話題のイベルメクチンが入ってるのかな?

みんな、あっという間に完食です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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まぼろしの山上城

2020-05-15 21:55:51 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、岩神沼に着きました。

クンクン、誰が通ったのかな?

今朝はサギさんいません。

カモさん、一羽だけいました。

 

そのまま、北上して新沼を目指します。

きれいな花が咲いています

借景で、はいポーズ

ウツギの花かな?

満開の時に、初めて遭遇です。

 

新沼にも、鳥の姿はありません。

あちこちで田植えの準備が始まって、みんな出張しているのかな?

 

 

 

常広寺文書に、最初はなんだか分からない一枚の図面がありました。

画像の重さの関係で3枚でアップです。

 

左半分です。

鏑木さん、重要な所に住んでます

山上藤七郎氏秀ですって

家臣団の一覧では、たしか山上藤七郎正秀でした。

さすが修験者さま、稲荷大明神も祀ってます。

 

左半分の上のおまけ部分です。

 

右半分です。

 

先日見返して、ハタとひらめきました。

たくさんの家臣団を抱えた、山上城の図面です。

城地3万余坪とあります

御殿を中心に親族や家臣団の屋敷があります。

 

妙珠川って、何処だろう?

妙珠殿もあります。

あ、そうだ

善昌寺の院号は、妙珠院だった

善昌寺付近をイメージして、山上城と家臣団の屋敷を配置していたのです

いわば、まぼろしの山上城です

家臣団は名前を並べただけでなく、更に具体的に広大な山上城に配置されようとしていたのです

どうもまだ案をねっている途中だったようです。

 

修験者・鏑木武七正保さん、かなり有能な作家の才能をお持ちだったようです

そして、かなりの法力もお持ちでした

いまだに山上城家臣団の一覧に、心躍らせている人もたくさんいます。

「わしの法力もたいしたものよのう」と、カンラカラカラと笑っていることでしょう

 

 

善昌寺は何度か訪れています。

新田義貞の首塚とかいう五輪塔群の他にも、見所はたくさんあります

 

境内の東にある、薬師堂です。

茅葺きの屋根がいいですね

石仏の薬師様です。

大切に祀られています

 

古い石造物の山です。

羽生衆・木戸玄斎の墓があるという話もあり、かなりしつこく探しました。

やっぱり、わかりませんでした

 

弁財天堂です。

本堂から見えますけど、直接はいけません。

隣の建物の通路、それも板をまたいで行くのです。

その板は、どうしても外れないのだそうです

まるで、異次元の世界に入るようです

そして弁天様は、弁財天堂の裏の石宮様なのです。

石宮様は古代の古墳の面影があります

 

これらの風景は、修験者・鏑木武七さんが、山上氏と山上城に思いを馳せた風景の一端でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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主君の回向を善昌寺で(善昌寺は山上氏の菩提寺か?)

2020-05-14 22:26:58 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、今日も堀之内を北に出ました。

さて、赤城山をバックに一枚撮ろうね。

あれ、電池切れだ

 

昨日の朝、田んぼにいたカモさん、まだアップしてませんでした。

田植えの準備で、田んぼに水が入り始めています。

この季節、時折り、田んぼでカモやサギを見かけることがあります。

みんな熱心にお食事中です

田んぼを歩いてます

人家のそばですけど、平気です。

ひめちゃんたちが通っても、飛び立ちませんでした。

きっとおいしいご馳走が、いっぱいいるのでしょう

 

 

 

常広寺文書の中に、意味深な文書があります。

大雑把な、内容です。

山上城の城主・山上六郎左衛門尉秀直の嫡子は、山上七郎秀諦です。

山上七郎秀諦の嫡子は、徳之進正忠で、彼は鏑木(かぶらぎ)姓を名乗った。

山上七郎秀諦の次男は、山上新左衛門正勝です。

山上七郎秀諦の三男は、山上藤七郎正秀です。

今右大将様が御回向をされたいということなので、私の家・鏑木家は、鏑木正忠の子孫(つまり山上氏の正当な子孫)であるので、この事業のまとめ役を引き受けた。

今月(8月)15日、本山善昌寺に、みんな集まれ

 

時は、天文2年(1533)8月15日少し前の設定です。

でも、ハンコが押してあります。

江戸時代に作られた文書です。

 

一番気になるのは、善昌寺で主君の山上氏の回向をすることです。

善昌寺は、まるで山上氏の菩提寺のようです

 

一般的には、善昌寺は新田義貞の家臣・船田善昌寺にちなんで、善昌寺になったいいます

 

修験者・鏑木さんの意識では、善昌寺のあたりは、山上です。

山上氏家臣団の創作が行われたのは、天保3年(1832)です。

 

善昌寺には、有名な新田義貞の首塚があります。

安永3年(1774)、世良田の毛呂権蔵は善昌寺に寄りました。

善昌寺では、船田善昌についていろいろ説明されたようです。

それは、毛呂権蔵にとって、素直にうなずけないものでした。

「明拠なし」「滑稽の話なり」(『上野国志』)といってます。

彼は、世良田の船田善昌館跡に住んでいたのです

 

修験者・鏑木家も善昌寺と深く関わったはずですけど、こんな文書も残したのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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