この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

クイズの答えです。

2005-03-15 23:04:36 | 蘊蓄・雑学
Q.あるところに生まれて二日になる赤ん坊がいました。
しかしそばにいたおじいさんがこの子の年は二歳だといいました。
はたしてそんなことってありえるのでしょうか?

さてこのクイズの答えです。
A.十二月三十一日に生まれたばかりの赤ん坊の年齢を一月一日におじいさんが数え年で言ったから。
数え年とは生まれた年も含めてこれまでに何回正月があったか、その回数がそのまま年齢になる年の数え方のことです。
年齢の数え方が満年齢以外にもう一つあることに気付けば答えは簡単にわかるのですが、数え年なんて廃れている慣習といってよいですからね、わからなくても不思議はありません。

というわけで、今日は数え年について少し考察してみたいと思います。
昔の人はなぜ年齢を数え年で数えていたのでしょうか?言い換えればなぜ現代では数え年という慣習は廃れてしまったのでしょう?
(これから述べることは私見です。)
思うに、それらの違いはライフスタイルの違いからくるのではないでしょうか。
つまり、現代が昔に比べ裕福になったために日本人は数え年では年齢を数えなくなってしまった。
どういうことかというとですね、現代において例えば四人家族であれば、よほど誕生日が近くない限り家人それぞれの誕生日を祝うでしょう。
それに比べ一昔前、別に江戸時代まで遡らなくても戦時中でも十人家族、もしくはそれ以上なんてそう珍しくはなかった。仮に十人家族だったとして、その十人の誕生日をそれぞれ祝うほど裕福ではなかった。経済的に個々のお誕生日会を開くゆとりがなかった。
そう思います。
それぞれの誕生日を祝えないのであれば、どうすればよいか?
実際に生まれた日がいつにせよ、一年のある一日に一度に祝ってしまえばよい(例えるなら幼稚園のお誕生会みたいなもの?)。その日とは他でもない一月一日、つまりは正月。
一月一日を迎えて家人が一斉に一つ歳を取る。例えその前日に生まれた赤ん坊であっても。これが数え年の正体なのではないでしょうか?
だとすると正月の意味合いは今よりもずっと重かったに違いないです。
だからこそ正月ってのはめでたかったんですよ、きっと。
自分は別に歴史学者でも民俗学者でもないですが、今述べたことは当たらずといえど遠からずじゃないかと思っています。根拠は特にないのですが。

というような記事を書いたら数え年に対する認識が謝っている!というご指摘をいただきました。
いい機会なので週末にでももう少し数え年のことを調べてみようかと思います。
コメント
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