この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

月刊サンデーGX四月号。

2005-03-21 21:23:32 | 漫画・アニメ
月刊サンデーGX四月号、本日発売。

付録は島本和彦不朽の名作(つまりは旧作)『逆境ナイン』の第一話を完全収録した小冊子。
ありがたいのやら、ありがたくないのやら。
でもあとがきで、島本和彦が(『逆境ナイン』を指して)「絵も内容もイキオイだけでやった作品です。」とコメントしているのを見て思わず笑ってしまいました。
デビュー以来絵も内容もイキオイだけでやっている漫画家だと思っていたので。
その『逆境ナイン』が映画になる模様。こちら。
むむむ、どう考えても真面目に映画化するような作品ではないはずなのに、、、何といっても九回裏ツーアウト112点差っていうシーンがあったりする漫画だし。
それなのにやけに豪華なキャスティング、そして撮影期間が長期の二ヶ月!?二週間じゃなくて?
ひょっとして本気ですか?本気と書いてマジですか?
ヒロイン役の堀北真希がやたら可愛いので、騙されたと思って観に行くか、って気になっています。
といっても九州で公開されるかどーかは怪しいところですけどね。

『新暗行御史』は相変わらずの超絶美麗な絵柄、そして手に汗握る展開。息を飲むばかり。
それにしても新キャラの玄武が悲惨。
元述「玄武!ここは任せたぞ!」
玄武「はっ!!」(颯爽と登場。)
次のコマでは「うがあっ!」って喰われてるし。

他に紹介する漫画はこれといってないですが、個人的には『正義警官モンジュ』がすごく好きだなぁ。
ロボット警官モンジュが恋をした相手は実は・・・。
ギャハハと笑わせておいて、最後ホロリとさせる絶妙のバランス、宮下裕樹って将来大物の漫画家になるかもしれません(ならないかもしれません、まぁそりゃどっちかだよな)。

月刊サンデーGX四月号はこんな感じです。
ってぜんぜんその面白さが伝わってないよ。。。
コメント (5)
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数え年。

2005-03-21 09:34:38 | 蘊蓄・雑学
3/15のブログで数え年についての私見を述べたところ、一言で言えば数え年という慣習が廃れたのはライフスタイルの変化によるのではないか、というものでしたが、その認識は間違っている!というご指摘を頂きました。
正直びっくりしました。
というのも自分のブログなんて誰も注目なんてしていない、極端な話、エルビス・プレスリーは生きている!と声高に叫んだとしても然したる影響はない、なんてふうに思ってましたから。
これからはもう少し慎重を期さねば、そう思いました。

その指摘には具体的にどう違っているのかが示されていなかったのですが、とりあえず数え年について検索してみました。
指摘にもある通り、というかブログでも書いていた通り、自分は数え年についての検索を怠っていました。
理由は主に二つあります。
(自分で話を振っておいてなんですが)ぶっちゃけた話、自分には真実は二の次で、より大切なのは自分なりに納得できる答えが得られるかどうかだったのです。
つまり数え年が廃れたのはライフスタイルによるという(仮に頓珍漢なものであったとしても)自分なりの答えが得られた時点で数え年は自分にとってそれ以上興味を惹く話題ではありませんでした。
もう一つはインターネットに対する個人的な信用度の問題、つまり検索したところで真実がわかるかどうかは不明であるということが挙げられます。
以前、「漢字の『右』と『左』、書き出しが違うのはなぜか?」ということを検索したとき、(自分が納得できる程度の答えは得られたものの)最終的な結論は出ませんでした。
このときはインターネットへの信用度は今よりずっと高かったので、検索して真実が得られなかったことに多少ショックを受けましたが、知人は苦笑してネットに全ての答えがあるはずもない、というようなことを言いました。
それも道理ですね。ネットで全ての答えが引き出せるなら誰も図書館などに行ってわざわざ重い資料と格闘するはずもありませんから。

さて、検索しての結果ですが、「数え年が廃れたのはライフスタイルの変化による」という私見を明確に否定する記述は残念ながら(といっていいものかどうか)見つけられませんでした。
新たに知ったこととして、数え年はお正月に歳神様をお迎えし、歳神様の御霊をいただくことによって1つ年をとると言う考え方からきている、ということがありますが、これは別に私見と相反するものだとは思えません。
他には数え年で実際いつ年を取るのか、新暦の元旦なのか、旧暦の元旦なのか、それとも立春なのか、それがはっきりとは決まっていない、というような記事も面白いとは思いましたが、それも直接関係があることではありません。

結局検索してわかったのは、生まれた年も含めこれまでに何回正月があったか、その回数がそのまま年齢となるという数え年の定義が間違ってはいないということ、そしてインターネットの資料性の限界(もしくは自分の検索能力の未熟)でした。
数え年については検証を怠ったまま情報を発信しましたが、仮に充分な検証をしていたとしても内容ががらりと異なっていたということはないと思います。
これから何らかの情報を発信するとき慎重は期したいと思いますが、残念ながら万全まではお約束できません。
その際情報の誤りを指摘していただくことは大変ありがたいのですが、出来たら具体的にどう間違っているのかまで言及していただけたら、そう思っています。
コメント
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