島田洋七原作、『佐賀のがばいばあちゃん』、Tジョイ久留米にて鑑賞。
GWということで映画を観てきました。
観る直前までどの映画にするか決めかねて、『佐賀のがばいばあちゃん』にするか、『Vフォーバンデッタ』にするか、迷ってたのですが(どーゆー二者選択だ)、上映開始時間の関係で前者を観ることになりました。
いやぁ、それにしてもさすがはGW、Tジョイ久留米はめっちゃ込んでいました。
映画を観て思ったこと、それは原作はおそらく上質の感動作であろうということ(もちろん未読)、そして監督である倉内均氏は本当に貧乏だったことはないのだろうなぁ(実際のところどうなのかは知りません)ということです。
この映画は、幼いころ遠く広島から佐賀に住む祖母に預けられた主人公の、貧乏ながらもバイタリティ溢れる祖母との暮らしを綴ったお話です。
特別奇をてらったお話、というわけではない。
であればこそ、事細かな演出が必要だと思うのですが、これがことごとくイケてない。
ぶっちゃけていえば、スクリーンからまったく貧乏臭さが漂ってこないんですよ。
例えば主人公の少年が夜隣りの布団で寝ている祖母に、なぜうちは貧乏なのかと尋ねるシーンがあります。
でも二人が寝ている布団のシーツは真っ白で、見た目もふかふかなんです。
これは正直言って感心しません。
このシーンであれば布団はいかにも使い古したといった感じの煎餅布団でなければ上述の少年の台詞にも説得力が出ないと思います。
他にも祖母が夜食で作ったおにぎりが麦飯ではなく白米だったり、野球をしている少年たちの着ているシャツがどれもこれも洗い立ての(というか下ろし立ての)清潔そうなものだったり、二人の住む家が特別あばら家というわけでなく、障子も綺麗に張り替えられたものだったり、etc。
「貧乏は決して悪いものではない」というのがこの映画の主題であるはずなのに、この映画にはどこを探しても(台詞以外に)貧乏なところがありません。
これでは観ている自分としても正直興醒めせずにはいられません。
他にも演出方法として感心しない箇所はいくつかあって、大人になり、サラリーマンになった主人公が、母親に見送られ一人旅をしている少年を見ているうちに、自らの少年時代を回想するという形で映画は始まるのですが、なぜか作中唐突に少年時代の主人公と大人になった主人公が会話するシーンがあります。
このシーンははっきり言って意味が不明だし、不自然です。
また映画の始まりが一人旅をしている少年だったのであれば(これは個人的なこだわりかもしれませんが)映画の終わりにもこの少年が登場しなければ、収まりが悪いと思います。(例えば最後に無事目的の駅のホームに着いた少年をその少年の祖母が出迎える、というような感じで。)
一つ一つのエピソード自体は決して悪くない。
例えば運動会で(粗末な弁当を持ってきた)主人公の少年に先生が弁当を取り替えることを申し出たり、豆腐屋の親父がクズ豆腐を買い求める少年のためにわざと正規の品を崩してみたりと、いいシーンも確かにあるにはあるんですよ。
でもそれが全体としてみると一つに繋がっていない。
何だかエピソードが一つ一つごとにぶつ切りになっているような印象を受けて、自分は残念ながら感動するまでは到らなかったのです。
ただ一つだけ最後に付け加えさせてもらうと、場内の受け自体は決して悪いものではありませんでした。隣りに座っていた女性なんてクライマックスのシーンではハンカチで目頭を押さえていましたから。
ですから、自分の見方が辛口なだけで、まぁ平均以上の感動作なのかな、とも思います。
GWということで映画を観てきました。
観る直前までどの映画にするか決めかねて、『佐賀のがばいばあちゃん』にするか、『Vフォーバンデッタ』にするか、迷ってたのですが(どーゆー二者選択だ)、上映開始時間の関係で前者を観ることになりました。
いやぁ、それにしてもさすがはGW、Tジョイ久留米はめっちゃ込んでいました。
映画を観て思ったこと、それは原作はおそらく上質の感動作であろうということ(もちろん未読)、そして監督である倉内均氏は本当に貧乏だったことはないのだろうなぁ(実際のところどうなのかは知りません)ということです。
この映画は、幼いころ遠く広島から佐賀に住む祖母に預けられた主人公の、貧乏ながらもバイタリティ溢れる祖母との暮らしを綴ったお話です。
特別奇をてらったお話、というわけではない。
であればこそ、事細かな演出が必要だと思うのですが、これがことごとくイケてない。
ぶっちゃけていえば、スクリーンからまったく貧乏臭さが漂ってこないんですよ。
例えば主人公の少年が夜隣りの布団で寝ている祖母に、なぜうちは貧乏なのかと尋ねるシーンがあります。
でも二人が寝ている布団のシーツは真っ白で、見た目もふかふかなんです。
これは正直言って感心しません。
このシーンであれば布団はいかにも使い古したといった感じの煎餅布団でなければ上述の少年の台詞にも説得力が出ないと思います。
他にも祖母が夜食で作ったおにぎりが麦飯ではなく白米だったり、野球をしている少年たちの着ているシャツがどれもこれも洗い立ての(というか下ろし立ての)清潔そうなものだったり、二人の住む家が特別あばら家というわけでなく、障子も綺麗に張り替えられたものだったり、etc。
「貧乏は決して悪いものではない」というのがこの映画の主題であるはずなのに、この映画にはどこを探しても(台詞以外に)貧乏なところがありません。
これでは観ている自分としても正直興醒めせずにはいられません。
他にも演出方法として感心しない箇所はいくつかあって、大人になり、サラリーマンになった主人公が、母親に見送られ一人旅をしている少年を見ているうちに、自らの少年時代を回想するという形で映画は始まるのですが、なぜか作中唐突に少年時代の主人公と大人になった主人公が会話するシーンがあります。
このシーンははっきり言って意味が不明だし、不自然です。
また映画の始まりが一人旅をしている少年だったのであれば(これは個人的なこだわりかもしれませんが)映画の終わりにもこの少年が登場しなければ、収まりが悪いと思います。(例えば最後に無事目的の駅のホームに着いた少年をその少年の祖母が出迎える、というような感じで。)
一つ一つのエピソード自体は決して悪くない。
例えば運動会で(粗末な弁当を持ってきた)主人公の少年に先生が弁当を取り替えることを申し出たり、豆腐屋の親父がクズ豆腐を買い求める少年のためにわざと正規の品を崩してみたりと、いいシーンも確かにあるにはあるんですよ。
でもそれが全体としてみると一つに繋がっていない。
何だかエピソードが一つ一つごとにぶつ切りになっているような印象を受けて、自分は残念ながら感動するまでは到らなかったのです。
ただ一つだけ最後に付け加えさせてもらうと、場内の受け自体は決して悪いものではありませんでした。隣りに座っていた女性なんてクライマックスのシーンではハンカチで目頭を押さえていましたから。
ですから、自分の見方が辛口なだけで、まぁ平均以上の感動作なのかな、とも思います。