伊坂幸太郎原作、『陽気なギャングが地球を回す』、イオンシネマ佐賀大和にて鑑賞。
エンドロールが流れるときに、ふつふつと込み上げてきたこの感情、以前にも同じようなことがあったっけ、あれは『ターミネーター3』を観たときでした。
その感情とは怒り、もしくは憤り。

何だか大切なものをズタズタに引き裂かれてしまった感じです。

言うまでもなく原作は大好きで、幾度となく読み返してるんですけど、もう映画の方は何というか、、、(『ターミネーター3』同様)なかったことにしてもらいたい、というお粗末な代物でした。
映画化する際、原作をそのまま映像化すればいいってものじゃないってことぐらい自分だって承知してます。
でも本作の場合、改変点があまりにひどすぎます。改変して良くなった箇所が一ヶ所も見られません。
まず、キャスティングがあまりにイメージと違いすぎます。というかキャラクターそのものが原作からかけ離れ過ぎている。
成瀬ってあんなふうに馴れ馴れしく久遠の肩を組むような軽薄なキャラじゃないって!しかもそれを演じる大沢たかおが、まぁこれは彼の非ではないのだけれど、カッコよすぎる。全然「一見冷酷そうに見える公務員」っぽくない。
また響野を演じる佐藤浩市も原作の響野とは程遠い。原作では成瀬と響野は高校の同級生であるはずなのにどう見てもそう見えない。
響野の妻祥子もなぜ加藤ローザが演じなければいけなかったのかがさっぱりわからない。祥子は三十過ぎのはずなのに、彼女では如何せん若すぎる。(加藤ローザ自体は嫌いじゃない。むしろ好き。笑。)
雪子役の鈴木京香と、久遠役の松田翔太はさておいて、地道役が大倉孝二っていうのもどうかと思います。だって地道は四十歳を超えた、雪子よりも年上の冴えない中年男のはずなのに、大倉孝二ではやっぱり若すぎです。
まぁ今あげつらったキャスティングに関しての文句は言っても詮無いものなのかもしれません。イメージなんてものは所詮人それぞれ違うものだし、完璧なキャスティングなんてものは望みうるものでもないのかもしれないし。
けれど、それ以外の改変点もことごとくダメ。到底受け入れ難い。
例えば作中出てくる『グルーシェニカー』、原作ではそのアイテムのことをたまたま成瀬がある人物から教えてもらうのだけれど、それが巧妙な伏線になっている、映画ではなぜか成瀬自身が『グルーシェニカー』を発注するようになっていて、しかもその『グルーシェニカー』の登場がまったく意味をなさない展開で、何じゃそりゃって感じです。伏線もへったくれもありゃしない。
あと地道イコール神崎だったというあのオチは何なんでしょう?まったくもって不自然極まりないし、じゃあ途中、遊園地で成瀬と話したのは誰なのよ?って聞きたくなります。
他にもいいたいことはいーっぱいあるのだけれど、例えばあのどうしようもなく安っぽいCGを使った(プレステレベル、しかも1の方の)カーチェイスとか、原作のシンプルで巧妙なプロットをいらんことこねくり回してワケわからんものにしていることなど、けれどこの映画の最大のダメダメは、成瀬と雪子に恋愛関係を持ち込んだこと。
そんなの、原作ファンの誰一人として望んじゃいないっしょ。
(おそらく作者だって望んじゃいない。)
そんなわけで原作ファンを頭から無視したような作りの映画『陽気なギャングが地球を回す』に対しての自分の評価は“最悪”です。
2006年はまだ六ヶ月以上も残していますが、ワースト1は決定しました。おっと、そういえば乙一原作の『暗いところで待ち合わせ』の公開が秋に控えてましたっけ。あっちも相当期待できない度は高いので、決定ではなく内定ということにしておきます。
とりあえず、本作の監督である前田哲監督の作品はもう二度と観ないと心に固く誓いました。
エンドロールが流れるときに、ふつふつと込み上げてきたこの感情、以前にも同じようなことがあったっけ、あれは『ターミネーター3』を観たときでした。
その感情とは怒り、もしくは憤り。



何だか大切なものをズタズタに引き裂かれてしまった感じです。


言うまでもなく原作は大好きで、幾度となく読み返してるんですけど、もう映画の方は何というか、、、(『ターミネーター3』同様)なかったことにしてもらいたい、というお粗末な代物でした。
映画化する際、原作をそのまま映像化すればいいってものじゃないってことぐらい自分だって承知してます。
でも本作の場合、改変点があまりにひどすぎます。改変して良くなった箇所が一ヶ所も見られません。
まず、キャスティングがあまりにイメージと違いすぎます。というかキャラクターそのものが原作からかけ離れ過ぎている。
成瀬ってあんなふうに馴れ馴れしく久遠の肩を組むような軽薄なキャラじゃないって!しかもそれを演じる大沢たかおが、まぁこれは彼の非ではないのだけれど、カッコよすぎる。全然「一見冷酷そうに見える公務員」っぽくない。
また響野を演じる佐藤浩市も原作の響野とは程遠い。原作では成瀬と響野は高校の同級生であるはずなのにどう見てもそう見えない。
響野の妻祥子もなぜ加藤ローザが演じなければいけなかったのかがさっぱりわからない。祥子は三十過ぎのはずなのに、彼女では如何せん若すぎる。(加藤ローザ自体は嫌いじゃない。むしろ好き。笑。)
雪子役の鈴木京香と、久遠役の松田翔太はさておいて、地道役が大倉孝二っていうのもどうかと思います。だって地道は四十歳を超えた、雪子よりも年上の冴えない中年男のはずなのに、大倉孝二ではやっぱり若すぎです。
まぁ今あげつらったキャスティングに関しての文句は言っても詮無いものなのかもしれません。イメージなんてものは所詮人それぞれ違うものだし、完璧なキャスティングなんてものは望みうるものでもないのかもしれないし。
けれど、それ以外の改変点もことごとくダメ。到底受け入れ難い。
例えば作中出てくる『グルーシェニカー』、原作ではそのアイテムのことをたまたま成瀬がある人物から教えてもらうのだけれど、それが巧妙な伏線になっている、映画ではなぜか成瀬自身が『グルーシェニカー』を発注するようになっていて、しかもその『グルーシェニカー』の登場がまったく意味をなさない展開で、何じゃそりゃって感じです。伏線もへったくれもありゃしない。
あと地道イコール神崎だったというあのオチは何なんでしょう?まったくもって不自然極まりないし、じゃあ途中、遊園地で成瀬と話したのは誰なのよ?って聞きたくなります。
他にもいいたいことはいーっぱいあるのだけれど、例えばあのどうしようもなく安っぽいCGを使った(プレステレベル、しかも1の方の)カーチェイスとか、原作のシンプルで巧妙なプロットをいらんことこねくり回してワケわからんものにしていることなど、けれどこの映画の最大のダメダメは、成瀬と雪子に恋愛関係を持ち込んだこと。
そんなの、原作ファンの誰一人として望んじゃいないっしょ。

そんなわけで原作ファンを頭から無視したような作りの映画『陽気なギャングが地球を回す』に対しての自分の評価は“最悪”です。
2006年はまだ六ヶ月以上も残していますが、ワースト1は決定しました。おっと、そういえば乙一原作の『暗いところで待ち合わせ』の公開が秋に控えてましたっけ。あっちも相当期待できない度は高いので、決定ではなく内定ということにしておきます。
とりあえず、本作の監督である前田哲監督の作品はもう二度と観ないと心に固く誓いました。