ローランド・エメリッヒ監督、『2012』、11/28、ユナイテッドシネマキャナルシティ13にて鑑賞。2009年46本目。
先日の記事で、クエンティン・タランティーノとは相性が良くない、というようなことを書きました。
それはエメリッヒについてもいえるんですよね。
彼の作品のご都合主義丸出しの展開に見ていて妙にイラつくというか、落ち着かないというか。
だったら観なきゃいいじゃん!!と仰る方もいるでしょう。
まさにその通りなんですけどね。
実際スルーするつもりで、前売り券も買いませんでした。
なのに、どうして本作を観ようと思ったのかというと、マイミクのマリーコさんが「『2012』を観たらレビューしてくださいね♪」なんていうんですよ。こりゃ観なくちゃいかんかな、と思った次第です。
というのは半分冗談ですが(半分?)、キャナルシティのポイントが溜まっていて、それをある程度消化しなくちゃいけないというのもあり、また七月に観た、同じくディザスター映画であるアレックス・ブロヤス監督の『ノウイング』と比較したいな、という思いもありました。
で、『2012』を観ての感想なのですが、、、う~~~ん、やっぱりエメリッヒは自分には合わないな、と改めて思いましたね。
上述の『ノウイング』とこの『2012』、驚くぐらい基本設定が似通っています。何しろどちらの作品においても地球滅亡の原因は太陽の異常フレアなのですから。予言ものというのも共通しています。
どちらかがどちらかをパクったんじゃないの?と疑いたくなるぐらいです。
ただ、そこから先の展開や結末、そして作品の持つメッセージはまるで違います。
ブロヤスの『ノウイング』は人類が滅亡するぐらいのカタストロフィが地球を襲うときは神(もしくはそう呼んで差し支えない存在)に縋るしかない、そしてその時が来たらすべてを受け入れるしかない、というお話なんですよ。
ある意味、めっちゃ潔い。笑。
一方、エメリッヒの『2012』は人類が滅亡するぐらいのカタストロフィが地球を襲ったとしても、生きることを諦めてはいけない、どんなことをしても生き延びるべきである、というお話なんです。
生きることを諦めてはいけない、というところまでは賛同してもいいんですけど、どんなことをしても生き延びるべきである、というところはちょっとね、賛同しかねます。
本作の主人公、及び各国の政治家、大富豪たちの生への執着ははっきりいって見苦しい。
とにかく自分(と家族)だけが助かればそれでいい、ってスタンスなんですよ。
正直反吐が出ます。
そのくせ、終盤、箱舟に乗り切れなかった人々が目の前にいると、彼らを救うべきだ、それが人間なら当然だ、みたいな主張を登場人物の一人がするんです。
いやいやいや。
お前たちは既に六十億人以上の人間を見捨てた、そして自分たちだけが生き残ろうとした大罪人だから。目の前の数千人を救ったからといって、その罪が消えてなくなるわけではまったくないから。
観ていて心の中でそう突っ込まずにはいられませんでしたね。
結局『2012』は箱舟に乗った四十万人が大災害後も生き残るのですが、その四十万人の半ばは金持ちや政治家など老人なんです。
そこまでして生きたいの?そうまでして生き残って何をしたいの?そう問いたくなります。
例えどれほどのカタストロフィが襲ったとしても人類は生き残るべきなのだ、それが人類の使命だ、というのであれば、箱舟に乗るべき人間は、最低限生殖能力を有する、若くて健康な人が選ばれるべきでしょう。
無論これは、人類は何があっても生き残るべき種族である、という前提によりますが。
何だか辛口の批評になりましたが、何も深く考えなければ、『2012』は非常に良く出来たディザスター映画ですので、単純に楽しめると思います。
お気に入り度は★★、お薦め度は★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
先日の記事で、クエンティン・タランティーノとは相性が良くない、というようなことを書きました。
それはエメリッヒについてもいえるんですよね。
彼の作品のご都合主義丸出しの展開に見ていて妙にイラつくというか、落ち着かないというか。
だったら観なきゃいいじゃん!!と仰る方もいるでしょう。
まさにその通りなんですけどね。
実際スルーするつもりで、前売り券も買いませんでした。
なのに、どうして本作を観ようと思ったのかというと、マイミクのマリーコさんが「『2012』を観たらレビューしてくださいね♪」なんていうんですよ。こりゃ観なくちゃいかんかな、と思った次第です。
というのは半分冗談ですが(半分?)、キャナルシティのポイントが溜まっていて、それをある程度消化しなくちゃいけないというのもあり、また七月に観た、同じくディザスター映画であるアレックス・ブロヤス監督の『ノウイング』と比較したいな、という思いもありました。
で、『2012』を観ての感想なのですが、、、う~~~ん、やっぱりエメリッヒは自分には合わないな、と改めて思いましたね。
上述の『ノウイング』とこの『2012』、驚くぐらい基本設定が似通っています。何しろどちらの作品においても地球滅亡の原因は太陽の異常フレアなのですから。予言ものというのも共通しています。
どちらかがどちらかをパクったんじゃないの?と疑いたくなるぐらいです。
ただ、そこから先の展開や結末、そして作品の持つメッセージはまるで違います。
ブロヤスの『ノウイング』は人類が滅亡するぐらいのカタストロフィが地球を襲うときは神(もしくはそう呼んで差し支えない存在)に縋るしかない、そしてその時が来たらすべてを受け入れるしかない、というお話なんですよ。
ある意味、めっちゃ潔い。笑。
一方、エメリッヒの『2012』は人類が滅亡するぐらいのカタストロフィが地球を襲ったとしても、生きることを諦めてはいけない、どんなことをしても生き延びるべきである、というお話なんです。
生きることを諦めてはいけない、というところまでは賛同してもいいんですけど、どんなことをしても生き延びるべきである、というところはちょっとね、賛同しかねます。
本作の主人公、及び各国の政治家、大富豪たちの生への執着ははっきりいって見苦しい。
とにかく自分(と家族)だけが助かればそれでいい、ってスタンスなんですよ。
正直反吐が出ます。
そのくせ、終盤、箱舟に乗り切れなかった人々が目の前にいると、彼らを救うべきだ、それが人間なら当然だ、みたいな主張を登場人物の一人がするんです。
いやいやいや。
お前たちは既に六十億人以上の人間を見捨てた、そして自分たちだけが生き残ろうとした大罪人だから。目の前の数千人を救ったからといって、その罪が消えてなくなるわけではまったくないから。
観ていて心の中でそう突っ込まずにはいられませんでしたね。
結局『2012』は箱舟に乗った四十万人が大災害後も生き残るのですが、その四十万人の半ばは金持ちや政治家など老人なんです。
そこまでして生きたいの?そうまでして生き残って何をしたいの?そう問いたくなります。
例えどれほどのカタストロフィが襲ったとしても人類は生き残るべきなのだ、それが人類の使命だ、というのであれば、箱舟に乗るべき人間は、最低限生殖能力を有する、若くて健康な人が選ばれるべきでしょう。
無論これは、人類は何があっても生き残るべき種族である、という前提によりますが。
何だか辛口の批評になりましたが、何も深く考えなければ、『2012』は非常に良く出来たディザスター映画ですので、単純に楽しめると思います。
お気に入り度は★★、お薦め度は★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。