この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

SAW6。

2009-11-14 23:59:41 | 新作映画
 ケヴィン・グルタート監督、トビン・ベル主演、『SAW6』、11/14、TOHOシネマズ・トリアス久山にて鑑賞。2009年45本目。


 もはや秋の風物詩といった感のある『SAW』シリーズ第六作『SAW6』を観てきました。
 それにしてもシリーズ第六作ですか。
 2004年に第一作が公開されたとき、誰がこんなロングシリーズになることを予期しえたでしょうか?
 第一作ってほとんど一発アイディアだけの作品でしたからねぇ。
 ちなみにシリーズは第七作の製作も決定されているそうで(こちら)、それどころか製作会社のライオンズゲートは『SAW8』、さらには『SAW9』までも構想中だそうで…。
 こうなりゃどこまでもついていくよ、ジグソウ!!

 第一作はほとんど一発アイディアだけの作品と書きました。
 実際そう思いますよ。
 まぁ確かにギミックに凝った殺人機械や説教強盗ならぬ説教殺人鬼というのも作品の売りではあると思いますが、それも全てクライマックスのあのオチを成立させるための小道具に過ぎない、というのが自分の考えです。
 ぶっちゃけ脚本はかなりアバウトですよね。
 たった一人であんな大掛かりな仕掛けを作れるわけがないのだし、、、

 という声を聞いたのかどうか知りませんが、第二作ではジグソウに女性の共犯者が出来ました。
 しかし、こう言っちゃなんですが、女性の共犯者が一人いたぐらいで、やっぱりあれほど大掛かりな犯罪が仕掛けられるわけはないですよね。

 と思ったら、第三作では男性の共犯者が出てきました。笑。
 かように、『SAW』シリーズの新作は、前作の綻びを繕うためだけに存在するといっても過言ではない気がします。
 そして一つの綻びを繕ったのはいいが、別の綻びを大きくしている。
 アホだなーと思わないでもないです。
 はっきりいって『SAW』はシリーズ第一作だけで終わらせておけば伝説にもなりえた、と思うのですよ。
 どれほど脚本に穴があろうとあのオチの衝撃度はそれぐらい大きかったですから。
 ホラー映画史に残る衝撃度だった、そう思います。

 一方、前作の綻びを必死になって繕おうとする(そして結果別の綻びを大きくしている)製作スタッフの創作姿勢は個人的に好きなんですよね。
 やめとけばいいのに、と思うのと同時に、頑張れよ、と応援したくなるのです。

 さて、『SAW6』ですが、この作品単独で評価するとなるとはっきりいって観る価値はないです。
 これまでにも増して脚本がアバウトでした。
 シリーズの顔であるジグソウは、生きることに怠惰な人間にその大切さを教え諭す(そしてそれを理解しない者は容赦なく殺す)説教殺人鬼という設定です。
 当然罰せられる者はそれなりの罪を犯してないといけないわけですよ(そうじゃないと説得力がない)。
 しかし本作では長年タバコを吸っていた、っていう理由で殺される人間もいたりしますからね。
 そりゃ個人的に喫煙は緩慢な自殺だと思いますが、だからといって殺していい理由にはならないでしょう。
 そんな理由で罰せられるなら罰せられない人間を見つける方が難しいですよ。

 本作でジグソウは幾度となく「(本人の)生きる意志が重要なのだ」と主張します。
 しかしその割にはめちゃめちゃ生きる意志がありそうな人間を何人も、悔悛の機会を与えることなく、容赦なく命を奪ってますからね。
 言ってることとやってることがバラバラやん!と観ていて突っ込まずにはいられませんでした。

 それに、本作はFBIがマヌケすぎるんですよ。
 まぁ犯罪者が出てくるお話では、犯罪者が司法側の裏を掻くのが常ですが、それにしても本作の捜査官はマヌケすぎで、油断しすぎ。
 詳しい説明は省きますが、エリクソン捜査官のあまりのマヌケっぷりに「ありえんやろ!」ってスクリーンに向かって叫びたくなりましたよ。

 こんな感じで、本作は単独ではとても褒められるシロモノではありません。自信を持って観る価値なし、と断言出来ます。
 でも、、、個人的にはこれだけ登場人物が死にまくったエンディングを迎えながら、製作スタッフが次作にどう繋げようというのか、非常に楽しみでもあります。
 おそらく『SAW7』は『SAW6』以上に「ありえんやろ!」と突っ込みたくなる展開になるのでしょうね。笑。

 お気に入り度は★★★☆、お薦め度は★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
コメント (8)
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