この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

新年明けましておめでとうございます。

2015-01-01 11:38:15 | 日常
 新年明けましておめでとうございます。

 最初に断わっておきますが、新年一発目とは思えないぐらいネガティブな内容となっております。
 そういったネガティブな文章は(新年早々)読みたくないという方はこのまま回れ右して葡萄前進で帰ってください。
 あー、今“葡萄前進”を「ほふくぜんしん」と読まれた方、「ほふく」ではなく「ぶどう」ですから。
 新年早々騙されましたね。2015年は騙されないように注意して下さい。
 あと、何のことなのかまったく意味がわからないという人のために解説しておくと(匍匐前進の)“匍匐”と(フルーツの)“葡萄”は字面が似てるよね、というネタです。
 まぁ似てるから何なんだよと聞かれてもそんなことは当方の知ったこっちゃありません。

 新年明けましておめでとうございます、と言いましたが、ぶっちゃけ言ってどうして新年が明けたからめでたいのか、よくわかりません。
 一月一日に迎える朝は六月一日に迎える朝よりも特別なのか?
 いや、同じでしょ。
 特別だと思っている人がいたら、それはお正月という名の幻想に惑わされてるんですよ。
 例えて言えば二月十四日に食べるチョコレートは他の日に食べるチョコレートよりも特別なのか? 答えは決まってます。
 特別に決まっとるやん!
 もはや自分でも何を言ってるのかわかりません。

 どうして新年が明けたらめでたいのかわからないと言いましたが、新年明けましておめでとうございますと言う、もしくは言ってくれる相手がいないというのは確かにめでたくありません。

 ただ今一月一日の午後一時三十分になりました。
 ブログにこそ新年の挨拶コメントが二つ書き込まれましたが、今のところ携帯電話に新年の挨拶メールは一通も届いておらず、それはパソコンにも同様です。
 さらに言えば、年賀状も今年はとうとう知人友人からは一通も送られてきませんでしたよ。毎年ギリギリのところで一通か二通かは来るんですけどね。とうとう来たるべき時が来たかって感じです。
 まぁ自分の方もメールは送ってないし、年賀状もそうなので、それは仕方ないことなんですけどね。

 年賀状は元々まめに出す方ではあったんですよ。昔は早めに用意して、手書きで出してました。
 それが今のように出さなくなったのはあまりに返還率が悪かったからです。
 自分から出さないのはまぁいい。でも送られてきた年賀状ぐらいは返事を書け、と言いたいです。

 そういうふうに言うと返事を出さない奴はこう言い返すんですよ。
 返事を書く、書かないは個人の勝手、個人の自由だろ、って。
 あらら、そーゆー理屈をこねますか。
 だったらテメーは「おはようございます!」と挨拶してくれた相手に、挨拶を返すのも返さないのも個人の自由だから、と理屈をつけて、「おはようございます!」とは返さないだな。
 もうねー、それぐらいはグダグダ言わずに理屈抜きで返そうよ、と言いたい。
 自由とかどうとかは関係なく、年賀状の返事を書かないのはテメーが怠惰なだけだって。
 テメーみたいなダメ人間がいるから、人と人とのコミュニケーションが不全になって、終いには戦争が起きるんだっつーの。

 いやいやいや、いくらなんでも年賀状の返事を書かないぐらいで戦争責任まで押し付けるのは言い過ぎ、論理が飛躍しすぎだろうって?
 確かにそうかもしれません。
 そんなわけで今年は飛躍の年にしたいです。
コメント (2)
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