この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

自殺は本当にいけないことなのか?

2017-11-11 20:35:31 | 戯言
 神奈川県の座間市の事件などに思うところがあって、この記事を書きます。
 あくまで自分はこう思う、というだけであって、他者に強要するものではありません。

 突然ですが、自殺っていけないことなんですかね?
 この問いに対して多くの人は、中には憤りさえ交えてこう答えるでしょう、いけないに決まっていると。
 ではもう一つ教えてください。
 自殺をしてはいけないというのであれば、それはなぜですか?
 この問いにスムーズに答えられる人はきっと少ないはずです。
 いけないからいけないに決まっているのだ、と答える人もいるかもしれませんが、その答えはただの思考の停止であって答えになっていません。
 そう答える人はおそらく自殺について真剣に考えたことがないのだと思います。

 自分は現在自殺をしたいとは思っていません。
 理由は単純に、生きている間思うままにならなかったのであれば、それは死んだ後も同じだろう、そう考えるからです。
 この考えを他者に強要するつもりはありません。

 自殺者の、そして自殺希望者の多くは、生まれ変わったらもっとマシな人生を送りたい、、、というような台詞を口にします(というように見受けられます)。
 彼らは生まれ変わり、来世、転生、そういったものを信じているのです。
 彼らに自殺を思いとどまらせようというのであれば、まず、彼らの考えを否定した上で、生きていくように説得しなければいけません。
 それが何より至難の業だと思います。
 人が生まれ変わることなどないのだ、ということは誰にも証明出来ないからです。

 先ほどの問い、なぜ自殺をしてはいけないか?に対して、こう答える人もいるでしょうね。
 残された人はきっと悲しむ、だから自殺してはいけないのだと。
 自分はこの答えを心の底から嫌悪しますね。その答えは間違っています。

 なぜなら、悲しむ人がいるから自殺してはいけないというのは、悲しむ人がいない人はさっさと死んでも構わないというのと同意だからです。
 もし本当に自殺をしてはならないのであれば、悲しむ人がいようがいまいが自殺はしてはならないはずだし、人の命が本当に尊いのであれば、やはり悲しむ人がいようがいまいが尊いはずです。

 結局のところ、自ら死を選ぼうという人に対してかける言葉などないのだと思います。
 生きてさえいればきっといいことがある、残された人のことを考えなさい、残された人はきっと悲しむ、、、それらの言葉は言葉だけであれば、あまりに薄っぺらく、そして無責任です。

 私たちに出来ることがあるのだとしたら、それは何より行動だと思います。
 この世界が生きるに値する世界であると、自殺希望者がそう思えるための行動です。
 具体的には、
 裏切らない、
 自己保身のための嘘をつかない、
 他者を思いやる、譲り合う、気遣うetc
 というような道徳的にごくごく当たり前の行動です。
 そういった行動を取れる人が増えれば、自ずと自殺をしようとする人は減る、自分はそう考えます。
 迂遠ではあるけれど、それが一番確実な方法なのではないでしょうか。
コメント
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