オリヴィア・ニューマン監督、デイジー・エドガー=ジョーンズ主演、『ザリガニの鳴くところ』、11/19、イオンシネマ筑紫野にて鑑賞(ACチケットBC4、鑑賞料金1000円)。2022年46本目。
この映画を観に行くことにしたのは、観てもいいかなと思ったのもありますが、公開館がイオンシネマ筑紫野だったから、という理由も大きいです。
今週は観てもいいかな、と思える作品が何本かあったんですよね。
イオンシネマ福岡で公開される『ザ・メニュー』や『ナイトライド 時間は嗤う』、ユナイテッド・シネマ久山で公開される『ファイブ・デビルズ 』などがそうです。
ともかく言いたいのはこの『ザリガニの鳴くところ』は絶対観たい作品ではなかったということです。
絶対観たいというわけでもない作品でも実際観たらめちゃ面白いこともあるので、それなりに期待するものはあったのですが、実際観てみたらいろいろとよくわからない映画でした。
湿地帯で一人で暮らす少女カイアが殺人事件の容疑者として逮捕される。
彼女は六歳の時に両親と三人の兄弟に見捨てられて以来、たった一人で生きてきたのだった。
果たして彼女は殺人事件の犯人なのか、それとも、、、というお話。
最初に家を出ていくのが夫の暴力に耐えかねたカイアの母親で、次に長女、次女、長兄と家を出て、最終的にカイアと父親が残されます。
まず疑問に思うのが、末娘を父親と二人きりで残してはいけないのではないかと誰も考えなかったのか、ってことです。
普通考えますよね。
彼らがそのことを考えなかったのは、幼い少女が一人きりで生きなければならないシチュエーションを無理やり作るためとしか思えません。
カイアが一人で生きていくということはつまり父親もいなくなるということなのですが、この映画の一番怖いのは実はここです。
他の家族には父親の暴力を恐れたためという家を出る理由があります。
でも父親には家を出る理由がありません。
家が貧しいから出稼ぎに出ようか、などと考える父親ではないのです。
また他の家族には、母親にも、姉にも、兄にも、家を出るときのワンカットがあるのですが、父親にはそれがなく、カイアの「そして父もいなくなってしまった」という独白があるだけなんです。
そうするとどうしても怖い想像をしてしまいますよね。
父親がいなくなったのは幼いカイアがその手で、、、いや、怖すぎますが。
カイアの父親がいなくなった理由をご存知の方は教えて下さい。
殺人事件の真相は最後の最後に明かされます。
犯人が「自らがやった」と認めるに等しい証拠を残しているんです。
確かにその真相は意外なものではあります。
でも真相を意外なものにするために物語が歪なものになっているように思えてなりません。
普通はあんな証拠を残すとしても絶対に人目につかない所に隠すと思うけどなぁ。
本作で一番わからなかったのは何かというとやっぱりタイトルですね。
『ザリガニの鳴くところ』というタイトルを聞いて、まず多くの人が疑問に思うのが「ザリガニって鳴くの?」ってことではないでしょうか。
少なくとも自分はそのことを疑問に思って、でも映画を観ればそれがわかるのだろうと思っていました。
でも驚くべきことにそれがわからないんですよ。
カイアの母親が彼女に「困った時はザリガニが鳴くところまで逃げなさい」というような言葉を残しているのですが、それが実際そういう場所があるのか、それとも何かの比喩なのか、映画を観てもわからないのです。
せめてそれぐらいはスッキリさせて欲しかったですね。
まぁ今述べたことは作中きちんと説明されていて、自分が見落としただけかもしれません。
ともかくわからないこと、あり得ないこと、はっきりしないことが多すぎて、自分はこの作品を高く評価する気にはなれないですね。
お気に入り度★★☆、お薦め度★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
この映画を観に行くことにしたのは、観てもいいかなと思ったのもありますが、公開館がイオンシネマ筑紫野だったから、という理由も大きいです。
今週は観てもいいかな、と思える作品が何本かあったんですよね。
イオンシネマ福岡で公開される『ザ・メニュー』や『ナイトライド 時間は嗤う』、ユナイテッド・シネマ久山で公開される『ファイブ・デビルズ 』などがそうです。
ともかく言いたいのはこの『ザリガニの鳴くところ』は絶対観たい作品ではなかったということです。
絶対観たいというわけでもない作品でも実際観たらめちゃ面白いこともあるので、それなりに期待するものはあったのですが、実際観てみたらいろいろとよくわからない映画でした。
湿地帯で一人で暮らす少女カイアが殺人事件の容疑者として逮捕される。
彼女は六歳の時に両親と三人の兄弟に見捨てられて以来、たった一人で生きてきたのだった。
果たして彼女は殺人事件の犯人なのか、それとも、、、というお話。
最初に家を出ていくのが夫の暴力に耐えかねたカイアの母親で、次に長女、次女、長兄と家を出て、最終的にカイアと父親が残されます。
まず疑問に思うのが、末娘を父親と二人きりで残してはいけないのではないかと誰も考えなかったのか、ってことです。
普通考えますよね。
彼らがそのことを考えなかったのは、幼い少女が一人きりで生きなければならないシチュエーションを無理やり作るためとしか思えません。
カイアが一人で生きていくということはつまり父親もいなくなるということなのですが、この映画の一番怖いのは実はここです。
他の家族には父親の暴力を恐れたためという家を出る理由があります。
でも父親には家を出る理由がありません。
家が貧しいから出稼ぎに出ようか、などと考える父親ではないのです。
また他の家族には、母親にも、姉にも、兄にも、家を出るときのワンカットがあるのですが、父親にはそれがなく、カイアの「そして父もいなくなってしまった」という独白があるだけなんです。
そうするとどうしても怖い想像をしてしまいますよね。
父親がいなくなったのは幼いカイアがその手で、、、いや、怖すぎますが。
カイアの父親がいなくなった理由をご存知の方は教えて下さい。
殺人事件の真相は最後の最後に明かされます。
犯人が「自らがやった」と認めるに等しい証拠を残しているんです。
確かにその真相は意外なものではあります。
でも真相を意外なものにするために物語が歪なものになっているように思えてなりません。
普通はあんな証拠を残すとしても絶対に人目につかない所に隠すと思うけどなぁ。
本作で一番わからなかったのは何かというとやっぱりタイトルですね。
『ザリガニの鳴くところ』というタイトルを聞いて、まず多くの人が疑問に思うのが「ザリガニって鳴くの?」ってことではないでしょうか。
少なくとも自分はそのことを疑問に思って、でも映画を観ればそれがわかるのだろうと思っていました。
でも驚くべきことにそれがわからないんですよ。
カイアの母親が彼女に「困った時はザリガニが鳴くところまで逃げなさい」というような言葉を残しているのですが、それが実際そういう場所があるのか、それとも何かの比喩なのか、映画を観てもわからないのです。
せめてそれぐらいはスッキリさせて欲しかったですね。
まぁ今述べたことは作中きちんと説明されていて、自分が見落としただけかもしれません。
ともかくわからないこと、あり得ないこと、はっきりしないことが多すぎて、自分はこの作品を高く評価する気にはなれないですね。
お気に入り度★★☆、お薦め度★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。