伊坂幸太郎の『残り全部バケーション』がこのたび文庫になりました。
実は、と断るまでもないのですが、自分はこの作品とかなり因縁があるのです。それなりに不愉快な思いもしました(作品そのものに不愉快な思いをした、という意味ではないです)。
文庫で初めてこの作品を読んだという方のためにごく簡単な、そして(たぶん)わかりにくい解説をしたいと思います。
第五章「飛べても8分」を読んで、何と、岡田が食べ歩きブログの管理人であるサキだったのか!と驚いた方もいるかもしれませんが、実はその解釈は間違っています。
ブログの管理人のサキは岡田ではなく、早坂沙希です。
ただ、今日はそのことについて解説する気はありません(詳しいことが知りたい方はこちらをお読みください)。
今日指摘したいのは、まず疑問に思うのはそこではないですよ、ということです。
どういうことなのかというと、疑問に思うべきは、
①なぜ毒島は裏切った溝口本人ではなく、岡田を罰したのか?
②なぜ毒島は岡田がブログの管理人をしていることを知っていたのか?
という二点です。
①については、溝口が上手く自分の罪を岡田に被せたからだろうと思う方もいるかもしれませんが、それは違います。まず溝口は口が上手い男、というふうに描かれていませんし、また毒島は溝口にあっさり騙されるような間抜けでもない。
そもそも、俺じゃない、あいつがやったんだ!という奴がいたら、コイツ、自分が助かろうと思ってそいつに罪を被せようとしてるんじゃないか、って疑うのが当然です。毒島がまったくそのことを思いつかなかった、というのは極めて不自然です。
ですからここは、毒島は溝口の嘘に騙されて岡田を罰したのではなく、毒島は溝口の嘘に騙されたふりをして、岡田を罰したふりをした(それによって溝口を逆に騙した)と見るのが適当なのです。
ではなぜそのようなことをしたのか?
溝口が裏切ったのであれば、溝口を罰するのが筋というものです。
なぜ筋を違えてまで溝口を罰しなかったのかというと、当然それなりの理由があったから、と考えられます。
ここまでは本書からはっきりと読み取れることだと言ってよいと思います。
その理由は、さすがに本書には書かれていないので想像に頼るしかありません。
自分はこう想像しました(こちら)。
さて②についてですが、日本の社会人でブログの管理人をしている人ってどれぐらいいるんでしょうね?
統計があるわけでもないので、切りがいいところで100万人いる、ということにします。
ではその100万人の管理人のうち、上司に対してブログの管理人をしていることを報告している人ってどれぐらいいるでしょう?
ゼロではないでしょうがかなり少ないはずです。
プライヴェートでのネット活動をわざわざ上司に報告するのは通常考えにくいからです。よほどフレンドリーな間柄であるなら別ですが。
岡田と毒島は単純な仕事上の上司と部下というわけではありませんが、ともかく上下関係にはあります。間違ってもフレンドリーな間柄というわけではない。
今、岡田が食べ歩きのブログを開設したとしても、それを毒島に報告するとは考えにくい。なぜなら、せっかく始めたブログでも、毒島が一言「やめろ」といったら止めなければなりませんからね。
ブログをしたいなら、こっそりすればいい。それでバレっこありません。
岡田がブログの開設を毒島に報告するわけがない一方で、毒島がブログの管理人が岡田であるという情報を岡田から聞き出したのは間違いありません。
一見矛盾する事柄のように思えますが、岡田からの与えられた情報を毒島が間違って解釈したのだ、と考えれば筋が通ります。
どういうことなのかというと、こんな感じですね。
この二点をきちんと脳内で補填して読むと『残り全部バケーション』は誤読しないと思います。
今述べたことは、単行本を読む限りは間違いない解釈だとは思うのですが、作家によっては文庫化に際し、内容を大幅に変えることもあるんですよねぇ。例えば乙一などがそうですが。
伊坂幸太郎に限ってそういうことはないと思うのですが、文庫では大幅に改訂されて、サキ≠岡田という解釈は成り立たなくなってましたよ、というようなことがあれば、報告をお願いします。
そんな報告は目にしたくないのですが…。
実は、と断るまでもないのですが、自分はこの作品とかなり因縁があるのです。それなりに不愉快な思いもしました(作品そのものに不愉快な思いをした、という意味ではないです)。
文庫で初めてこの作品を読んだという方のためにごく簡単な、そして(たぶん)わかりにくい解説をしたいと思います。
第五章「飛べても8分」を読んで、何と、岡田が食べ歩きブログの管理人であるサキだったのか!と驚いた方もいるかもしれませんが、実はその解釈は間違っています。
ブログの管理人のサキは岡田ではなく、早坂沙希です。
ただ、今日はそのことについて解説する気はありません(詳しいことが知りたい方はこちらをお読みください)。
今日指摘したいのは、まず疑問に思うのはそこではないですよ、ということです。
どういうことなのかというと、疑問に思うべきは、
①なぜ毒島は裏切った溝口本人ではなく、岡田を罰したのか?
②なぜ毒島は岡田がブログの管理人をしていることを知っていたのか?
という二点です。
①については、溝口が上手く自分の罪を岡田に被せたからだろうと思う方もいるかもしれませんが、それは違います。まず溝口は口が上手い男、というふうに描かれていませんし、また毒島は溝口にあっさり騙されるような間抜けでもない。
そもそも、俺じゃない、あいつがやったんだ!という奴がいたら、コイツ、自分が助かろうと思ってそいつに罪を被せようとしてるんじゃないか、って疑うのが当然です。毒島がまったくそのことを思いつかなかった、というのは極めて不自然です。
ですからここは、毒島は溝口の嘘に騙されて岡田を罰したのではなく、毒島は溝口の嘘に騙されたふりをして、岡田を罰したふりをした(それによって溝口を逆に騙した)と見るのが適当なのです。
ではなぜそのようなことをしたのか?
溝口が裏切ったのであれば、溝口を罰するのが筋というものです。
なぜ筋を違えてまで溝口を罰しなかったのかというと、当然それなりの理由があったから、と考えられます。
ここまでは本書からはっきりと読み取れることだと言ってよいと思います。
その理由は、さすがに本書には書かれていないので想像に頼るしかありません。
自分はこう想像しました(こちら)。
さて②についてですが、日本の社会人でブログの管理人をしている人ってどれぐらいいるんでしょうね?
統計があるわけでもないので、切りがいいところで100万人いる、ということにします。
ではその100万人の管理人のうち、上司に対してブログの管理人をしていることを報告している人ってどれぐらいいるでしょう?
ゼロではないでしょうがかなり少ないはずです。
プライヴェートでのネット活動をわざわざ上司に報告するのは通常考えにくいからです。よほどフレンドリーな間柄であるなら別ですが。
岡田と毒島は単純な仕事上の上司と部下というわけではありませんが、ともかく上下関係にはあります。間違ってもフレンドリーな間柄というわけではない。
今、岡田が食べ歩きのブログを開設したとしても、それを毒島に報告するとは考えにくい。なぜなら、せっかく始めたブログでも、毒島が一言「やめろ」といったら止めなければなりませんからね。
ブログをしたいなら、こっそりすればいい。それでバレっこありません。
岡田がブログの開設を毒島に報告するわけがない一方で、毒島がブログの管理人が岡田であるという情報を岡田から聞き出したのは間違いありません。
一見矛盾する事柄のように思えますが、岡田からの与えられた情報を毒島が間違って解釈したのだ、と考えれば筋が通ります。
どういうことなのかというと、こんな感じですね。
この二点をきちんと脳内で補填して読むと『残り全部バケーション』は誤読しないと思います。
今述べたことは、単行本を読む限りは間違いない解釈だとは思うのですが、作家によっては文庫化に際し、内容を大幅に変えることもあるんですよねぇ。例えば乙一などがそうですが。
伊坂幸太郎に限ってそういうことはないと思うのですが、文庫では大幅に改訂されて、サキ≠岡田という解釈は成り立たなくなってましたよ、というようなことがあれば、報告をお願いします。
そんな報告は目にしたくないのですが…。
横レスによって話が広がるのも面白いし、脱線したとしてもそれはそれで楽しいじゃないですか。
なので自分も話を横道にずらしますが、蒼史さんは「ロマン」の元々の意味はご存知ですか?
自分もつい先ほど知ったばかりなのですが、「ロマン」というのは元々は「ローマ風の」という意味なのです。
ですから、「ロマンはどこだ?」という問いに対する答えは「ローマ」になるのかもしれませんね。笑。
とても素敵な言葉ですね(^^)
『陽気なギャングが地球を回す』を読んでこの言葉に出会ったとき、とてもドキドキして、それから座右の銘にしています♪
映画の主題歌『How We Do It !! 』の中に『ロマンはどこだ』って歌詞があって、これもまたイイんです(^^)
聴いていて、じーんとします♪
横スレ、失礼しました~
ちなみに自分では自作のショートショート三編にロマンはてんこ盛りにある!って自負しています。笑。
はい。ロジックよりも ロマンです。
『ロマンはどこだ?』 ・・・て ね。
失礼しましたー(笑
まぁでもそれがサキ≠岡田説を理解するのに一番手っ取り方法かなと思ったので。笑。
>朝一番でケーキを買って 新幹線で仙台にお土産。。。有りですよ。
サキ≠岡田説の唯一の欠陥かもしれない問題をサキ=岡田派の方から大丈夫だと保障されるのは何だか変な感じです。
おかげでサキ≠岡田説により自信が持てました。笑。
>私は やっぱり岡田=サキ説 押しです。
そう考えることがタキオン発見さんにとって楽しいのであればそれで構わないと思います。
ロジックで考えればサキ≠岡田説の方が正しいと思いますが、人によってはロジックよりも優先したいことがあるでしょうからね。
>ブログ ぼちぼち 読ませていただいていますので
また コメントさせていただくかもしれません。
はい、また時間が出来たときなどに遊びに来てください。
お返事 ありがとうございます。
何かお勧めの本は無いかなぁ・・・と
<読書>のカテゴリーをめくっていて
返信のコメントをいただいていたことに気付きました。気が付くのが遅くて すいません。
ショートショート3篇 読ませていただきました。
有りそうな展開ですねー。
『あるマンションの一室で』が 一番好きです。
溝口さんって ”そういう人” ですよね。。。(笑
”東京で買ったケーキを仙台で食べるとしたらどうしても古いものを食べることになるんじゃないの?ってことですね。”
東京ー仙台間は 新幹線で2時間半 飛行機で1時間10分です。
ケーキ好きなら 余裕でお土産に持ち帰る時間だと思います。私も 大阪から3時間かけて新幹線でケーキをお土産に持ち帰りしてますので・・(^^)
朝一番でケーキを買って 新幹線で仙台にお土産。。。有りですよ。
岡田≠サキ説 も ありかな・・・と 言う気もします。。。が
私は やっぱり岡田=サキ説 押しです。
姿を消した後の岡田に 何かをやって欲しいですから。。。という期待です。
しつこくて すいません(笑
いつか 井坂さんに 続編・・・というか 彼らの近況がわかる情報を 何かのストーリーに混ぜ込んで報告していただきたいですね。
それとも このまま想像を膨らませているほうが 楽しいのかも・・・でしょうか?
ブログ ぼちぼち 読ませていただいていますので
また コメントさせていただくかもしれません。
では また。
辺境のブログにようこそ♪
古い記事だからといってコメントを遠慮する必要はありません。
何ならこのブログの最初の記事にコメントしてもらっても構いません。
古い記事であってもコメントをしてもらうのはとても嬉しいことなのですが、ちょっと残念だと思ったのは、タキオン発見さんがどうもこの記事しか目を通していないようだということです。
この記事は『残り全部バケーション』について書いた他の記事の補完的な記事なので、この記事だけでは完全だとは言えません。
よかったら、そちらの方もお読みいただけたら、と思います。
ただ、超絶的に長いですけれど…。コメント数だけで50を越えてますからね。笑。
あと、自分は『残り全部バケーション』の二次創作ショートショートを三編書いています。
そちらを読んでもらえたら、岡田≠サキ説が理解しやすいのでは、と思います。
たぶん、タキオン発見さんの説より岡田≠サキ説の方がロマンがある、そう自負しています。
http://blog.goo.ne.jp/sepurainnole/e/e37cbb251ffba4d1d880d217675eee20
http://blog.goo.ne.jp/sepurainnole/e/4d8d10070a040bebc298a4bbea4e8703
http://blog.goo.ne.jp/sepurainnole/e/4a8dd22e187ae94510d6f9a1c89633ec
ではよろしくお願いします。
検索していて ここに行きつきました。
すいません、サキ=岡田 説 です。
面白そうな論争でしたので 参加させていただきます。長くなります。
なぜ 女性(=サキ)の振りをしてブログを書いたか・・・
それは 自分の正体を隠したい人が 一番単純に簡単にできるのが
男性が女性の振りをする(または 逆に 女性が男性の振りをする)
・・ということ だからじゃないでしょうか?
それに
文面で 女性が書いたか 男性が書いたものか 解りますか・・・?
男性でも ブログの中で 自分のことを『私』と書く人は多いです。
簡潔な文章の場合 性別がわからないものではないでしょうか?
(ちなみに 私は男性でしょうか?女性でしょうか? わかりますか?)
名前も 『サキ』だけでは 苗字の略(山崎のサキ、とか) ということもありますから
性別はわからないのではないでしょうか?
文中の登場者が 『サキちゃん』が女性だと思ったのは
文章からではなく スィーツのブログだから、という潜入感からかもしれません。
なぜ そこまでして ブログを書く必要があるのか
・・・それは いつか溝口さんに 自分が無事に生きているということを見つけてもらうため・・
ではないかな・・と思います。
自分の名前は出せないが もしかしたら あの家族のことがわかり
『サキ』という名前を知ったとしたら、そこからたどって
もしかしたら このブログに行き着くのでは・・・
毒島さんには 命を助けてもらったから 居場所は教えなくても
無事で元気に生きています。。。ということを伝えるために
何らかの方法でブログを書いていることを知ってもらっていて、
その伝から もしかしたら 多分(自分が裏切ったために 消されることになったことを)
心配しているであろう溝口さんにも 自分は本当は生きています、ということを
いつか知ってもらうことが出来るんじゃないか と思いたかったから・・・
岡田は 人が喜んでくれることをしたいと思っているのですから。
溝口さんが 自分のせいで岡田は消されてしまった・・と思って
悲しい思いをしていたとしたら 岡田も悲しいのではないかと思います。
溝口さんに 自分は大丈夫です・・といつか知ってもらえるのではないか
と思ってブログを書いているのでは・・と 思います。
そして いつか 会いに来てくれるのでは・・・と 期待しているのではないでしょうか。
自分としては 岡田と早坂家の家族が友達になって
時々 サキ達と 一緒に食べ歩きをしている(だから サキの家の近く=溝口が行ける範囲の店)
・・・というのが もっとも望ましいように思います。
この話は すべてが いい方向に向かう話のような気がするので
。。。悲しい顔を見るのは嫌ですから。。。。ね。
いかがでしょうか・・・?
あ、HNの<タキオン発見>は タキオンを発見して過去に飛んでしまったくらい
古い話題にコメントを送ってしまたから・・・です。
結局議論というものは信用できる相手としか出来ないものですから…。
ステハンの人やHNを未記入の人って、それだけで文章の説得力が半減するってわからないんですかねぇ。
以前、同様の記事では、コテハンの方や、自分のブログを明らかにした方までいたと記憶しています。
ステハンというだけで、「この人は本当に書いていることを信じているのだろうか。ただ記事に反論を書きたいだけじゃないだろうか」と思ってしまいます。
コテハンを示せないような、何かやましい気持ちがあるのかな?
まず、お聞きしたいのはこの「はてさて」というのはHNなのですか?それともコメントタイトルなのですか?
見ず知らずの相手のブログにコメントをするときはきちんと名前を名乗るのが最低限のマナーというものです。
はてさてさん(とお呼びしますが)、あなたはそれが出来ていませんね?
次にあなたは最初のコメントで、
>一つの想像に固執して、他の人の想像を間違いだと主張するような無粋な小説ファンは、ここにはいませんよね?
と仰っています。
自分は自分のブログでこそ持論を展開していますが、他人のブログに乗り込んで、あなたの考えは間違っている!などと無粋なことをしたりはしませんよ?
他人の想像を間違っている、と否定しているのは、自分ではなく、あなたです。
さて。
ではなぜ自分が食べ歩きブログの管理人が岡田ではなく、早坂沙希だと考えるのか、根拠を述べていきましょう。
根拠は一つならずあります。
しかしすべての根拠を挙げていくとあなたが混乱するだけでしょうから一つに絞ることにします。
それは「生活圏」です。
溝口は岡田が死んだものと思っていました。
それはつまり言い換えれば、岡田の姿を見かけることもなければね岡田が生きているという噂を聞いたこともなかった、ということです。
であれば、溝口の近くに岡田は住んでいなかった、二人は生活圏が異なっていた、と考えるのが自然です。
一方溝口は「サキ」というHNの管理人が運営する食べ歩きブログの常連でした。
通常、ブログの管理人がどこに住んでいるのか、私たちは気にすることはありません。
なぜなら、ブログの管理人がどこに住んでいたとしても、話題を共有することは可能だからです。
これはスポーツ、芸能、子育て、映画、ほとんどのブログでそうだと言ってよいと思います。
では食べ歩きブログに関してはどうでしょう。
食べ歩きブログは地域密着型のブログです。
話題を共有するためには生活圏を共有することが必須です。つまり管理人の紹介するケーキを食べに行ける範囲内に住んでいなければいけません。
今ここで溝口と岡田は生活圏が異なり、サキと溝口が生活圏を共有すると考えられるのであれば、岡田とサキは別人である、と考えるのが自然です。
そうでないとするためには、相当捻った設定を用意しなければならないですよ?
あなたにそれが出来るとも思えないけれど。
物事というものは素直に解釈しなければなりません。
毒島の言葉が真実ではないと言っている自分にそれを言われたくはないと思いますが。
あと、文庫本の佐藤正午さんの解説も読んでみてはいかがでしょう。
そして食べ歩きブログの管理人が早坂沙希であるということは間違いなく前者です。
根拠もなくそう主張しているわけではありません。
想像の部分を否定することはありませんが、読み取れる部分に関しては別です。
間違いは間違いだと指摘することは長い目で見れば正しいことであるのは言うまでもありません。
指摘された側がその指摘を受け入れられるかどうかという問題はありますけれど。