この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

スネーク・フライト。

2006-10-21 23:49:52 | 新作映画
 サミュエル・L・ジャクソン主演、『スネーク・フライト』、ワーナー・マイカル・シネマズ上峰にて鑑賞。

 人類がこの地球上に誕生して以来、一体幾つの暗殺手段が取られてきたのかは無論知りはしないが、おそらくこれほど非効率的なものもなかったであろう、そう断言できる。
 何しろ映画『スネーク・フライト』で一人の証人を消すために犯罪組織が取った手段は、ジャンボジェット機に数千匹の(ラリった)ヘビを解き放つ、というものだから、何とも馬鹿馬鹿しい。
 暗殺手段が非効率的だ、と書いたが、その非効率さが並みではない。ハワイからロサンゼルスへ向かう飛行機に載せるべく用意したヘビが、なぜだか現地ハワイで調達したものではない。ロサンゼルスで調達したヘビを一旦ハワイに空輸(密輸)して、そこで証人が乗る飛行機を確認してから通常の荷物にカモフラージュして機内に運び込んでいるのだ。何たる非効率さ!(無論それには映画的な理由があってのことだが。)
 馬鹿馬鹿しい映画なので、登場人物も揃いも揃って見事なぐらい馬鹿ばかりである。
 これしかやり方はねぇ!みたいなことを叫ぶ犯罪組織のドン。いやぁ、これ以外にもやり方はいろいろあるでしょ~、と教えてやりたくなったのは自分だけではないはず。
 だがそれに負けないぐらい主人公であるジャクソン扮するフリン捜査官も馬鹿である。飛行機の中にヘビが出没した場合、何は無くとも操縦室を死守する、というのが普通の発想だと思う。実際二度、三度操縦室はヘビに襲撃されているのだし。(そのうちの数回はカーゴへ続く入り口のドアの閉め忘れによる。)
 さらにファーストクラスのキャビンが比較的安全なことがわかったら、その時点で乗客をそちらの方に避難させるのが常識というものだろう。
 だが、我らがフリン捜査官はそんなことは微塵も考えない。考える素振りさえ見せない。理由は簡単、なぜなら馬鹿だから。
 だが暗殺手段が非効率的なのも登場人物が馬鹿なのも、映画的にはきちんとした理由がある。
 まず飛行機に載せるヘビがなぜハワイではなくロサンゼルスで調達されたものなのか、その理由は一つしかない。単純にフライトの目的地であるロサンゼルスに血清が用意されないとお話的にちょっと困るから、である。ハワイからわざわざ血清を取り寄せていたのではさらに乗客の何人かは死んでしまう。散々すでに死にまくってはいるのだが。
 また、犯罪組織のドンや捜査官、それに操縦士など、登場人物が揃いも揃って馬鹿なのは、そっちの方が映画としてのスリルが増すから、である。このうちの一人でも常識的だったらスリルも半減する。というかお話が成り立たない。
 つまり映画『スネーク・フライト』は、常識的にいえばありえねー!の連続なのであるが、一本の映画として観るときわめて正しい作品である、そう断言してよいと思う。
 だから、クライマックスのシーンで操縦室からヘビを駆逐するために取られた手段、あれはどう考えても危険度が高すぎると思うのだが、でも映画としてはこれ以上ないっていうぐらい正しい。正しすぎる。
 一つだけ難をいえば最後のジャンボジェット機がロサンゼルス空港に着陸する際、デブの黒人がこれ以上ないというぐらい見事に機体を操って着陸させ、管制室が拍手喝采、そこでフリン捜査官が、どこでジャンボジェット機の操縦を覚えたんだ?と問い掛けて、デブがニヤリと答える、みたいな展開だとよりよかった。
 ともかく、本作は非常に馬鹿馬鹿しい作品ではあるが、その馬鹿馬鹿しさも決して手抜きのそれではなく、面白いものを作ってやろうぜ!という作り手の本気がうかがえて、個人的に好ましかった。といってもやっぱり他人様に薦められるような作品ではないのだけれど。

 次回鑑賞はジャック・ブラック主演、ジャレッド・ヘス監督、『ナチョ・リブレ 覆面の神様』の予定。
コメント (4)
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