この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

新作を少々。

2010-09-15 23:45:47 | 折り紙・ペーパークラフト
 連鶴の新作です。
 といっても大したもんじゃないけど。
 あ、ここに紹介する作品は一枚の紙に切込みを入れることによって出来てます(言わずもがなかと思ってたら、たまにどうやって繋げてるんですか?糊で?テープで?とかたまに聞かれたりするので。)。


   


 自分でもよくわかんないんだけど、テキトーに作ってみました。羽根が真下に伸びているので不安定なことこの上ないです。


   

   


 自分では完成したとき、なかなかのものが出来た!と思ったんですけど、ある人から魯縞庵義道の『蓬莱』の下の部分とどう違うんですか?と突っ込まれてしまいました。
 確かに見た目は同じ、、、繋ぎ方がちょっと違うんだけどね。


   


 これは完全なオリジナルと主張していいと思います。
 まぁでも作るのに手間が掛かる割には見栄えがイマイチなんだけどねー。
 自分では結構気に入ってます。

 こんなところです。
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ヤクルトのおばさんは知っていた!

2010-09-14 21:37:01 | 日常
 本文に入る前にどーでもいい話。

 今ちょうど新垣結衣主演で『ハナミズキ』って映画が上映されてるじゃないですか。
 あの映画は一青窈の同名曲である『ハナミズキ』をコンセプトに作られたらしいんですが、あの曲って「君と好きな人が百年続きますように」という歌詞から察するに、純愛についての曲であり、また恋愛応援ソングですよね(解釈、間違ってますかね?)。
 でも実際の一青窈って人の旦那を略奪するような女じゃないですか。
 あの曲を聴くたびに、よく人の旦那を略奪しといて「君と好きな人が百年続きますように」なんて歌えるなぁと感心します(順番的に正しくは「君と好きな人が百年続きますように」なんて歌っておきながら、よく人の旦那を略奪できるなぁ、ですけどね)。
 ま、言ってること(この場合は歌ってること)とやってることが違うってことは世の中ありがちですけどね。

 閑話休題。

 西原理恵子のトークライブに行ってから(正確には行く二、三日前から)、周りの人に「西原理恵子って知ってる?」って聞きまくってるんですけどね、これがまた本当に「それ、誰?」って知らない人ばっかりなんですよ。 
 うちのお袋を始め、会社の同僚、事務のおばさん、出入り業者、配達のにーちゃん、聞ける人には片っ端から聞いたんですけど、ことごとく知らないの(といっても10人ぐらいにしか聞いてないけど。自分が聞ける人ってそれぐらいしかいないから。)。

 でもまぁ、知らないのはいいんですよ、知らないのは。
 自分だって別にAKB48のメンバーを全員知っているってわけじゃないですから(ぶっちゃけ篠田麻里子しかわかりません。篠田麻里子がわかるのも彼女が髪をショートにしているから。髪を伸ばしたらたぶんわかんない。)。

 ただ、ちょっと許せんな、と思ったことがあって、それは何かというと西原理恵子は知らないくせに倉田真由美は知ってる人が複数いたってことです。
 これはちょっと、、、ありえんよね。
 どれぐらいありえんかっていうと、クリカンは知っているけど山田康夫は知らない、もしくは山本高広は知ってるけど織田裕二は知らない、もしくは少女時代は知ってるけどAKB48は知らないってのと同じぐらいありえん(最後のはちょっと違う)。

 倉田真由美はかつてダメ男をネタにした『だめんずうぉ~か~』でブレイクしました。それについて特に思うところはありません。過去にダメ男に翻弄されたけど、そのことを笑い飛ばして未来は前向きでありたい、というのであれば、そのスタンスはいっそ好ましいぐらいです。
 
 ただ倉田真由美の場合、現在進行形でダメ人間、もっとはっきりというと人間のクズと付き合ってる、、、というか、結婚したから、それはちょっといただけない。
 あれだけダメ男をネタにしておきながら、お前は学習能力がないのか、といいたい。
 そんな学習能力皆無な倉田真由美がワイドショーなどでコメンテーターをやってるのはまったくもって笑止だし、NHKの経営委員会委員であることも世も末だ、としかいいようがない。

 倉田真由美が結婚した人間のクズっていうのは叶井俊太郎のことです。
 彼がどういう人間かはこれを読めばだいたいわかる。こちら
 他にもネットではろくな噂は聞かないんだけど、いや、彼は実はとてもいい人なんだよ、という、雨のそぼろ降る日、彼が路地裏で子犬を拾うところを見たというようなエピソードをご存知の方は教えて下さい。

 あ、そういえば、うちの会社に配達に来るヤクルトのおばちゃんが西原理恵子のことを知ってました。
 いやいや、百人ぐらい聞き回らないと西原のことを知ってる人には出会えないかと思っていたのでほっとしました。笑。
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突っ込むべきか、突っ込まざるべきか、それが問題だ。

2010-09-13 23:17:16 | 日常
 先日の記事で「JAFに訴えるぞ!」と書いたら、「それを言うならJAROでしょ!」と突っ込んでくれた友人がいました(チャットでだけど)。
 これはありがたかったです。
 せっかくのボケを完全にスルーされるのは悲しいし、かといって自分のボケに自分でツッコミを入れるのもときに虚しいものがあるので、誰かに突っ込んで欲しかったのです(出来たらコメント欄でツッコミを入れて欲しかったけど、まぁそれはいいです)。
 これからも「あ、こいつボケてるな」と思ったらどうぞ遠慮なくツッコミを入れちゃって下さい。

 ところでつい先日、マイミクさんの一人がこんなことをつぶやいてたんですよ。
 「ぱんつくってたら、エプロンがべとべとになっちゃった」みたいな。
 ここで重要なのは「パン」ではなく、「ぱん」だということです。
 そりゃまぁフツーに読めばパンを作ってたってことはわかるんですが、「ぱん」と平仮名で表記させてるってことはパンツを喰ってたと誤読させたいのではないか?

 もし自分が同じようにボケたら、「え~~~、○○さん、パンツ食べたんですか~」とツッコミを入れて欲しいところです。
 しかしもし単純に変換し損ねていただけなら、そのようなツッコミはエロ親父によるセクハラでしかない。 
 ボケなのかどうか、はっきりわからなかったので、結局スルーしちゃいましたけど(それ以前に自分のパソコンからはミクシィのつぶやきにはコメントがつけられないみたい・・・。それって自分だけ?)。

 まぁともかく、ツッコミを入れるのもなかなか難しいって話です。
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『ゾンビランド』、最高にダサい主人公が最高にカッコいいゾンビ映画。

2010-09-12 23:51:36 | 新作映画
 ルーベン・フレッシャー監督、ジェシー・アイゼンバーグ主演、『ゾンビランド』、9/4、シネ・リーブル博多にて鑑賞。2010年36本目。


 はっきりいってこの『ゾンビランド』の前売り券を買ったのは何となくだったんですよね。『ぼくのエリ』の前売り券を買うとき、ついでにこれも買っておくか、ぐらいの軽い気持ちでした。
 なので、観る前はほとんど期待していなかったんですけど、『ゾンビランド』、いやぁ、面白かったです。

 本作の主人公コロンバス(仮名)は、世界がゾンビによって滅ぼされた間もひたすらゲームばかりやり続けてそのことに気づかなかったという極め付きのゲームオタクで、どうしようもないヘタレ(三週間ゲームをやり続けて誰とも会わなかったという設定だけで感情移入しまくり。まぁ自分が人と会わないのは別にゲームをしているからじゃないけど。)。
 そんな彼が「ゾンビランド」と化したアメリカでどうやって生き抜いているかというと、サバイバルのための三十二のルールを自らに課し、それを厳守しているからです。
 一つ、(ゾンビに見つかったら)とにかく走れ。
 一つ、ゾンビには必ず止めを刺せ。
 一つ、便所では要注意。
 一つ、頼もしい相棒を見つけろ。
 一つ、ストリップ小屋には近づくな!(?)
 一つ、ヒーローになろうとするな。etc。
 そんな細かいことまでルールに決めてどーするよ、と思うものも中にはありますが、ほとんどはこれまでのゾンビ映画から学べる、なるほどと思えるものばかりです。
 これらのルールを厳守することでコロンバスは生き延びてきました。

 しかし彼は、惚れた女の子の危機に、自ら定めたルールのうちの一つを破ることにします。具体的には、ヒーローになろうとするな、ですけどね。
 自らがヘタレであることを充分自覚しているコロンバスが、自らの危険を顧みることなく、それでもなおヒーローにならんとするシーンは、最高にカッコよかったです(その直後バイクに乗ったままブッシュに突っ込むというオチがつくけど)。

 ギャグもかなり笑えました。
 主人公たち一行は誰も(生きている人間が)いなくなったハリウッドで、どーせなら一番の映画スターの屋敷で過ごそうということになるのですが、その映画スターというのがトム・クルーズでもジョニー・デップでもブラット・ピットでもなく、B.Mだというのがめっちゃ笑えました。まぁ単純に、出演料の範囲内でもっとも有名な映画スターが彼だった、というだけだと思いますが。笑。

 『ゾンビランド』、ゾンビ映画好きな方にもそうでない方にもお薦め出来るゾンビ映画です(特に幸太郎さんは観た方がいいと思います)。
 観る機会があるという幸運な方は是非ご覧になって下さい。

 お気に入り度は★★★★、お薦め度は★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
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西原理恵子トークライブに行ってきました。

2010-09-11 21:47:01 | 日常
 西原理恵子トークライブに行ってきました。

 と、本文に入るその前に。
 いや~、いかんなぁ、最近すっかりご無沙汰ですよ。
 ご無沙汰といってもワイフとのラブコミュニケーションが、じゃないですよ(わかるわ、んなこと!)、ブログの更新が、です。

 書くネタがないわけじゃないのです。ネタはある。タネはなくてもネタはある。いや、タネももちろんあるけどさ(何の話だよ)。
 書くネタはあっても気力がないの。
 パトラッシュ、ぼくもう疲れたよ、状態ですよ(余談ですけど『フランダースの犬』本編では、ネロは「パトラッシュ、ぼくもう疲れたよ」とギブアップ宣言をするのではなく、「パトラッシュ、もう疲れたろう?」とパトラッシュを気遣う台詞を口にしているのだそうです。違いがあるのかどうかよーわからんけど。)。

 話が横道にズレましたけど、ネタはあるのですよ、ホント。
 例えばせっかく試写会で『悪人』を観たんだから、本上映が始まる前にあの映画について言いたいことを言いたかった!!
 詳しいレビューはまた後日書きますけど(別に読まなくてもよい?)、あの映画って、好き放題やりたい放題やってる奴が結局人生勝ち組になるんだよ、ってことを言いたいんですよね?
 もしくは山中に置き去りにされた人間に救いの手を差し伸べたら、ぎゃんぎゃん噛み付かれることがあるので、自分の手に負えないと思ったときはさっさと見捨てろ!!って映画ですよね?
 自分はそう解釈したけど。違うのかな?

 前置きが長くなりました。
 西原理恵子のトークライブですよ。
 一応チケットを二枚入手して(無料だけどね)、お袋に「西原理恵子のトークライブ、行ってみらん?」って前の日に聞いてみたんですよ。
 そしたらお袋、「知らない人だから(行かなくて)いい」とつれない返事。
 ん~~~、西原理恵子、メジャーになったと思ったけど、まだまだだな。

 で、会社の同僚にも「今度の土曜日、西原理恵子のトークライブに行くっちゃん」って言ったら、一言「誰それ?」ですよ。
 ん~~~、西原理恵子、メジャーになったと思ったけど、まだまだだな(X2)。

 さらにトークライブに行く前、散髪に行ったんですけど、そこの自称漫画好きの理容師のにーちゃんに「これからどっか行くんスか!?」って聞かれたから、「西原理恵子のトークライブにこれから行くけどね」って答えたら、「その人何やってる人っスか?」って聞かれましたよ。
 にーちゃん、アンタ、世の中に漫画ってジャンプとマガジンしかないと思ってるだろ?
 ん~~~、西原理恵子、メジャーになったと思ったけど、まだまだだな(X3)。

 そんなわけで見に行く前は、西原理恵子のトークライブに行く奴なんていない、そもそも存在すら一般には知られていないって思ってたんですけど、会場に着いたらビックリ。長蛇の列ですよ。


   


 この写真を見ても「どこが長蛇の列なんだ、JAFに訴えるぞ!!」って感じですけど、いや、これぞ長蛇の列!!って写真もあるんだけど、見ず知らずの赤の他人の顔を正面から撮っちゃってるのでアップする気にならないのです。また五月蝿い人が絡んできたら面倒なので。
 見に来る人なんてごくごくわずかだろう、なんて思っていたので、この長蛇の列にはちょっぴり感動すら覚えましたよ。

 唐突ですが、ここで自分と西原理恵子の馴れ初めについて(結婚式かよ)。
 たぶんですが、今この駄文を読んでるどの人よりも自分は西原理恵子のことを昔から知っています。
 どれぐらい昔かというと、彼女がスーアンコーとトイトイの違いがわからなかった頃から、です(今も違いがわかるかどうか定かではないですが)。
 基本的なキャラクターは変わってないんですけど、あの頃の彼女は初々しかった、、、いや、そうでもないか。笑。
 まぁともかく、彼女の処女作品も単行本を買いましたよ(彼女の処女についての作品、ではなく、『まあじゃんほうろうき』のことね)。

 でもいつしか彼女の作品を読むこともなくなっちゃいましたね。
 『恨ミシュラン』とか『鳥頭紀行』とかほとんど読んだことないなぁ。
 キャラが変わってないってことは想像がつくし、読めば面白いだろうってこともわかってはいるんだけど、何故か手を出す気になれなかった。
 強いて言えば、自分の手からは離れてしまったから?AKB48は秋葉原の専用劇場だけで拝めた頃が一番好きだった、みたいな感じ?

 だから、今日のトークライブで西原のしゃべりの達者振りにも驚いてしまった(しゃべる西原を見るのも初めてだった。ワイドショーとか普段見ないからね。つーか見れないし。)
 それに考え方が(正しいかどうかはさておき)すごくしっかりしてることにも驚かされた。
 昔は無謀で無思慮で無鉄砲がウリだったような気もするんだけど、人間、成長するもんなんだなぁ。

 笑えて笑えて笑えて、ちょっぴりうるっと感動させて、そして笑えて笑えて、でも考えさせるものもあって、トークライブはすごくよかった。
 タダで見させてもらって申し訳なかったです。

 失敗だったなと思ったのは、やっぱりお袋を連れてくれば連れてくればよかったなってことで、、、でもそのことを言ったら「あんたが遊んでいる間にいろいろしなければいけないことがあったんだから」と叱られました。
 ゴメン、かーちゃん。笑。
 西原の言う通り、男って自分の都合ばかり考える生き物だからなぁ。


   


 写真は西原理恵子本人、、、ではなく、鴨志田穣写真展にいた『毎日かあさん』のおかしゃん。トークライブは撮影禁止だったからね。
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『ぼくのエリ  200歳の少女』、非常に出来はよいものの、個人的に不満を覚える・・・。

2010-09-08 23:00:29 | 新作映画
 トーマス・アルフレッドソン監督、『ぼくのエリ 200歳の少女』、9/4、シネ・リーブル博多にて鑑賞。2010年35本目。


 土曜日は午前中仕事だったので(うちの会社、土曜日は中途半端にに休みだったり、半ドンだったりするんですよね。あ、半ドンってわかります?もしかして、方言?)、仕事が終わって、そのまま博多まで映画を観に行くつもりでした。
 が、『ぼくのエリ』の前売り券を見事に家に忘れる(ガーン)。前売り券、いつもは財布の中に仕舞ってるんですけど、この映画の前売り券は若干サイズが大きめで、微妙に財布に収まらなかったんです。
 で、仕方なくカレンダーのところに貼り付けて、ここならさすがに忘れまいと思っていたのですが、明日のジョー、じゃない、案の定、忘れちゃいました。やっぱり四つ折りにしてでも財布の中に入れておくべきだったか・・・(それは嫌なんだよねぇ)。

 というような与太話はそれぐらいにして。
 『ぼくのエリ 200歳の少女』、非常によく出来たヴァンパイア映画でした。
 作品全体を覆う空気は静謐なのですが、それでいてどこか耽美な匂いが漂ってくるのです。
 何しろ主人公オスカーは(金髪碧眼の美少年。はっきりいってヒロインであるエリよりも顔の造りが整っている。)初登場時からいきなり出前一丁、ブリーフ一丁ですよ!それが彼の就寝スタイルらしいんですが(まさかスウェーデン人全員が寝るときブリーフ一丁じゃないでしょうから)、この時点でその手の趣味がある方には涎ものなのではないでしょうか。笑。

 ただ、、、よく出来たヴァンパイア映画だからこそ、同時に強く不満も覚えました。
 映画に限らずヴァンパイアもの、吸血鬼ものって物語の作者にとって非常に魅力的な素材だと思うんです。
 数多のモンスターの中で一番多く漫画化、小説化されてるのではないでしょうか(映画はさすがにゾンビものに劣るかな)。
 ただ、自分はそれら吸血鬼を扱った映画や漫画や小説の多くに昔から不満があるのです。
 何に不満かというと、吸血鬼は吸血行為によって仲間を増やせるはずなのに、何故かそうしないことに、です(吸血鬼が主人公側だと特に)。
 これが自分には不思議でなりませんでした。
 自分が吸血鬼だったら手当たり次第にバンバン血を吸っちゃって仲間を増やしますけどね。
 
 吸血鬼が仲間を増やそうとしないのは、それは物語上の必然というより、ぶっちゃけ、仲間が増えすぎたらお話の収拾がつかないから、ですよね。
 そこら辺の事情はわからないでもないんですが、だとすれば、きちんと何かしら仲間を増やそうとしないことへの理由付けが必要だと思うのです。それがない吸血鬼ものは全て作者の手抜きのように思えるのです。

 『ぼくのエリ』の中でも、エリに噛まれた女性は吸血鬼になるのですが、やっぱりエリはその女性以外の人間を吸血鬼にしようとはしないんですよね。
 う~~~ん、何故なんだろう???
 まぁもちろんこの作品において、その理由を語ることが物語的に必要かというとそういうわけでは全然ないんですけどね。笑。

 あと、『ぼくのエリ 200歳の少女』という邦題について。
 自分は普段映画の邦題にあまりケチをつける方じゃないのですが、まぁ配給会社にもいろいろ事情があるでしょうからね、でもこの作品の邦題は変だと思います。
 まぁ洋題の『LET THE RIGHT ONE IN』が英語に疎い人には何のこっちゃなので、何かしら邦題を考えなければいけないのはわかるのですが、この邦題は二重の意味で変です。
 まず「ぼくのエリ」だと、まるで“エリ”が“ぼく”の所有物か何かのような印象を受けるのですが、実際にはその逆で、どちらかというと、支配者の地位にあるのは“エリ”の方なんです(まぁ吸血鬼だからね)。
 それと「200歳の少女」の方ですが、自分はこのサブタイトルから、エリが自分は200歳だと告白するシーンがあるもの、と思ってました。が、そんなシーンはなし。それどころか彼女は自分の誕生日すら知らないという設定なんです。

 なので、自分があえて邦題をつけるとしたら、、、今の邦題を生かして、『ぼくとエリ 永遠の少女』かなぁ、、、作品ほど詩的ではないですけどね。笑。

 お気に入り度は★★★☆、お薦め度は★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
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プロットを書いてみた。

2010-09-05 21:47:47 | 日常
 とりあえずプロットを書いて、コンペに応募してみました。
 なにぶん過去にプロットなど書いたことがなく、しかもほぼ一日で書いたもので自信は坊主の毛の頭ほどもありませんが、とりあえず今持てる力は全て注ぎ込んで書きました。
 過去の受賞作よりかは面白いものが書けた、と自負しています(自信があるのかないのかどっちだ)。

 というか、作品の出来以前に、ワードで文章を執筆するということ自体過去になかったので(さり気なく問題発言だよ)、上手い具合にデータが添付できたかどうかもわかりません。

 まぁでもとりあえず結果が発表されるまでいろいろ夢が見れるっていうのはいいですね。
 また機会があれば投稿してみたいと思います。
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夏の終わりに。

2010-09-03 22:59:51 | 日常
 今日は会社の近くのコミュニティセンターで夏祭りがありました。


   


 基本的に自分はそれほど祭りの類いには興味はないのですが(ぶっちゃけどんたくと山笠の違いがよくわからん、、、ってことはないけど、五月にどんたくをやって、七月に山笠をやんなくてもいいと思う)、この夏祭りには毎年(といっても今年で三回目だけど)参加しています。
 それは何故かというと、この夏祭りに出店されているガン・シューティング(射的)が、モデルガンを用いる結構本格的なもので、しかも景品が商品券とか図書券とかやたら豪華なのです。
 男ならこれが燃えずにいられますか!!
 そんなわけで今年も勇んで乗り込んだのですが、、、あれ、何かが違う・・・。
 BB弾を撃つモデルガンだったのが、空気圧を利用してコルク玉を撃ち出すエアガンになってました・・・。
 な、なじぇ?
 受付けのおねーさんに「何でモデルガンじゃなくなったの?何かトラブルでもあったんですか?」と尋ねると、おねーさんはニッコリ笑って「特に理由はないと思いますよ~」と答えました。
 理由がないなら変えんじゃねぇ!!(こちとら楽しみにしてたのに)
 威力が強いモデルガンだとそれなりに的から離れて撃たなければならなかったのですが、エアガンだと三、四メートルの距離から撃つんですよ。めっちゃ簡単。
 二百円で(大人は二百円、子供は百円)買った五発のコルク玉のうち、四発が的に当たりました。
 五発目も楽勝で当てるつもりだったんですが、四発続けて的に当てると周りから結構注目を浴びてしまい、プレッシャーに負けて外してしまいました。
 去年は結構むきになって二回か三回やったような気がするのですが、今年はあまりに簡単すぎて二回目をやる気が起こらなかったです。
 来年は是非モデルガンに戻して欲しいです。
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プロットを書いてみる。

2010-09-02 22:25:53 | 日常
 月も変わったことだし、今日からブログを毎日更新するぞ!と心に誓ったにも関わらず、昨日は更新をサボってしまった。
 八月はまったくもってひどいものだったけど、少し前までは毎日の更新を心がけてました。
 何故毎日更新するのか?
 それは例え駄文であっても毎日何かしら文章を書いていれば少しずつ文章力が上がる違いない!とブログを始めるときに思ったから。
 勘違い平行棒のウルトラCだったね。
 確実に落ちてる。
 まるで二十五歳をすぎた頃に曲がり角に突入するお肌みたいに。
 そういえばよく「二十五歳はお肌の曲がり角」というけど、何なんだろうね。
 と思って調べてみましたよ。
 結論から言うとこの二十五歳という年齢に特に根拠はないらしいです。
 ただ人間の肉体は第二次性徴期を終えた後はひたすら老いていくだけらしく、それはお肌も例外ではないとのこと。
 なのでお肌の曲がり角にあたる年齢を強いて挙げるとすれば、それは第二次性徴期が終わる十八歳頃なんだってさ♪
 ま、どーでもいい話。
 これもどーでもいい話なんだけど、谷村新司の歌で『二十二歳』ってタイトルの歌があって、その歌に「二十二歳になると少しだけ臆病者になるの~♪」みたいな歌詞がある(あった、と思う)。初めて聞いたときは自分も二十二歳以下だったから、はー、(二十二歳になると)そういうもんですかぁなんて思ったもんだったけど、二十二歳をはるかに越えた今だから言わせてもらうと、二十二歳で臆病者になられちゃ、自分たちの世代の人間は立つ瀬がないよね。
 臆病者になるのはまだ早いよ!と言いたい。
 で、話を戻すと文章力が落ちているってこと。
 今ではもう誰も読んでくれないけれど、たまに過去作を読み返すと思わぬ面白さにビックリする(そして自分の作品を読んでビックリした自分にビックリする)。
 http://www.h5.dion.ne.jp/~yaneura/event.htm
 個人的には『風の歌を歌う』がお気に入りだけど、『バッティングセンター』も結構好き(ブラックで)。
 今となってはもう書けないなぁ。
 何故書かなくなったのかというと、読んでもらいたい誰かが自分にはもういないから。
 実はイベントルームの十作品はある人に気に入ってもらいたくて書いたもので、それ以外の作品も同じようなものなんだよね。
 読んでもらいたいと思う人がいて初めて自分は小説を書けるというか。
 自分のためにはもう小説を書く気がしないんだよね。小説だけでなく、何かしら努力をする気になれない。
 そんなどうしようもなくネガティブな自分なんだけど、久しぶりに創作活動に勤しんでいます。
 小説ではなくてプロットなんだけどね、これ
 締め切りまで恐ろしく間がなくて、間に合うかどうか定かではないのだけど、まぁ万が一間に合ったら応募しようかなぁって思ってます。
 今日このことを記事にしたのは、書けよ!と尻を引っぱたいて欲しいからです。
 引っぱたかれないとたぶん書かない。笑。
 よろしくお願いします。
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